<岬と灯台写真館>

江崎と江埼灯台(兵庫県)

2005年2月11日午前に淡路島の江崎(兵庫県)で撮った写真です。


 2泊3日で、淡路島と瀬戸内海東部の岬と灯台巡りの旅に出かけ、朝5時前に自宅を出て、東京駅へ行き、東海道新幹線の始発「のぞみ1号」で、西へ向かったのです。でも、指定券を取っていなかったので、自由席は満席で座れず、デッキに居座って旅することになったのですが...。新大阪駅で、在来線の新快速に乗り換え、兵庫県の西明石駅へと至りました。駅前の日産レンタカーで、マーチを3日間借り、明石海峡大橋を越えて、淡路島へと入っていったのです。まず、江埼灯台へ立ち寄ったのですが、淡路島の北端にあって、瀬戸内海の眺望がすばらしく、明石海峡大橋がよく見えました。神戸・淡路大震災ではかなり被害を受けたそうだけど、復旧していたのです。

☆江埼灯台 地図
江埼灯台 (2005年2月11日撮影)
江埼灯台の概要
番号 3801 [F5796]
位置 北緯 34度36分24秒 
東経 134度59分37秒
塗色 白色  
構造 塔形(円形) 石造
レンズ 第3等不動フレネル式
灯質 不動白赤互光 白5秒赤5秒
光度 白光6万2千カンデラ
赤光2万4千カンデラ 
光達距離 白光18海里(約33km)
赤光16海里(約30km) 
灯塔高 8.27m(地上〜塔頂)
標高 48.5m(平均海面〜灯火)
初点灯 1871年(明治4)6月14日
所在地 兵庫県津名郡北淡町

<特徴>
 江埼灯台は、淡路島の江崎に立つ白亜の石造大型灯台です。周辺は、瀬戸内海国立公園に指定され、明石海峡大橋を望む風光明媚の地です。また、建設当初の姿を伝え、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっています。

<歴史>
 1867年(慶応3)4月,幕府と英国公使は兵庫開港(同年12月)に備えて大坂約定(大坂条約)で、5つの灯台建設を約束しましたが、この灯台はその最初として、1871年(明治4)6月14日<旧暦では4月27日>に初点灯しました。かの、「灯台の父」と呼ばれるR・H・ブラントンの設計による石造で、日本の洋式灯台では、8番目のものでした。以後、そのままの姿で活躍してきましたが、1995年(平成7)1月17日の阪神・淡路大震災で、大きな被害を被ってしまいます。その後、灯台は復旧されたものの、付属の旧退息所四国村に移築保存されています。

<現況>
 現在の灯塔高(地上から塔頂まで)は8.27m、標高(平均海面〜灯火)は48.5mで、第3等不動フレネル式レンズを使い、光度は、白光6万2千カンデラ、赤光2万4千カンデラ、光達距離は白光18海里(約33km)、赤光16海里(約30km)です。

江埼灯台のプレート 江埼灯台の塔頂部
第3等不動フレネル式レンズ 江埼灯台の非常灯

☆江崎から明石海峡大橋を望む

江崎から明石海峡大橋を望む (2005年2月11日撮影)

 江埼灯台へは、海岸沿い県道にある駐車場から長い階段を登っていきますが、下からも上からも、明石海峡大橋がよく見えるのです。海峡には大小の船が行き交い、海上交通の要衝であることがよくわかります。


☆旧江埼灯台退息所(四国村)

四国村に移築されている旧江埼灯台退息所 (2004年11月29日撮影)

 2004年11月29日、2泊3日で四国一周の岬と灯台巡りに出かけた最後に、香川県の屋島山麓にある四国村(四国民家博物館)へ立ち寄りました。ここには、旧大久野島灯台はじめ3つの旧退息所が移築保存され、公開されています。その中に、1871年(明治4)、「灯台の父」と呼ばれるR・H・ブラントンによって建設された石造の江埼灯台退息所(国登録文化財)があり、内部には調度品や設計図等の貴重な資料が展示されているのです。


岬と灯台写真館へ戻る
旅の写真館へ戻る
ホームページへ戻る

*ご意見、ご要望のある方は右記までメールを下さい。よろしくね! gauss@js3.so-net.ne.jp