温泉めぐりカルトクイズ(2)<歴史編>

下諏訪宿追分前の綿の湯跡
◯正解です!

◇問題(5)の解答

 中山道下諏訪宿は以前から温泉がわくことで有名で、江戸時代の『木曽路名所図絵』にも「下諏訪駅中に三所あり。旅人及び駅中の人、みな平生入浴す。……」と記されています。この三カ所の共同湯が児湯、旦過湯、綿の湯ですが、当時、児湯は宿内の者専用で、旦過湯は慈雲寺の雲水のための旦過寮に属していたので、ふつう一般の旅人が入浴することができたのは綿の湯でした。この共同湯は甲州道中との追分の前にあって、諏訪明神の神湯とされていました。現在、建物が壊されて入浴することが出来ませんが、源泉は残されていて、復元の計画があると聞きます。他の二つはそれぞれ“遊泉ハウス児湯”、“旦過の湯”として公衆浴場となって現在に至っています。それ以外にも現在下諏訪の町には“新湯”、“菅の湯”など多くの公衆浴場があり、温泉を楽しむことができるのです。

 (1)児湯−−−×江戸時代から続く共同湯の一つだが、当時は伝馬宿内の者だけが使用した。

 (2)新湯−−−×現在の下諏訪にある共同湯の一つだが、昭和2年に出来、他と比べ新しい。

 (3)旦過湯−−×江戸時代から続く共同湯の一つだが、慈雲寺雲水の為の旦過寮の湯だった。

 (4)綿の湯−−○この共同湯は甲州道中との追分の前にあって、一般の旅人が入浴できた。

 (5)菅の湯−−×これも現在の下諏訪にある共同湯の一つだが、他と比べ新しい。


◇さあー、次の問題です。


☆問題(6) <正解だと思う番号をクリックして下さい> 難易度 D級★★★★

【温泉ホテルの草分け】 箱根には旧東海道沿いに古来から温泉が湧いていて、湯治場としてにぎわっていました。江戸時代には箱根7湯といわれて、繁栄していましたが、明治の文明開化以後、街道から鉄道へ交通体系が変わりつつあり、諸分野で、近代化が求められるようになってきました。その中、日本にたくさん来るようになってきた外国人に目をつけ、7湯のひとつ宮ノ下温泉に、外国人専門の洋式ホテルが開業しました。明治11年(1878)に、福沢諭吉門下の山口仙之助によって、営業を開始した日本のホテルの草分けと言えば?

 (1) 富士屋ホテル

 (2) 奈良屋

 (3) 金谷ホテル

 (4) 箱根ホテル

 (5) 萬翠楼福住