秘湯の旅日記(5)小滝鉱泉(栃木県) |
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*1996年1月27日(土) 宇都宮市→小滝鉱泉・ガイドブックで発見! 以前、JAFドライブガイド14「車で行ける名湯・秘湯(首都圏編)90年度版」を買い求めたときに、あまり人に知られていない湯治場や鉱泉宿が多く紹介されているのでとても面白く感じて、折に触れて見ていた。そうしたら、そんなに遠くない栃木県の矢板市に赤滝鉱泉と小滝鉱泉という山中の一軒宿を発見し、解説に「林間へわけ入る細いダートに入って、すぐ左へ折れ、道なりに谷底へと下る。勾配、カーブとも急なうえ道幅も狭く、踏みかためられていないようなハードダートなので運転にはかなり気をつかう。」と書かれていて、秘湯好きの私はとても興味をそそられた。しかし、なかなか訪れるチャンスがなくて、やっと暇を見つけて、昨晩電話で予約したのだった。ただその時に雪は大丈夫かと聞いたのだが、その返事が「おそらく、あまり残っていないとは思いますが....」というもので、それが心のスミに引っかかっていた。 ・ダートの山道を行く ともかく、午前中で仕事を終え、13時に職場を出発した。東北道に乗り、鹿沼インターで降りて、栃木県立博物館へ立ち寄った。見学後16時にそこを出て、宿に向かうが、ちょうど競輪が終わったところで車が渋滞して進まず。しかたなく、方向転換し東北自動車道を宇都宮インターから矢板インターまで一区間だけのって、先を急いだ。八方ヶ原観光道路へ出るまでは順調だったが、高原の上の方へ上ってくると、日陰には残雪が見られるようになり、不安がよぎる。路面にも雪が残るようになったところで、道ばたに”赤滝・小滝の湯”の看板を見つけ、脇道に入った。「いよいよだな!」と心につぶやき慎重にハンドルを回す。途中からは車一台がやっとという完全なダートの山道となり、ヘアピンカーブを曲りくねりながら谷底におりていく。残雪に滑らないように、慎重に、慎重にハンドルをきり、やっとのことで谷底にたどりつくとそこに目指す小滝鉱泉があった。 ・秘湯の湯に浸かる 周りは山、山、山、まさに秘湯だ!その中に赤い屋根に白い障子の古い木造3階建がたっていて、歴史を感じさせる。車を空き地に入れると、宿の女将さんが外まで出てきて、荷物を持ってくれる。「いやー、すごい道ですねー。」と言うと、「そうですね、初めてのお客さんは皆そう言われます。」とのことで、応対も手慣れたものだ。私が案内されたのは裏手に隠れていた新館の方で、きれいな建物だった。さっそく、入浴しようと思ったが、浴場は旧館に一つだけで、今女性客が入っているとのことで、遠慮して少し待つことにした。浴槽はこじんまりとしたコンクリートづくりで湯は沸かしているが、温度もちょうどよくのんびり浸かるにはとても気持ちが良い。まさに昔からの湯治場の風情でたいへん気に入った。風呂から出てすぐ夕食となったが、川魚の焼き物とさしみ、山菜のてんぷらなど地元のものばかりでとても満足した。お酒をたのんでおいしく飲みかつ食べてとても良い気分となり、その後は少し本を読んでから寝る。 ★「小滝鉱泉旅館」に泊まる。<1泊2食付 7,700円(込込)>
*1996年1月28日(日) 氏家町→宇都宮城跡→帰途に・朝の散歩に出かける 翌朝も6時にお茶と湯を持ってきてくれてサービスがよい。一服飲んでから、周辺の散歩に出かけたが、まだ1月の山中のこととて、外は寒い。それでも、この温泉の名前の由来となっている一筋の滝を見て、「どうしてこんな山中の谷底に旅館が出来たのだろうか?」「明治時代から続くと聞いたが、昔の人はどうやって来たのだろう?」などと考えていると興味が尽きない、なぞに満ちた湯治場である。旅館の前の池庭と旧館のロケーションがとても良くて、何枚か写真を撮り、少し山道を登ってみたが、やはり寒いので、そうそうに引き返した。体を温めるため朝風呂にも入って、ホッと一息つき、とても良い気持ちで湯から上がった。その後、おいしい朝食をとり、満ち足りた気持ちで宿を後にしたが、いつまでもこのままで、自然とともに谷底にあり続けてほしいと願わずにはいられなかった。再び、慎重に運転して、急坂を登り、やっとのことで八方ヶ原観光道路に出て、現実に戻った気がした。 ・氏家町、宇都宮城跡に立ち寄る それからは、氏家町の図書館で資料を探し、「ミュージアム氏家」(現在はさくら市ミュージアム)を見学した。その後、戊辰戦争の史跡を訪ねて、宇都宮城址へ行った。ここは、戊辰戦争の激戦地の一つなのだ。そこで、駐車場から出れなくなった車で困っていたおばさん二人を悪戦苦闘の上で助けて、宇都宮市立図書館へ行く。いろいろと本をさがした上で、『宇都宮市史』の戊辰戦争関係のページをコピーした。 ・例幣使街道で帰途に着く その後は例弊使街道を通って帰途に着いたのだが、この街道は、江戸時代に日光東照宮の例大祭(毎年家康の命日の4月17日開催)に“金の幣(ぬさ)”を奉納するために、朝廷から派遣された使者(例弊使)の往路iとなった道なのだ。両側に杉並木が鬱蒼と茂り、当時の雰囲気を彷彿とさせる。まるで、江戸時代にタイムスリップしたかのような感じさえする。そんな雰囲気を味わいながら、走り抜けて、戻っていった。 |
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