*2006年4月16日(金) 自宅→新潟→両津→姫崎→赤泊→小木
・新潟へ
金土日と3連休が取れたので、十数年ぶりに佐渡島に行って、岬と灯台巡りをすることにしたが、天気は思わしくなく、土曜日は晴れそうだけど、後は、曇りか雨の予報だ。
フェリーで愛車ごと島に渡るつもりなので、新潟港9時20分発に間に合うように、早朝4時半に自宅を出立した。
まず、500円払って、外環自動車道に乗り、大泉ジャンクションから関越自動車道へと乗り継いだ。平日の早朝のこととて、渋滞はなく、快適に北上していった。順調に上越国境は越えたものの、天気は思わしくなく雨が落ちてきた。新潟県側は一面の雪景色で、今年の大雪の影響で、かなりの積雪が残っている。
そんな中、休憩も取らずにひたすら走り続けていくと、長岡市近くになって、ようやく田んぼの雪も消え、雨も上がってきた。
8時前には新潟西インターで下りたものの、新潟市内の出勤ラッシュとぶつかり、思うように車が進まない。それでも、8時半前には佐渡汽船フェリーターミナルへ到着した。
通常、佐渡島へ普通車を航送するには、フォレスターだと往復で28,260円かかるんだけど、特別の「春割きっぷ」だと往復15,000円と47%の割引になるんだ。最初は、航送せずに島でレンタカーを借りようかとも考えたけど、インターネットで調べたら割引料金があることを知ったので、決断した。
・フェリーで両津港へ
渡航手続きをすませ、食堂で朝食を取ってから、9時20分発の「おおさど丸」に車ごと乗り込んだんだけど、平日の朝のこととて、空いていて、2等客室もガラガラだった。まだ、佐渡の旅行シーズンには早いようだ。
しかし、天候は曇りで、風が強く、あまりデッキにいることは出来なかったので、新潟港内を航行しているときに写真を撮っただけで、船室に引きこもることとなった。だが、以前佐渡汽船に乗ったときより、船も大型化しているようで、1万1千トンの船体は、日本海の荒波にもあまり揺らぐことはなかった。100円で毛布を借りて、横になっていたんだけど、朝からの運転疲れを癒すことは出来たみたいだ。
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新潟港に停泊する大型カーフェリー |
船上から見た新潟の工場地帯 |
・両津周辺を巡る
定刻通り、12時前に両津港に着岸したんだけど、まず、加茂湖を眺めながら、「両津郷土博物館」へ向かうことにした。一周する前に、佐渡の歴史や民俗、風土について予備知識を得ておきたかったからだ。次に、博物館で教えられて、昼食を取るために道の駅「芸能とトキの里」へ立ち寄り、展望大食堂へ入った。いかながも丼(1,000円)という珍しいメニューを注文したんだけど、美味しかった。ここからは加茂湖の展望も良くて、快適だ。食後は、併設されている「能楽館・能楽資料館」(700円)を見学したのだが、ロボット仕掛けで、薪能「道成寺」を演じてくれた。世阿弥が流刑されたことにより、島内に能が広まったんだけど、現在でも能舞台がいくつも残され、演じられているところもあるようだ。
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両津郷土博物館の外観 |
道の駅「芸能とトキの里」 |
・本間家能舞台を見学
その後、道の駅の前にある「本間家能舞台」を見学したのだが、案内板によると「本間家は戦国時代当地にあった城主の家柄とも伝えられ、戦乱の難を逃れた本間家の末裔秀信は寛永一八年(1641)奈良で能楽を修めて帰着。享保五年(1711)佐渡奉行所より能太夫を委嘱され、爾来今日まで佐渡における宝生流能楽の中心となっている。能舞台は明治一八年に再建されたと言われ、舞台建築には禅宗の影響を受けた唐様建築の扇垂木手法が用いられ、床下には音響効果を高めるため瀬戸産の瓶が一対埋められていることなどもこの舞台の大きな特色であろう。明治維新により幕府の庇護を失った能楽界の余波はこの舞台の建築にも及び、鏡板などの材質が極度に落ちていることなどからも当時の能楽界の有り様がうかがえる。昭和四六年に佐渡市文化財、平成九年には新潟県有形民俗文化財の指定を受けた。」と書かれていて、由緒ある建物であることが分かった。見学後は、時計回りでの佐渡島一周に出発した。
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本間家能舞台跡入口 |
本間家能舞台 |
・姫埼灯台へ
まず、海岸線に出てから、南下して姫崎を目指したんだけど、ここには、現役最古の鉄造灯台があって、一度見てみたかったんだ。佐渡南東部は、あまり観光地化はされていないようで、道が悪い。県道から左折して、灯台へ至る道へ入ると一段と細くなり、車一台がやっと通れるくらいになった。それでも、なんとか先端へたどり着き、駐車場へ車を入れた。灯台へと至る小径には、各種の花が咲いていて、春らしさを感じさせるが、曇りがちで、風は少し冷たい。
姫埼灯台は、1895年(明治28)12月10日に初点灯した当時のままの鉄造灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなり、「世界灯台100選」、「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台となっている。外観は、宇宙ロケットのような形をしていて、とてもユニークだ。まず、「姫埼燈台館」を見学してが、ここは、無人化によって、使われなくなった旧退息所を利用して、1993年(平成5)に開設された資料館だ。なかなか趣のある建物で、中にはいると回転灯器や不動フレネル式レンズなどが展示され、壁には、佐渡島にある灯台の写真がかかっていて、解説が付されている。見学後は、いろいろな角度から灯台を撮影した。
階段を下って、海を見てみたが、岩礁が発達していて、波が砕け散っている。遊歩道が崩壊していて、通行止めになっていたのは、残念だったが、ここからの眺望はすばらしく、西方向には両津湾を望み、バックに大佐渡の山々が見渡せる。南東方向の海岸線には、岩礁が発達し、出入りの激しい景観を成している。また、北方向や東方向はどこまでも広がる日本海で、海のすばらしさが堪能できた。しばしの間、海岸線の風景をカメラに収めていたが、この沖合は、両津〜新潟航路となっていて、佐渡汽船のカーフェリーやジェットホォイルが通っていくのがよく見える。望遠で捉えて何回かシャッターを切ってから、引き返してきた。
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姫埼灯台 |
旧退息所を利用した資料館 |
・城ヶ鼻灯台へ
そこから、本の県道に復し、再び海岸線に沿って西方に走り出したが、野浦の集落に差し掛かると前方に白い灯台があるのを発見した。これが、城ヶ鼻灯台かと、接近してみようと思ったが、道路はその下をトンネルで潜っていて、灯台は断崖状にあり、登り口が見つからない。近所の人に聞いてみると、ずっと迂回して、集落の中のお地蔵さんの所から、徒歩で行けば灯台へ登れるとのこと。さっそくそちらへ車を回し、小径を歩くことにした。急勾配の坂を上っていくと、尾根道へ出て、そのまま進むとトンネルの上を通って、墓地へと至った。周辺には、きれいな海岸線が続いているのだが、雑木がじゃまをして、なかなか写真を撮れる場所がない。そうこうしている内に、先端にある城ヶ鼻灯台へとたどり着いた。いろいろな角度からシャッターを切り、木々の隙間から、海も撮影して、戻ってきた。
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城ヶ鼻と城ヶ鼻灯台 |
城ヶ鼻灯台 |
・鴻ノ瀬鼻灯台へ
車に戻って、再び西進していったが、海岸線の道路は、眺望が良くて、気持ちがよい。景色を楽しみながら走行している内に、前方に白亜の鴻ノ瀬鼻灯台が見えてきた。この灯台のある松ヶ崎は、本州に一番近い所とのことで、昔は佐渡島への玄関口となっていたとのことで、日蓮聖人もここから上陸したとか...。灯台周辺は、公園となっていて、そんなことを書いた碑も立っていた。
この鴻ノ瀬鼻灯台は、高さが22mもある堂々としたもので、見栄えがする。砂浜海岸に建っているので、どの角度からも撮影でき、ぐるっと一周しながらシャッターを切っていった。この頃には天気もかなり回復していて、撮影条件は良くなってきていた。
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鴻ノ瀬鼻灯台 |
日蓮上人が詠んだという歌碑 |
・赤泊港へ立ち寄る
その後は、再び海岸線を走り出したが、ここから赤泊へ至る区間は、ほんとうに道が狭くて、曲がりくねったところもあって、走りづらい。断崖絶壁になって、海に落ち込んでいるようなところでは、慎重にハンドルを回していった。
赤泊港は、昔から佐渡へ入口となっていたところで、現在でも寺泊との間に高速船が就航している。そんな歴史や民俗を訪ねるために、港の脇にある赤泊郷土資料館へ立ち寄ってみた。ここでは、「丹下左膳」の著者林不忘こと長谷川梅太郎のコーナーがあって、目を引いた。また、赤泊港の重要性やいろいろな奇祭があることを知って、興味深かった。
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赤泊港のモニュメント |
赤泊郷土資料館 |
・今日の宿、小木温泉「旅館 かもめ荘」へと至る
見学後は、一路小木を目指し、今日の宿小木温泉「旅館 かもめ荘」へと至り、部屋に荷物を置き、一服してから浴場へと向かった。ここの温泉は男女別に分かれ、露天風呂も併設されているが、まだ寒いせいか露天風呂には入れなかった。内湯は大きめの岩風呂で、サウナもある。お湯は、源泉43.5℃のナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉(アルカリ性・低張性・高温泉)で、やや濁りがあり、気持ちよく入浴することが出来た。
浴後部屋で休んでいたら、夕食は部屋に運ばれてきたが、二の膳まで付き、刺身(ヒラメ、甘エビ、ハマチ、カナガシラ等)、カニ足、カレイ煮付、肉鍋、ナガモ酢、デザート(イチゴ、オレンジ)と新鮮な海の幸が並べられて、1泊2食付9,600円(込込)の割には豪華だった。お酒も地元の銘酒「北雪」を冷やで2合頼み、美味しく飲みかつ食べた。
食後は、明日の旅程を考えたり、横になって、テレビを見ていたらまどろんできたので、眠りに就いた。
☆小木温泉「旅館 かもめ荘」に泊まる<1泊2食付9,600円(込込)>
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小木温泉「かもめ荘」の外観 |
小木温泉「かもめ荘」の露天風呂 |
小木温泉「旅館 かもめ荘」のデータ |
標準料金 |
1泊2食付 8,800円〜(込込) |
宿泊定員 |
木造平屋建 和室12室 |
住所、電話 |
〒952-0604 新潟県佐渡市小木町11-7 TEL(0259)86-2064 |
交通 |
直江津港より佐渡汽船で1時間40分、小木港下船後徒歩約10分 |
特徴 |
島南部の探勝に便利、魚介類中心とした島の味が美味。 |
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温
泉
分
析
表 |
源泉名 |
小木温泉 かもめ荘 |
湧出地 |
新潟県佐渡市 |
湧出量 |
? |
知覚 |
? |
泉質 |
ナトリウム・カルシウム-硫酸潮・塩化物泉 |
泉温分類 |
43.5℃(高温泉) |
pH値 |
?(アルカリ性) |
溶存物質総量 |
?(低張性) |
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小木温泉「かもめ荘」の夕食 |
小木温泉「かもめ荘」の朝食 |
*2006年4月15日(土) 小木→尖閣湾→願→弾埼→両津
・朝の散歩に出る
翌朝は、早起きして6時半頃からカメラ片手に散歩へ出かけた。まだひんやりとはするが、そんなに寒いわけではない。海岸線を歩きながら小木港まで行ってみた。ここからは、直江津への航路があり、カーフェリーが通っている。また、たらい舟でも知られているところだ。まだ、朝のこととて、人気は少ないが、商店街は店を開ける準備を始めているところもある。そんな街並みを歩いていくと、ツバメの飛び交うのが頻繁にみられた。よく見ると、商店の軒先に巣がいくつもあって、街の人々に中にとけ込んでいるようにも思えた。1時間ほど街をぶらついて、宿へと戻っていったが、なんだか懐かしい気がした。
帰ると、朝風呂に入って、汗を流したが、とても清々しい。リフレッシュして部屋での朝食を済ませ、出立の準備を整えた。
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佐渡汽船小木航路のカーフェリー「こさど丸」 |
小木港のたらい舟 |
・佐渡国小木民俗博物館を見学
8時半過ぎには宿を出て、南端の沢崎の方へと向かったが、途中昔ながらの街並みが残る宿根木に立ち寄っていくことにした。まず、9時の開館とほぼ同時に「佐渡国小木民俗博物館」へ入ってみた。ここは、廃校になった木造校舎を利用したもので、とても懐かしい感じのする建物だ。それに併設して、千石船展示館があったので、まずそちらから見学したが、1858年(安政5)に宿根木で建造された「幸栄丸」を実物大に復元し、「白山丸」として展示してあって、とても興味深かった。この宿根木は、日本海航路の千石船寄港地となっており、江戸時代から明治時代までたいへん栄えたことを知った。
民俗資料館の方は、3万点余りの民俗資料が所狭しと展示されていて、興味を引かれるような面白い物も数多くあり、新館も含めて、予想外に時間を取られてしまった。
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千石船展示館の幸栄丸 |
「佐渡国小木民俗博物館」の民俗資料館 |
・宿根木集落を散策
見学後は、長い階段を下って、町並み保存地区へも足を踏み入れてみたが、まるで時間が止まったようなレトロな建物空間があって、驚いた。この地区は、江戸時代から明治時代まで、日本海航路の千石船寄港地となっていて、たいへん栄えたとのこと。現在でも、伝統的建造物は106棟にのぼり、そのほとんどが船大工たちによる板張りで作られた外壁を持つ2階建ての家屋なのだ。とても貴重な町並みなので、1991年(平成3)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。その中で、公開されている「清九郎」「金子屋」では内部も見学したが、往時の繁栄を伺わせる立派な建物に感心した。
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宿根木集落の街並み |
・尖閣湾に出る
その後、佐渡島最南端にある沢崎鼻灯台に立ち寄り、写真を撮ってから、海岸線に沿って北上し、台ヶ鼻灯台、佐渡長手岬灯台と巡った。長手岬は、学生時代にキャンプしたところで、とても懐かしく感じた。
それからも北上を続け、「ワイドブルーあいかわ」に併設する食堂で昼食を取ってから、尖閣湾の揚島遊園へと至った。ここにある佐渡大埼台は、園内にあるので、入園料500円が必要だったが、絶景が展開し、水族館もあり、その2階は、「君の名は」のロケ写真&民具資料館となっていて、とても興味深かった。ただ、風が強いのには閉口した。
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尖閣湾 |
尖閣湾の「君の名は」碑
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・願集落の賽の河原
見学後も北上を続け、入埼灯台、関岬灯台と写真を撮っていった。そして、佐渡島最北の集落“願”へと至った。ここには賽の河原があり、内田康夫の推理小説「佐渡伝説殺人事件」にも描かれ、テレビのロケ地ともなっていて、以前から立ち寄ってみたかったのだ。防潮堤の所に車を駐め、片道15分ほど歩いて行ってきたが、最果てのもの悲しさと信仰心の耕作したような不思議な空間で、何度もシャッターを切った。
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願集落の賽の河原 |
・弾埼灯台へ
その御、大野亀に立ち寄ってから、へと至ったが、ここは映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地として有名で、菜の花畑越しにみた灯台も絵になっていた。ここでも、周囲を巡りながら写真を撮りまくった。隣接する「フィルドパークはじき野」に立ち寄って、「喜びも悲しみも幾年月」の像をカメラに収めてからは、両津目指して南下していった。途中、宮ノ埼灯台に立ち寄ったんだけど、これで佐渡島にある11の沿岸灯台すべてを巡ったことになり、今回の旅の目的の一つを達成した。
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弾埼灯台 |
弾埼灯台と「喜びも悲しみも幾年月」の像 |
・住吉温泉「寿月館」へ至る
それからも、海岸沿いに南下して、両津の街へと至り、佐渡島一周を果たし、満足して、今日のの宿、住吉温泉「寿月館」へ入った。
部屋で一服すると、すぐに浴場へと向かったが、泉質の良いのには驚かされた。8軒の宿で協同使用の源泉だが、すぐ近くにあるとのことで、少し濁った掛け流しの湯がとても心地よかったのだ。佐渡島一周の旅の疲れを癒し、良い気分となった。
浴後、しばらく部屋で休んでいたら、広間での夕食となったが、加茂湖名産のカキ鍋、佐渡特産の刺身(イカ、甘エビ)、アジ塩焼き2尾、イカ塩辛、煮付(コンニャク、ゴボウ、ニンジン、シイタケ、麩)、蕎麦などが食卓に並べられ、1泊2食付7,500円(込込)にしては豪華だった。お酒も冷やで2合頼んで、美味しく頂いた。
食後は、部屋に戻り、明日のコースを思案したり、テレビを見ている内に眠くなり、床に就いた。
☆住吉温泉「寿月館」に泊まる<1泊2食付7,500円(込込)>
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住吉温泉「寿月館」の外観 |
住吉温泉「寿月館」の内風呂 |
住吉温泉「寿月館」のデータ |
標準料金 |
1泊2食付7,500円〜(込込) |
宿泊定員 |
木造二階建 和室12室 |
住所、電話 |
〒952-0604 新潟県佐渡市住吉229 TEL(0259)27-7069 |
交通 |
新潟港より佐渡汽船カーフェリーで2時間20分、両津港下船後、路線バス5分、住吉温泉前下車 |
特徴 |
島内の探勝に便利、魚介類中心とした島の味が美味。 |
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温
泉
分
析
表 |
源泉名 |
住吉温泉 |
湧出地 |
新潟県佐渡市 |
湧出量 |
? |
知覚 |
? |
泉質 |
ナトリウム-塩化物泉 |
泉温分類 |
47.2℃(高温泉) |
pH値 |
?(弱アルカリ性) |
溶存物質総量 |
3,108.0mg(低張性) |
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住吉温泉「寿月館」の夕食 |
住吉温泉「寿月館」の朝食 |
*2006年4月16日(日) 両津→相川→佐和田→両津→新潟→自宅
・「ゴールデン佐渡(佐渡金山)」を見学
翌日は、朝から雨模様で、恒例の散歩も海岸までで、写真を撮っただけで、戻ってきてしまった。その後、朝風呂に入って、さっばりし、朝食を済ませて、8時半頃には出立の準備を整えた。
宿を出て、国中平野を西へ走り、相川へと至って、まず「ゴールデン佐渡(佐渡金山)」を見学した。ここは、閉山した佐渡金山の坑道を観光用に再利用したもので、内部には、各種の説明と電動式人形によって、昔の採掘現場を再現してあった。なかなか興味深く見学し、資料館もじっくり見学して、知見を得た。それによると、江戸時代に幕府直轄の金山があった所で、幕府の財政を支える上で、大きな役割を果たすと共に、罪人の流刑地としても有名になった。金山遺跡のうち相川鉱山関係遺跡が「佐渡金銀山遺跡」として、1994年(平成6)に国の史跡に指定されている。また、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されているとのことだ。尚、大立竪坑櫓、大立竪坑捲揚機室、道遊坑及び高任坑、高任粗砕場などが「旧佐渡鉱山採鉱施設」として、2012年(平成24)に国の重要文化財に指定されている。
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史跡佐渡金山の入口 |
鉱夫の様子を示す人形 |
・「佐渡博物館」と「佐渡歴史伝説館」を見学
見学後は、来た道を戻り、佐和田へ出て、「佐渡博物館」へも立ち寄った。民間の施設ではあるけれど、展示内容も充実していて、いろいろな角度から佐渡を知ることが出来た。
続いて、真野御陵の隣にある「佐渡歴史伝説館」も見学したが、こちらは新しい施設で、ロボットによって、場面ごとに佐渡の歴史や伝説を語るようになっていた。これはこれで、面白く見学したが、雨が降り出してきていて、傘を持たずに入館したので、車へ戻るのに苦労した。
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佐渡博物館の玄関 |
佐渡歴史伝説館の外観 |
・「新穂歴史民俗資料館」を見学後、両津港から新潟港へ
その後は、両津へ戻りつつ、「新穂歴史民俗資料館」へも立ち寄ったが、佐渡の民俗には独特なものがあり、興味をそそられた。
それからは、両津港へと至って、両津発12時40分発新潟行きフェリーで、島を出たが、船上から、デザイン灯台の一つで“佐渡おけさ”を踊っているような両津港北防波堤灯台が見え、とてもユニークなので、何回もシャッターを切っておいた。
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両津の街並み |
両津港とおけさ灯台 |
・関越自動車道を通って帰途に就く
15時10分のほぼ定刻どおりに新潟港に着き、下船後、新潟西インターから北陸自動車道へ入り、関越自動車道へと乗り継いだ。
順調に走り続けていったんだけど、埼玉県へ入るところから渋滞が始まっていたので、東関東自動車道へ迂回し、伊勢崎インターで下りてからは、上武国道等の下道をたどって、帰ってきた。
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