温泉めぐりカルトクイズ(2)<歴史編>

白浜温泉の共同浴場「牟婁の湯」
◯正解です!

◇問題(8)の解答

 『日本書紀』巻第26(舒明天皇)の3年(657)9月の記事で、牟婁の湯(白浜温泉)に行ったとされているのは有間皇子です。当時は、天皇家内での争いが絶えず、この翌年(658)に、斉明天皇と中大兄皇子らが、紀温湯(これも白浜温泉)に療養に行った隙に、有間皇子の変が起こり、囚われの身となって、紀温湯へ送られていったのでした。その後、藤白坂(和歌山県海草郡)で処刑されてしまうことになるのです。現在、白浜温泉には、その最古の温泉の歴史を伝える共同浴場「牟婁の湯」や海浜の露天風呂「崎の湯」があって、古代を偲びながら入浴できます。

 (1) 高市皇子−−−×

 (2) 古人皇子−−−×

 (4) 有間皇子−−−○

 (3) 草壁皇子−−−×

 (5) 大友皇子−−−×


◇さあー、次の問題です。


☆問題(9) <正解だと思う番号をクリックして下さい> 難易度 E級★★★★★

【奥の細道の温泉】 元禄2年(1689)、俳聖松尾芭蕉は門人曾良を伴って、奥の細道の旅に出ました。その中で、東北・北陸地方の温泉地にも何カ所か立ち寄っています。それでは、以下の紀行文『奥の細道』の一説の中で、吟じられている俳句「○○や菊は手折らぬ湯の匂」の○○の部分が指し示している温泉地はどこですか?

温泉に浴す。その効有馬に次ぐといふ。
 ○○や菊は手折らぬ湯の匂
あるじとする者は久米之助とて、いまだ小童なり。かれ
が父俳諧を好み、洛の貞室若輩の昔ここに来りしころ、
風雅に辱められて、洛に帰りて貞徳の門人となつて世
に知らる。功名の後、この一村判詞の料を請けずといふ。
今更昔語りとはなりぬ。

『奥の細道』 松尾芭蕉著

 (1) 那須温泉

 (2) 飯坂温泉

 (3) 温海温泉

 (4) 鳴子温泉

 (5) 山中温泉