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駅のスタンプ
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バス等のスタンプ
大町エネルギー博物館の木炭バス 岩手県北自動車のボンネットバス
 鉄道の駅だけではなく、そんなに多くはありませんが、バスの駅や案内所等にスタンプが設置されているところもあります。
国鉄バス 酸ヶ湯温泉駅 龍河洞駅 面河駅 久万駅 熊野本宮駅
安房白浜駅 休屋駅 子ノ口駅 芦原湯町駅  
民営バス 新潟交通 会津バス 羽後交通 京福電鉄バス  
<国鉄バス>
 昭和時代前期の1930年(昭和5)に、国有鉄道の補助・代行機関として、岡崎駅〜多治見駅間・瀬戸記念橋駅〜高蔵寺駅間において、省営自動車岡多線として運行開始(当初規模はバス7両・トラック10台)されたのが、国鉄バスの前身となりました。1932年(昭和7)には、鉄道省運輸局に自動車課が設立され、翌年には「鉄道に関連する国営自動車事業」と位置づけられることとなります。その後拡大して、1940年(昭和15)時点での営業規模は、バス550両・トラック299両、営業キロは約2,600kmとなりました。太平洋戦争後の1949年(昭和24)に、公共企業体である日本国有鉄道が発足し、省営自動車は国鉄自動車として再出発します。それからも住民の路線拡張に対する要望もあって、どんどん拡大し、1955年(昭和30)までに、バス1,629両・トラックは766両、営業キロは12,033kmとなりました。しかし、国鉄の分割民営化に伴い、1987年(昭和62)3月31日限りで、国鉄バスとしての運行を終了し、各旅客会社に引き継がれることになり、各JRバスとなりました。
 国鉄バスの駅スタンプについては、1970年(昭和45)以前に独自に設置されたものもありました。そして、1970年(昭和45)に当時の国鉄の「DISCOVER JAPAN」キャンペーンに合わせて、全国約1,400駅(船舶内・自動車駅を含む)にDISCOVERJAPANスタンプ(通称:DJスタンプ)が設置された時は、国鉄バスの約40駅にもこのスタンプが置かれます。次の1977年(昭和52)から国鉄で始まった全国キャンペーン「一枚のキップから」に合わせても、スタンプが作られて、名所・旧跡の最寄り駅297駅に設置されましたが、国鉄バスは13駅のみでした。その後、1980年(昭和55)から「わたしの旅」のスタンプが国鉄の約800駅に設置されましたが、国鉄バスは14駅に留まっています。
〇十和田北線酸ヶ湯温泉駅(1973.7.25押)---1971年(昭和46)3月設置:サイズ縦5.8cm×横5.8cm
 1970年(昭和45)10月から開始された、国鉄の全国キャンペーン「DISCOVER JAPAN」で、1971年(昭和46)3月に設置された国鉄バス十和田北線酸ヶ湯温泉駅のスタンプでです。上部に八甲田連峰が描かれましたが、中央が八甲田大岳で、その下の温泉マークは酸ヶ湯温泉を表しました。左側には、樹氷と小さくスキーヤーも書き込まれています。
〇大栃線龍河洞駅(1977.8.6押)---1977年(昭和45)4月設置:サイズ縦7.8cm×横7.8cm
 1977年(昭和45)4月に、国鉄の全国キャンペーン「一枚のキップから」で、設置された国鉄バス大栃線龍河洞駅のスタンプです。龍河洞が図案化されていますが、これは日本三大鍾乳洞の1つとして知られ、パンフレットには、「海中より隆起して1億7500万年の歳月が神秘的な石の芸術、ファンタジックな自然の造形として今日に伝わる。」と書かれていました。しかし、洞内の天降石、玉簾の滝、万象殿などの鍾乳石や石筍を見ていると、どうしてこんなすばらしいものを自然が造り出したんだろうと感嘆してしまうのです。龍河洞は、山口県の秋芳洞ほどのスケールはありませんが、石の造形はみごとでした。特に、出口近くにある“神の壺”は、2000年余り前の弥生人が残した土器が、石灰華に包まれたもので、ほんとうに神々しい感じさえします。
〇面河線面河駅(1977.8.7押)---1977年(昭和45)4月設置:サイズ縦8.0cm×横8.0cm
 1977年(昭和45)4月に、国鉄の全国キャンペーン「一枚のキップから」で、設置された国鉄バス面河線面河駅のスタンプです。面河渓の風光明媚な渓谷美が図案化されました。ここは、1927年(昭和2)に、大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援で、一般からの投票をもとに選定された「日本百景(渓谷)」に選ばれて有名になった景勝地です。1933年(昭和8)に国の名勝に指定され、現在は石鎚国定公園の一部ともなりました。見どころには、関門、相思渓、五色河原、亀腹、蓬莱峡、紅葉河原、御来光の滝などがあり、特に紅葉の素晴らしさが愛でられています。現在は、JRバスは運行されなくなりました。
〇松山高知急行線久万駅(1977.8.8押)---1970年(昭和45)10月設置:サイズ縦8.0cm×横8.0cm
 1970年(昭和45)10月に、国鉄の全国キャンペーン「DISCOVER JAPAN」で、設置された国鉄バス松山高知急行線久万駅のスタンプでです。当時は、国道33号線で四国山地を越えるるのが、松山〜高知の最短路線でした。そこを走っていたのが国鉄バス松山高知急行線で、久万駅は他のバス路線との乗り換えのための中継地でした。スタンプの図柄には険しい山間地を走る国鉄バスが描かれています。
〇熊野線熊野本宮駅(1978.3.15押)---1970年(昭和45)10月設置:サイズ縦6.7cm×横6.7cm
 1970年(昭和45)10月に、国鉄の全国キャンペーン「DISCOVER JAPAN」で、設置された国鉄バス熊野線熊野本宮駅のスタンプです。図案は熊野本宮大社の本殿が描かれました。熊野大社前のバス停のところには、大きな鳥居があり、石段がずっと奥へと続き、踏みしめながら上っていくと、前方に古めかしい大きな屋根が見えてきます。門をくぐると檜皮葺きの荘厳な社殿が並び、何人かの参拝客が4ケ所で鈴を鳴らし、それぞれに参拝していました。ここには4神が祭られていることがわかります。古代には、熊野行幸が行われたとのことで、宝物殿に立ち寄って資料を見こることもできました。
〇南房州線安房白浜駅(1979.3.16押)---1970年(昭和45)10月設置:サイズ縦7.4cm×横7.4cm
 1970年(昭和45)10月に、国鉄の全国キャンペーン「DISCOVER JAPAN」で、設置された国鉄バス南房州線安房白浜駅のスタンプでです。房総半島の最南端にあたり、南房総国定公園に含まれる風光明媚の地として知られてきました。スタンプの図柄は左側に野島崎灯台を描き、中央に海女の姿、右側に魚を二匹泳がせて、海浜の様子を示しています。
〇十和田南線休屋駅(1979.8.2押)---1977年(昭和8)4月設置:サイズ縦8.3cm×横8.1cm
 1977年(昭和45)4月に、国鉄の全国キャンペーン「一枚のキップから」で、設置された国鉄バス十和田南線休屋駅のスタンプです。ここは、十和田湖畔で最も賑わいを見せる場所で、観光施設や遊覧船の発着所、土産物店、レストラン、ホテルなどが建ち並んでいます。図案の上段にあるのは八甲田連峰の山々で、中段は十和田湖をイメージしました。下段左側に描かれている「乙女の像」は御前ヶ浜にあり、十和田湖のシンボルで、撮影ポイントともなっています。この像は、詩人・彫刻家として有名な高村光太郎の最後の彫刻作品として広く知られてきました。
〇十和田北線子ノ口駅(1979.8.2押)---設置年?:サイズ縦8.6cm×横8.6cm
 このスタンプは全体が十和田湖を図案化したものですが、上部のツバメのマークは国鉄バスのものです。この湖は、東北では3番目の広さがあり、周囲46.0km、面積61.1ku、最大水深327.0m(日本第3位)で、いくつかの中小河川が流入してきました。その水は、奥入瀬川が唯一の流出口となり、三本木原を潤して、太平洋に注いでいます。その十和田湖からの出口にあるのが子ノ口で、奥入瀬渓流探勝の出発点であり、遊覧船の発着所ともなってきました。周辺は、十和田八幡平国立公園に指定され、夏は避暑、キャンプなどに利用され、秋は周辺の紅葉も美しく、冬の雪景色もなかなかのものです。
〇金津三国線芦原湯町駅(1980.3.19押)---1973年(昭和48)設置:サイズ縦8.0cm×横8.0cm
 元々は、1970年(昭和45)10月から開始された、国鉄の全国キャンペーン「DISCOVER JAPAN」で、1973年(昭和48)に設置された国鉄バス金津三国線芦原湯町駅のスタンプでしたが、下から右にかけての「DISCOVER JAPAN」の文字が削られていました。この図案の上部は東尋坊の柱状節理、下部は景勝地雄島が描かれ、左側の温泉マークは芦原温泉を象徴しています。
<民営バス>
 明治時代後期の1903年(明治36)に、京都府京都市の堀川中立売〜七条〜祇園で、日本初の乗合バスが運行されます。これは、京都府京都市の二井商会(福井九兵衛と坪井清兵衛によって創業)が、蒸気自動車を改造した幌なしの6人乗り車両(運転手、助手、乗客4名)によって、運行を開始したものでした。同年11月21日には、京都府自動車取締規則により正式な許可業とされています。しかし、翌年1月には、経営破綻によって営業を終えました。また、1905年(明治38)2月5日に広島県の横川町〜可部町間(約15km)でも、12人乗りの乗合バスが運行開始されましたが、こちらもバスそのものの不備、乗合馬車屋からの反対等により、同年9月に事業を終了しています。明治時代には、ライバルの乗合馬車屋からの妨害や車両の故障が相次ぎ、本格的な営業の継続が難しかったと言われていました。大正時代に入ると、車両の信頼性も高まり、全国的にバス事業を取り扱う事業者が増えていきます。特に東京市では、1923年(大正12)9月1日に起こった関東大震災の影響で路面電車が大きな被害を受け、この代替輸送として、乗合バスが活用されて、普及していきました。現在日本での乗合バスは、原則として「道路運送法」に基づく一般乗合旅客自動車運送事業の免許を必要とし、運賃改定にあたっては運輸大臣 (陸運局長) の認可を必要としています。また、同法第3条により一般自動車運送事業に分類され、その中の一般乗合旅客自動車運送事業(乗合旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)とされています。そんな民営バスの駅や案内所にスタンプが設置されているところもいくつかありました。
〇新潟交通新潟駅前案内所(1975.9.21押)---設置年?:サイズ縦6.7cm×横6.9cm
 新潟県新潟市の新潟交通新潟駅前案内所に設置されていたスタンプです。1943年(昭和18)に新潟電鉄と新潟合同自動車と合併して、新潟交通が発足しました。白山前駅〜燕駅間の鉄道事業と旅客運送事業(路線バス、貸切バス)などを行う会社でしたが、1999年(平成11)4月4日をもって、鉄道線がすべて廃止となり、新潟県下でのバス運行主体の会社となっています。
〇会津バス案内所(1978.5.4押)---設置年?:サイズ縦6.2cm×横6.2cm
 福島県会津若松市の会津バス案内所に設置されていたスタンプです。見にくいですが、図柄の左側に会津若松城天守閣を描き、中心部は会津地方の郷土玩具「赤べこ」に乗った小原庄助さん(民謡「会津磐梯山」の主人公)、右側上部は会津磐梯山と会津地方を象徴するものでした。
〇羽後交通田沢湖バスターミナル(1979.11.25押)---設置年?:サイズ縦7.5cm×横7.5cm
 秋田県仙北市の羽後交通田沢湖バスターミナルに設置されていたスタンプです。田沢湖(秋田県)は、水深日本一(最深423.4m)のカルデラ湖で、美しい瑠璃色の湖水を湛えてきました。その中に、辰子姫伝説にちなんで立てられた、たつこ像が金色の輝きを放ちます。背景には、近年噴火して話題となった駒ヶ岳(秋田駒)が映え、とても美しいものでした。スタンプの周囲は田沢湖を形取り、真ん中に描かれているのがたつこ像で、中央に見える鳥居は田沢湖の北岸に鎮座する御座石神社のものです。
〇京福電鉄バス芦原湯町案内所(1980.3.19押)---設置年?:サイズ縦7.8cm×横7.8cm
 福井県あわら市の京福電鉄バス芦原湯町案内所に設置されていたスタンプです。上段に描かれているのは、景勝地東尋坊と日本海、左側上が越前岬灯台、下が曹洞宗の大本山永平寺でした。中央右側の温泉マークは芦原温泉を象徴し、越前地方の名所4ヶ所がが図案化されています。2003年(平成15)に福井県内の鉄道路線はえちぜん鉄道に譲渡され、残ったバス路線は、「京福バス」の名称で運行されるようになりました。
 
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