旧街道めぐりカルトクイズ(2)<中山道編>
天正10年(1582)6月2日、本能寺の変を知った織田軍の関東方面の大将滝川一益は、その居城厩橋(現前橋)を出発し、金久保で先鋒の北条氏邦軍と対陣、神流河原で戦った。そこへ小田原から北条氏直が3万人の大軍を率いて来援し、ついに滝川一益軍は二千七百余人の戦死者を出して敗れ、厩橋城に逃げ帰った。現在でも周辺に多くの死者を弔った首塚や胴塚が残されている。
(1)羽柴秀吉−−−×当時の織田軍の中国方面の大将で毛利方と対峙していた。
(2)柴田勝家−−−×当時の織田軍の北陸方面の大将で上杉方と対峙していた。
(3)滝川一益−−−○当時の織田軍の関東方面の大将で北条方と神流川で戦って敗戦した。
(4)徳川家康−−−×当時の織田軍と同盟を結び、招かれて堺にいて、命辛々逃げ帰った。
(5)丹羽長秀−−−×当時の織田軍の四国方面の副大将で、織田信孝と四国に渡ろうとしてた。
◇さあー、次の問題です。
【神社】 中山道などの街道の沿道には多くの神社があり、道行く旅人たちが参拝していった。浦和宿の近くにも、式内社の調(つき)神社があり、古来から調宮の名で広く知られていた。この神社には入口右手に日蓮駒繋ぎの欅があり、鳥居がないとか、境内林に松が一本もないなど変わった点があるが、本来入り口の両側にあるべき狛犬が別の動物に置き換わっているのも不思議である。それではこれはどんな動物が置かれているのか?
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