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笠取峠の松並木 |
◯正解です! |
慶長7年(1602)徳川幕府が小諸藩に赤松753本を下付、芦田宿のはずれから笠取峠の頂上まで植えさせたことによって並木が出来た。その後も補植されてきたが、年々本数が減り、大正13年(1924)には229本、昭和29年(1954)には173本、昭和46年(1971)には129本となり、現在ではさらに本数が減少している。それでもなお、数百mにわたって、松並木としての風情をとどめている。
(2)赤松−−−−○現在でも数百mにわたって、赤松の並木が残り、昔の面影をとどめている。
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【古戦場】 中山道などの街道は戦略上も重要な位置を締め、以前から街道上で戦いが繰り広げられた。現在では古戦場として石碑が立ち、公園となっている所もいくつかある。新町宿と本庄宿の間を流れる、神流川の土手に「神流川古戦場跡」の碑が立っているが、ここでは天正10年(1582)に織田信長が本能寺の変で討たれた後、北条方と織田方とで激しい戦があった。織田方が負けて、二千七百余人死者が出たと言われ、近在に首塚や胴塚が残されている。それでは、このときの織田方の大将は誰だったか?