*2007年1月26日(金) 自宅→姫路城→姫路港→福田港→鹿島海岸
・姫路へ
金土日と3連休が取れたので、どこへ行こうかと思案したんだけど、関東周辺は天気が崩れそうなので、思い切って、気候の穏やかな瀬戸内海の小豆島へ出かけることにした。
朝5時過ぎに自宅を出立し、最寄りの駅よりJR線に乗り、東京駅まで出てきた。そこから新幹線に乗り換えたのだが、運悪く「のぞみ号」には姫路行きの良い便がないので、「ひかり号」で行くことになった。
自由席に乗って、山側に座り、明け始めた景色を眺めていた。雪を頂いた富士山や茶畑の風景をぼんやりと見ている内に、どんどん西へ西へと走っていった。
新大阪駅を過ぎる頃から車内が空いて来たので、海側に席を移動し、今度は瀬戸内海を見ている内に、姫路駅へと到った。 ・姫路城を見学する
ここから、フェリーで小豆島へ渡るつもりなんだけど、その前に姫路城を見たくなり、コインロッカーに荷物を入れ、首からカメラをぶら下げて、大手前通を歩いていった。しかし、近づいてくる姫路城の雄姿は壮大だ。日本一の城郭建築で、国宝でかつ、世界文化遺産となっているのもうなづける。
約15分ほどで正面登閣口にたどりつき、600円で入場券を買い、パンフをもらって、それを読んで予備知識を得た。
この城の天守閣の完成は1609年(慶長14)、優れた築城家として知られる池田輝政の時のこと。日本一の名城と評判の高い姫路城は、その外見の美しさから「白鷺城」と呼ばれ、1994年(平成5)には世界文化遺産にも登録されている。5層6階の大天守と東、乾、西の小天守を渡櫓で結ぶ、連立式天守で、近世城郭の最高技術水準を示しているそうだ。各層の逓減率があまり大きくなく、安定感あり、千鳥破風、唐破風が巧みに組み合わされ、白漆喰総塗籠となっている。
歴史的には、今から約670年前の1333年(元弘3)、播磨の守護職、赤松円心(則村)が、ここ姫山に砦を築き、その子貞範が館を設けたのがその始まりとされているそうだ。しかし、最近では、黒田重隆と職隆が、1555年(天文24)から1561年(永禄4)の間に御着城の出城として築いたという説が有力となっているとのこと。その後、1580年(天正8)、羽柴秀吉が中国攻めの根拠地として3層の天守閣を築いた。池田氏の後は本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏めまぐるしく城主がかわって廃藩置県を迎えることとなる。天守閣群の他に、櫓26基、門15棟、石垣、土塁、堀などが残り、城郭建築の宝庫と言われているのだ。
まず、菱の門を潜ったが、ここから三国壕越しに見る天守群がとりわけ美しい。ここだけで、何回もシャッターを切ることになった。その後、左に折れ、西の丸の百間廊下から見学し始めたが、千姫ゆかりの化粧櫓には興味を持った。
はの門の前から見上げる姿も美しく、ここも撮影ポイントだ。にの門、ほの門と通過して、天守群の裏手から、備前丸へと回り込んでくると、大天守が仰ぎ見られるが、その壮大さには圧倒される。よくこれほどのものを造ったと感嘆せざるを得ない。
大天守の中に入るとその堂々とした柱や梁に驚かされ、階段を登っていくごとに城下の眺めが良くなっていった。最上階からの展望はすばらしく、まさに一国一城の主の気分になれる。ほんとうにすばらしい場所だ。
小天守を巡りながら下りてきて、腹切丸、お菊の井戸と巡ったが、いろいろな伝説に彩られているのも、大城郭に所以たるものであろう。二の丸を通って、菱の門へと戻り、売店で絵葉書やガイドブックを買い求めてから城郭を後にした。
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姫路城の連立天守閣 |
はの門から見る天守閣 |
・フェリーで小豆島福田港へ
その後、駅の方へと歩いていったが、昼を過ぎていたので、駅前の「すし宗」という店に入って、穴子寿司を食べた。
食後は、コインロッカーから荷物を引き出し、バスに乗って、姫路港へと向かった。13時35分発の小豆島急行フェリーに乗船し、瀬戸内海を行ったが、海風が冷たかった。それでも、時々デッキに出て、写真を撮っていた。ほぼ定刻通り、15時15分頃には小豆島福田港に到着する。
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姫路港に停泊するフェリー |
小豆島福田港 |
・鹿島海岸の「小豆島シーサイドホテル松風」へと至る
福田港からは土庄行きの小豆島バスに乗った。北回りの方が時間が短いとのことで、右手に海を見ながら揺られていった。運転手は、珍しくも若い女性で、地元の小学生と訛り言葉で語らっていたのが印象に残った。
土庄本町へ着いてからは、宿まで歩くことになったが、途中雨も落ちてきて、明日の天気が心配になった。それでも、15分少々で鹿島海岸にある「小豆島シーサイドホテル松風」までたどり着いた。
通された部屋からは、海がとてもよく見え、風光明媚で気に入った。さっそく、浴室へと出向いて、旅の汗を流したが、ここの湯はオリーブ温泉が使われている。
しばらく、部屋でくつろいでいたら、18時くらいに別室での夕食となった。フグ鍋、タコたたき、刺身(ホタテ、イカ、タイ)、海老塩焼、メバル煮物、牛ステーキ、天ぷらなどの海の幸が並べられ、1泊2食付1万円(込込)で泊まった割には、充分な内容だった。お酒も冷やで2本頼み、美味しく飲みかつ食べた。
後は、部屋に戻って、明日のコースを考えたり、テレビを見たりしていたら、眠くなってきたので、早めに床に就いた。
☆「小豆島シーサイドホテル松風」に泊まる<1泊2食付10,000円(込込)>
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「小豆島シーサイドホテル松風」の外観 |
「小豆島シーサイドホテル松風」の内湯 |
「小豆島シーサイドホテル松風」のデータ |
標準料金 |
1泊2食付 10,000円〜(込込) |
浴室 |
内湯2(男1・女1)、露天風呂2(男1・女1) |
宿泊定員 |
鉄筋コンクリート造三階建 和室31室 |
住所、電話 |
〒952-0604 香川県小豆郡土庄町甲1481-1 TEL(0879)62-0848 |
交通 |
新岡山港よりフェリーで1時間10分、土庄港下船後車約5分(無料送迎バスあり) |
特徴 |
島の探勝に便利、魚介類中心とした島の味が美味。 |
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温
泉
分
析
表 |
源泉名 |
オリーブ温泉 |
湧出地 |
香川県小豆郡土庄町 |
湧出量 |
? |
知覚 |
? |
泉質 |
カルシウム・ナトリウム-塩化物泉 |
泉温分類 |
31.0℃(温泉) |
pH値 |
8.6(弱アルカリ性) |
溶存物質総量 |
12,244.5mg(高張性) |
ラドン含有量 |
3.4マッヘ/s |
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「小豆島シーサイドホテル松風」の夕食 |
*2007年1月27日(土) 鹿島海岸→西光寺→苗羽→岬の分教場→池田
・朝の散歩に出る
朝起き出して、明るくなりつつあった7時頃から、散歩に出かけた。いくら温暖な小豆島といえども、この季節は寒い。防寒をしっかりして、カメラを携えて、海岸へと出てみた。もう陽が昇った時刻だと思うんだけど、水平線には雲がかかっていて、朝日は見えなかった。しかし、しばらく砂浜沿いに歩いていると、雲の切れ間から陽が差し始めた。それがとてもきれいだったので、何回もシャッターを切りながら、感激していた。その後、案内板を頼りに、小豆島八十八ヶ所霊場第59番の「甘露庵」へ行ってみることにした。街並みをくねくねと歩き、急な階段を上ったところに小さな庵があり、そこが「甘露庵」だった。冬の早朝のこととて、人の姿も見えなかったが、鹿島海岸がよく眺望でき、その静かなたたずまいと共にえらく気に入った。
宿に戻ってからは、朝風呂に入り、冷え切った体を回復させた。浴後すぐに、別室での朝食となり、美味しく頂いて、出発の準備を整えた。今日は、一日小豆島を巡るつもりなので、レンタカーを借りる所はないかと女将に尋ねたら、近くのガソリンスタンドがレンタカー屋も兼業しているとのことだったので、行ってみることにした。
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鹿島海岸の朝日 |
小豆島八十八ヶ所霊場第59番「甘露庵」 |
・「小豆島 尾崎放哉記念館」を見学
9時前に宿を立ち、教えてもらった「関西レンタカー」に立ち寄って、16時まで、7時間小型車を借りることにしたが、6,000円とのことだった。レンタカーに乗ってからは、まず近くにある西光寺の南郷庵跡へ立ち寄ってみることにした。ここは、俳人尾崎放哉が庵主として最後の8ヶ月を過ごした終焉の地で、墓もあり、庵の跡には「小豆島
尾崎放哉記念館」が建てられていた。1994(平成6)年4月に開館したそうで、貴重な資料が展示され、庭には句碑も建てられていた。放哉は、東京帝国大学法学部卒業のエリートでありながら、身を持ち崩し、いくつかの寺を転々として、最後にたどり着いたのがこの小豆島だったとのこと。しかし、自由律俳句の天才で、斬新な歌を詠み、病魔と闘いながらの最後には、感銘深いものを感じた。墓に手を合わせながら、42歳で逝った生涯を追想してみたが、胸にこみ上げてくるのを感じた。良く知られている句は、『咳をしても 一人』、『入れものがない両手で受ける』、『足のうら洗えば白くなる』、『春の山のうしろから 烟が出だした』などだが、妙に共感を覚えた。
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「小豆島 尾崎放哉記念館」 |
俳人尾崎放哉の墓 |
・「道の駅 小豆島ふるさと村」と「オリーブ園」に立ち寄る
その後は、土庄町を離れて東進し、海岸沿いに地蔵崎の方へと向かっていった。途中「道の駅 小豆島ふるさと村」に立ち寄ったが、閑散としていて、「手延べ素麺館」へ行ってみても案内をしてくれる分けでもなく、実演もしていなくって、拍子抜けした。それでも、窓越しに素麺の干してある様子だけは見学した。
次に、岬の先端の方へと向かっていったんだけど、道は細くなり、急峻な崖上を曲がりくねって走っていくので、ちょっとハンドルを切り間違えれば、転落しかねない。慎重にハンドルを回しながら、やっと地蔵埼灯台までたどり着いた。展望台があり海がきれいに見えるのだが、風が強くって、じっとしていられないような状態だった。それでも、灯台と海に向けて何枚も写真を撮った。
それからは、岬の東側を北上し、「オリーブ園」も見学した。オリーブの木を見るのは珍しく、園内を巡りながらシャッターを切ったが、背景に内海湾を配し、風光明媚なところだ。ついでに、売店で土産物も買い求めた。
続いて、「小豆島民俗資料館」を探したけど見つからず、聞くと廃止されて観光案内所となっていたのには驚かされた。島の民俗を知る上には貴重な施設だと思ったのだが...。
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「オリーブ園」のオリーブの木 |
「オリーブ園」から見た内海湾
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・「マルキン醤油記念館」へ立ち寄る
その後は、苗羽の方へと向かうと、“醤の郷”という看板が目立つようになり、小さな醤油工場がいくつかあった。そんな中を通っていくと、大きな「マルキン醤油」の工場が見えてくる。昔ながらの工場の雰囲気を湛えていて、興味をそそられて、「マルキン醤油記念館」へ立ち寄っていくことにした。入館料は210円なんだけど、記念に小型の醤油を1本プレゼントしてくれるので、徳をした気分になる。展示で醤油の製造工程がよくわかり、圧搾工場だけは、窓越しにのぞくことも出来て、良い勉強になった。
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マルキン醤油記念館 |
マルキンの醤油蔵 |
・黒島伝治碑と壺井繁治詩碑を訪ねる
次に近くにあるプロレタリア作家黒島伝治文学碑「一粒の砂の千分の一の大きさは世界の大きさである」を見学したが、壺井繁治・栄夫婦が建立したとのことだ。見学後、昼食に名物の素麺を食べ、堀越にある壷井栄の夫であった壺井繁治詩碑「石は億萬年を黙って暮らしつづけた その間に空は晴れたり曇ったりした」を訪ねた。
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黒島伝治文学碑
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壺井繁治詩碑 |
・岬の分教場へ
その後、岬の分教場へと向かった。壺井栄著『二十四の瞳』の舞台となったところで、学生時代に一度訪れたことがある。その時は、対岸の小豆島ユースホステルに泊まって、おなご先生のように自転車で岬に向かって、走ってきた記憶が蘇ってきた。とても懐かしく思い、建物もよく保存されていて、小説の場面を彷彿とさせ、映画のシーンも思い出して、感動を新たにした。
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岬の分教場の外観 |
岬の分教場の内部 |
・「二十四の瞳映画村」にも立ち寄る
続いて、「二十四の瞳映画村」にも立ち寄った。ここは、2度目の映画化(1987年松竹作品・朝間義隆監督)の時に造られたオープンセットを公開したもので、「壺井栄文学館」も併設されている。中に入ると、昭和初期のレトロな雰囲気が漂っており、映画のシーンを彷彿とさせるのだ。「松竹座映画館」というのもあって、実際の映画も見ることが出来、感激した。じっくりと見ながら写真を撮っていったので、結構時間がかかってしまった。 見学後は、来た道を戻って、坂手にある壺井栄文学碑と生田春月詩碑も見てから、今度は大門鼻の先端へと向かうことにした。ここにある大門鼻灯台は、道路脇の少し下がったところにあり、あまり目立たない。しかし、周辺の海はとてもきれいだった。
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壺井栄文学館 |
映画に使われたバス |
・寒霞渓へ
何枚か写真を撮ってから、東側の海岸線に沿って北上し、今度は寒霞渓へと向かうことにした。しかし、レンタカーを返す時間が迫っていたので、ロープーウエイの紅雲亭駅周辺の写真を撮っただけで、戻ることになってしまったのは残念だ。
それからは、ひたすらに来た道を戻り、土庄町へと帰り、16時ぎりぎりに車を返すことが出来て、ホッとした。
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寒霞渓ロープーウエイの紅雲亭駅 |
寒霞渓ロープーウエイ |
・小豆島ふるさと村の「国民宿舎 小豆島」へ至る
その後は、徒歩で土庄本町まで行き、30分位待って、16時50分発の坂手港行きのバスに乗った。10分ほどで池田平木のバス停までは着いたが、そこから宿までの道のりが大変だった。風が強く、雨も降ってきた上に、かなり登り坂が続き、30分近くを費やしたのだ。やっとの想いで、小豆島ふるさと村の高台にある「国民宿舎
小豆島」へとたどり着いてホッとした。どうも、小豆島の宿は交通の便が悪くて困る、これだったらレンタカーを明日の朝まで借りれば良かったかと後悔した。まあ、小豆島霊場巡りの地だから、もともとは徒歩で回るのがほんとうなのだろうが...。
部屋に荷物を置くと、さっそく浴室へと向かい、旅の疲れを癒したが、ここもオリーブ温泉が使われていた。浴後、18時半から食堂での夕食となったが、食卓には、シタビラメ(地元ではゲタと呼ばれる)の焼物、刺身、ワタリガニ、肉鍋、デザート(イチゴ)などが並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、美味しく頂いた。
食後は、部屋に戻って横になり、テレビを見ていたらまどろんできたので、床に就いた。
☆「国民宿舎 小豆島」に泊まる<1泊2食付7,500円(込込)>
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「国民宿舎 小豆島」の外観 |
「国民宿舎 小豆島」の玄関 |
「国民宿舎 小豆島」のデータ |
標準料金 |
1泊2食付7,700円〜(込込) |
浴室 |
内湯2(男1・女1) |
宿泊定員 |
鉄筋コンクリート造二階建 洋室9質、和室18質、特別室1室 |
住所、電話 |
〒761-4301 香川県小豆郡土庄町池田1500-4 TEL(0879)75-1115 |
交通 |
高松港よりフェリー1時間、池田港下船後町営バス12分、国民宿舎前下車後すぐ(池田港から送迎バス可) |
特徴 |
島内の探勝に便利、魚介類中心とした島の味が美味。 |
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温
泉
分
析
表 |
源泉名 |
小豆島オリーブ温泉 |
湧出地 |
香川県小豆郡小豆島町 |
湧出量 |
66 L/分 |
知覚 |
白色微混濁にて無臭である |
泉質 |
単純弱放射能泉 |
泉温分類 |
37.3℃(温泉) |
pH値 |
8.81(弱アルカリ性) |
溶存物質総量 |
226.0mg(低張性) |
ラドン含有量 |
9.5マッヘ/s |
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「国民宿舎 小豆島」の夕食 |
「国民宿舎 小豆島」の朝食 |
*2007年1月28日(日) 土庄港→新岡山港→岡山城→岡山駅→自宅
・土庄港へ
朝起き出して、明るくなり始めた頃から、宿の周辺を散策してみたが、景色は良いものの、あまり巡るところもないし、寒いので、15分ほどで戻ってきてしまった。後は、朝風呂に入って、冷えた体を回復した。浴後は、すぐに食堂で、朝食を取り、出立の準備を整えた。
丘を下ったところにある国民宿舎のバス停まで、5分ほど歩いたんだけど、往路はここまで来るバスがなかったので、30分も歩く羽目になってしまったのだ。時刻表を見ると、休日は1日6本ほどしかないが、この辺では妥当な本数なのだろう。
8時47分発のバスはほぼ定刻通りに姿を見せ、それにに乗り込んで、土庄港のフェリーターミナルまで直行した。新岡山港行きフェリーは9時50分まで待たなければならなかったので、平和の群像の写真を撮りに行き、お土産も買った。
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平和の群像 |
小豆島の玄関口土庄港ターミナル |
・新岡山港へ
その後、船に乗り込んだのだが、この季節のこととて、観光客も少なく船内は閑散としていた。まして、寒風の吹き抜ける展望デッキに立つ人などいなかったんだけど、海上からの写真が撮りたくて、がんばってみた。土庄港を離れると、左手には産業廃棄物の不法投棄で有名になった豊島が見える。しばらく進むと、右手に何本かの古びた煙突群が確認できたが、これが犬島の火力発電所・精錬所跡だと知れた。でも、民家や学校のようにな建物も見えたので、まだ生活している人がいるようだ。そんな風景をカメラに収めている内に、児島半島の先端にある米埼灯台が見えだした。2年ほど前に、この灯台へ陸路で行った時には、道らしい道もなく、海岸沿いの崖をよじ登ったりして、苦労してたどり着いたことを思い出した。海上からは、障害物もなくよく見えるので、進行にあわせて、何回もシャッターを切った。
フェリーは児島湾の奥へと進んでいき、右手には臨海工場地帯が見え、正面に児島湾大橋が近づいてきた頃に、右に大きくカーブして、新岡山港へ到着した。
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フェリーから見た米埼灯台 |
新岡山港へ到着したフェリー |
・岡山城へ
ターミナル前からバスに乗り、JR岡山駅まで到ったが、すでに正午近くになっていた。
駅のコインロッカーに荷物を入れると、カメラを携えただけで、路面電車に乗った。たった3駅だけだが、乗りながら写真を撮りたかったのだ。西日本の都市には、路面電車が残っている所が多く、都市景観に彩りを添えている。排気ガスも出さないし、地下鉄やモノレールと違って、階段を上り下りしなくていいので、お年寄りや障害者にもやさしいし、便利な乗り物だと思う。最近、世界中で見直されて来ていて、新たに路線を造るところもあるように聞く。とても良いことだと思うのだが...。
城下の電停までは、数分で着き、歩いて岡山城天守閣の方へと向かった。腹も空いてきたので、途中の食堂に入って、名物ままかり寿司をたべたんだけど、とても美味しかった。
食後は、本丸へと入っていったが、天守閣は太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の 空襲時に焼けてしまい、1966年(昭和41)に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。内部は資料館になっていて、岡山城の歴史が順を追って展示されている。まず、エレベーターで最上階へと上ったが、眺望はすばらしく、特別名勝の後楽園がきれいな姿を見せている。東西南北の窓から景色を眺め、カメラに収めてから、階段を下りつつ、各階の展示を見ていった。
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岡山市街の路面電車 |
岡山城復元天守閣 |
・後楽園と「県立博物館」を見る
天守閣を出てからは、後楽園へと向かい、園内を一巡したんだけど、さすがに天下の3名園の一つと言われるだけにすばらしい。池泉回遊式の大名庭園で、後景に天守閣を配する造りがみごとだ。所々で立ち止まりながら、写真を撮りつつ、じっくりと見て回った。 それからは、正門前にある「県立博物館」にも立ち寄り、知見を得てから、月見橋を渡った。
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岡山後楽園 |
「岡山県立博物館」の外観 |
・岡山駅から新幹線で帰途に就く
往路と同じように、城下の電停から路面電車に乗って、岡山駅へと戻っていき、15時5分発の「のぞみ号」東京行きで、帰途に着いた。
今回の旅は、小豆島がメインだったけど、とても気に入った。とにかく風光明媚で、のんびりしていて、海の幸に恵まれていて...。天気もまずまずで、いい写真も撮れたので、良い旅だったかな...。
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