<岬と灯台写真館>

地蔵崎と美保関灯台(島根県)

1995年4月30日午前に地蔵崎(島根県)で撮った写真です。


 ゴールデンウィークを利用して、山陰地方の旅に出た途中、米子から弓ヶ浜、境港を通り、境水道大橋を渡って、地蔵碕へと至りました。その先端には、白亜の美保関灯台が立っていて、なかなかすばらしい光景なのです。灯台をカメラに収め、少し戻った山の上にある五本松公園にも立ち寄りました。有名な五本松の方は、初代、二代と枯れ、三代目が植えられていましたが、美保湾や中海、弓ケ浜などを一望に出来るすばらしい眺めでした。

☆美保関灯台 地図
美保関灯台 (1995年4月30日撮影)
美保関灯台の概要
番号 0848 [F7316]
位置 北緯 35度34分03秒 
東経 133度19分31秒
塗色 白色
構造 塔形(円形) 石造 
灯器 LB-M60型灯器
灯質 単閃白光 毎12秒に1閃光
光度 49万カンデラ(実効光度)
光達距離 23.5海里(約44km) 
明弧 115度から52度まで
灯塔高 14.0m(地上〜塔頂)
標高 82.91m(平均海面〜灯火)
初点灯 1898年(明治31)11月8日
所在地 島根県八束郡美保関町大字美保関字大平
<特徴>
 美保関灯台は、島根半島東端にある地蔵崎の先端に立つ、エキゾチックな白亜の中型灯台です。周辺は、大山隠岐国立公園に指定され、ここから日本海を見渡す大パノラマは感動的なもので、晴れ渡っていれば隠岐島さえ見えます。また、「世界灯台100選」に選ばれた灯台 でもあり、「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっています。

<歴史>
 1898年(明治31)11月8日に、フランス人技師により設計、片江の石工寺本常太郎によって施工されて、初点灯した、山陰最古の灯台です。当初は、地蔵崎灯台と呼ばれ、第1等灯台で、光度は6万7500カンデラでしたが、1935年(昭和10)に、名称が美保関灯台に改められました。1962年(昭和37)に無人化され、1993年(平成5)に最新設備に改良されています。

<現況>
 白色塔形(円形)の石造灯台で、灯塔高(地上から塔頂まで)14.0m、標高(平均海面〜灯火)82.91m、現在はLB-M60型灯器を使い、光度は49万カンデラ(実効光度)、光達距離は23.5海里(約44km)です。また、無線方位信号所(レーマークビーコン)も併設されていて、塔が立っています。残念ながら、一般公開されていないので、通常は外観のみの見学となりますが、毎年2回、海の日(7月の第3月曜日)と灯台記念日(11月1日)には、内部が公開されるとのことです。また、以前の退息所(灯台守の宿舎)が改造されて、灯台ビュッフェとして営業していましたが、現在は休業中だそうです。

☆五本松公園からの眺望

美保湾と弓ヶ浜の眺望
美保関港を望む

 美保関灯台から、尾根伝いの遊歩道を3q余り歩くと五本松公園で、ここからみる景色もすばらしいものです。現在は、ツツジの名所としても知られ観光スポットになっていて、4月下旬から5月上旬には、約5千本のツツジが満開になるそうです。小高い丘の上にあるため、頂上の展望台からは美保湾や中海、弓ケ浜などを一望でき、晴れたに日は北方に隠岐の島を見ることができとのことです。


☆関の五本松

三代目関の五本松
初代関の五本松 二代目関の五本松

 かつての航路標識木ともなり、船人に親しまれていた関の五本松は、台風や松食い虫のため相次いで倒れ、初代、2代と枯れてしまいましたが、現在は3代目が植えられています。ここは、美保関と松江を結んだ旧松江街道に沿っていたのですが、松江藩主が美保神社参詣の途次、眺望のじゃまになるというので、五本松のうちの一本を切らせてしまいました。そのことに船人たちは落胆し、やり場のない怒りと、松への愛惜をこめて、誰からともなく歌い出したのが「ハー関の五本松、1本切りゃ4本、あとは切られぬ夫婦松」という民謡「関の五本松節」だそうです。


岬と灯台写真館へ戻る
旅の写真館へ戻る
ホームページへ戻る

*ご意見、ご要望のある方は右記までメールを下さい。よろしくね! gauss@js3.so-net.ne.jp