<岬と灯台写真館>

ノシャップ岬と稚内灯台(北海道)

1994年9月15日、1999年10月16日、2004年9月22日にノシャップ岬と稚内市内(北海道)で撮った写真です。


 日本最北端の稚内市には、過去3回訪れていますが、宗谷海峡とはるかに望むサハリンには感慨深いものがあります。戦前は、南樺太までが日本領土だったので、この稚内が連絡港としてにぎわったのですが、終戦間際に暗い出来事もありました。そんな哀史を、稚内公園の記念碑とサハリンの島影に見ることが出来ます。また、市街地のはずれのノサップ岬には紅白の縞模様になった稚内灯台がひときわ高くそびえていて、宗谷海峡を照らしています。さいはての思いを深くする地でもあります。

☆稚内灯台 地図
稚内灯台 (1994年9月15日撮影)
稚内灯台 (2004年9月22日撮影)
稚内灯台の概要
番号 0510 [F6109]
位置 北緯 45度26分58秒
東経 141度38分42秒
塗色 白地に赤横帯6本 
構造 塔形(円形) コンクリート造
灯器 LB-90型灯器
灯質 群閃白光 毎14秒をへだて6秒間に2閃光
光度 32万カンデラ(実効光度)
光達距離 18.0海里(約33km)
灯塔高 42.7m(地上〜塔頂)
標高 42.1m(平均海面〜灯火)
初点灯 1900年(明治33)12月10日
所在地 北海道稚内市ノシャップ

<特徴>
 稚内灯台は、北海道最北の都市稚内のはずれにあるノシャップ岬突端に立つ、白地に赤横帯6本の目立つ塗色大型灯台で、日本第2位の灯塔高を誇ります。また、「日本の灯台50選」にも選ばれていて、ここから南に延びる西側の海岸線は、利尻礼文サロベツ国立公園に指定され、宗谷海峡から利尻島・礼文島を望む景勝の地でもあります。

<歴史>
 この灯台は、1900年(明治33)12月10日に、現在の位置から900m南の丘の上(現:自衛隊レーダーサイト)に鉄造で、設置、初点灯されました。しかし、当時の米軍ノシャップ基地の増強と拡張により移設を余儀なくされ、1966年(昭和41)1月10日に現在地へ移設・新築されました。その時に、灯火の高さを維持するためにノッポな灯台になったそうです。初代の灯台は映画、「喜びも悲しみも幾年月」のロケの舞台として登場した事があります。

<現況> 
 灯塔高(地上から塔頂まで)は42.7mで日本第2位、標高(平均海面から灯火まで)42.1mで、LB-90型灯器を使い、光度32万カンデラ(実効光度)光達距離18.0海里(約33km) です。残念ながら、一般公開されていないので、通常は外観を望むだけです。周辺海域は、霧が発生しやすいので、霧信号所を併設しています。
利尻航路の船上から見た稚内灯台 (2004年9月22日撮影)

☆ノシャップ岬

ノシャップ岬の碑と顔出し看板 (1994年9月15日撮影)
ノシャップ岬 (2004年9月22日撮影)
ノシャップ岬から見た利尻島と礼文島 (2004年9月22日撮影)

 稚内灯台の立っているノシャプ岬は、アイヌ語でノッ・シャムといい「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味からきていると言われています。ここは、宗谷海峡を挟んでロシア領サハリンと対峙する国境に位置する重要な場所でもあり、利尻島や礼文島がよく見えますし、夕陽の鮮やかなところとしても知れています。


☆ノシャップ寒流水族館

稚内市立ノシャップ寒流水族館 (1994年9月15日撮影)
ノシャップ寒流水族館 (2004年9月22日撮影)

 稚内灯台のすぐ脇に稚内市立ノシャップ寒流水族館がありますが、1968年(昭和43)7月に北海道開道100年、稚内90年、市政20年の記念事業として造られたもので、日本の水族館としては、ちょうど100番目に建設されたものだそうです。北の海で生息する魚やアザラシたちを間近に見る事が出来ますが、特に水量90トンの回遊水槽が見物で、幻の魚といわれる1mを超すイトウ、どう猛な顔つきをしたオオカミウオ、タラバガニやケガニ、ニシンなどの寒流系の水族が泳ぎ回っています。


☆恵山泊漁港とレーダー基地

恵山泊漁港 (2004年9月22日撮影)
自衛隊レーダーサイト (2004年9月22日撮影)

 稚内灯台のすぐ脇に恵山泊漁港があり、何艘もの漁船が係留されていました。その後ろには、自衛隊のレーダーサイトがあり、異様な姿を見せていたのが、印象に残っています。


☆日本最北端の稚内駅

日本最北端稚内駅と北防波堤ドーム (1994年9月15日撮影)

 現在の日本最北端の鉄道駅稚内は、戦前は稚内−樺太との定期船発着所となっていて、連絡船が発着していました。その跡が、北防波堤ドームなのです。古代ローマの遺跡を思わせるような太い円柱とアーチ型の回廊が美しい空間を作り出しています。土谷実氏の設計で5年の歳月をかけ、1936年(昭和11)に完成したとのことです。一時荒廃していましたが、1981年(昭和56)に修復工事を終え、現在に至っています。かつてのサハリンとの交易でにぎわった当時を物語る建築物です。


☆稚内市街の眺望

稚内公園から稚内市街を望む (1999年10月16日撮影)

 稚内市街の後ろに伸びる段丘上は稚内公園として整備されています。ここから眺める稚内市街地や港、宗谷海峡はなかなかのものです。細長く伸びた街の様子や荒々しい北の海が広がっています。


☆稚内公園

サハリンを望む「氷雪の門」 (1999年10月16日撮影)
「九人の乙女の碑」と「教学の碑」 (1999年10月16日撮影)

 稚内市街西側の高台に位置する稚内公園は、47万uの広さがあります。ここからは、宗谷海峡やサハリンを望むことが出来るのですが、それにまつわる記念碑がいくつも建てられているのが特徴です。有名な「氷雪の門」は、異国となった樺太への望郷の想いとそこでなくなった人々の慰霊のために1963年(昭和38)に建立されたものです。また、「九人の乙女の碑」は、終戦直後の1945年(昭和20)8月20日、ソ連軍の侵攻の中にあった樺太で、最後まで電話交換業務を果たし、自らの命を絶った若き女性交換手(樺太真岡郵便局)9人を慰霊したもので、彼女達の最後の言葉「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」の碑文が刻まれています。「教学の碑」は、樺太師範の記念碑です。


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