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名物の子育飴を売る扇屋 |
◯正解です! |
旧東海道の金谷宿と日坂宿の間に小夜の中山と呼ばれるところがあり、そこの久延寺の左隣に扇屋があって、今でも茶店を営んでいる。その名物が子育飴で江戸時代に書かれた『東海道巡覧記』には「あめのもち名物売り」として紹介されている。久延寺の本堂脇に大きな丸石があり、これが安藤広重の東海道五十三次(日坂)の浮世絵にも描かれた有名な夜泣き石(別の所にも同名の石あり)で、昔、妊婦がここで山賊に殺されたが、子供は無事に取り出されて、付近の人々に水飴で育てられ、成人の後、敵討ちをしたという話が伝わっている。これがそのまま子育飴の由来となっているのである。
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(4)子育飴−−−○小夜の中山の名物で現在でも扇屋で売っている。
【一里塚】 昔、街道の両側に1里(約4km)ごとに土を盛り、樹木を植えて、旅人の目印としたものであるが、すでに、戦国時代末期に存在していて、織田信長や豊臣秀吉が作ったとも言われている。しかし、慶長9年(1604)徳川家康が秀忠に命じて、江戸日本橋を起点として、東海、東山、北陸の三道の両側に築いて、制度化されたと考えられている。その後、時代の経過とともに荒廃し、今日でも原形をとどめているものは少ない。旧東海道でも残っているのはわずかで、錦田(静岡県三島市)、大平(愛知県岡崎市)、阿野(愛知県豊明市)、野村(三重県亀山市)の4カ所が国の史跡に指定されている。一般的に榎(えのき)を植えた一里塚が多いが、中には変わった木を植えたものもある。それでは、国の史跡野村一里塚にはどんな木が植えられているか?