旧街道めぐりカルトクイズ(2)<中山道編>

倉賀野宿の追分
◯正解です!

 例幣使街道との追分がある宿場は倉賀野宿でした。例幣使というのは江戸時代に徳川家康の命日の4月18日に行われる日光東照宮祭礼に、朝廷から派遣される勅使のことで、中山道を東下、倉賀野宿の追分から分かれて、楡木宿で壬生街道といっしょになって日光に向かった。それで、倉賀野宿から楡木宿までの間の道を特に例幣使街道と呼ぶようになった。

 (1)倉賀野宿−−○例幣使街道との追分がある宿場

 (2)高崎宿−−−×三国街道との追分がある宿場

 (3)追分宿−−−×善光寺(北国)街道との追分がある宿場

 (4)下諏訪宿−−×甲州道中との追分がある宿場

 (5)洗馬宿−−−×善光寺西(北国西)街道との追分がある宿場


◇さあー、次の問題です。


☆問題(2)  B級問題(正解だと思う番号をクリックして下さい)

【峠道】 中山道には難所としての峠道が何カ所かあったが、その中でも標高が2番目に高い難所で、峠の頂上が、日本海側と太平洋側の分水嶺となっている。そして、現在でも石畳の道が残されていて江戸時代の面影をよく残している峠はどこか?

 (1)塩尻峠

 (2)和田峠

 (3)馬籠峠

 (4)碓氷峠

 (5)鳥居峠