<岬と灯台写真館>
白崎と菅島灯台(三重県)
2005年12月30日午前に菅島の白崎(三重県)で撮った写真です。
帰省途中に鳥羽市へと至り、佐田浜港発11時35分発の市営定期船に乗り、菅島へと向かったのですが鳥羽湾内の波は穏やかで、とても風光明媚です。20分弱で到着し、下船後港の前の軽食喫茶で昼食をすませ、菅島灯台へと遊歩道を歩いていきました。最初は海岸縁を巡る平坦路でしたが、途中から急な上り勾配となり、アップダウンしながら、先端へと向かっていきました。この島は東西約4kmの細長い島で、灯台はその東北端の白崎に立っています。1873年(明治6)7月に初点灯したレンガ造の現役では日本最古の洋式灯台で、かの“灯台の父”と呼ばれる英国人技師ブラントンの設計・建設によるもので、以前から一度来たいと思っていました。岬の尾根筋に小さな門があり、その奥に、ヨーロッパの古城を思わせる白亜の美しい灯台が見えてきて、あまりのすばらしさに息を飲みました。国産の白色レンガを使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席したという由緒あるものなのです。無人化によって使用されなくなった退息所(灯台職員官舎)は、国指定重要文化財となり「明治村」に移築保存され、以前見学したことがあります。ここから望む神島や伊良湖岬はとてもすばらしく、灯台や周辺の景色を何十枚もカメラに撮し込みました。その後、遊歩道を巡り、監的哨跡へも登ってみましたが、ここからみる景色もすばらしかったのです。建物の屋上からは360度の眺望があり、鳥羽湾から伊良湖水道そして神島まで見渡せて感嘆の声を上げました。もちろん写真を撮りまくったことは言うまでもありません。その後、尾根路を西へ歩き、役行者の石碑のあるところから港への急坂を下っていきました。港の前に菅島小学校があるのですが、校舎の一部に灯台がモチーフされていて興味を持ちました。
☆菅島灯台 | 地図 |
菅島灯台 (2005年12月30日撮影) |
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<特徴> <歴史> <現況> |
菅島灯台のプレート | 菅島灯台の塔頂部 |
北方向(大築海島)を望む | 東方向(太平洋)を望む | |
南方向(黒崎)を望む |
白崎にある菅島灯台へは、港から海岸沿いの遊歩道を登って、20分ほどかかりますが、ここから望む神島や伊良湖岬はとてもすばらしく、灯台や周辺の景色を何十枚もカメラに撮し込みました。
監的哨跡 | 菅島灯台を望む | |
菅島港と鳥羽湾を望む | 答志島を望む | |
大築海島を望む | 神島と伊良湖岬を望む |
監的哨跡(旧陸軍の施設で砲弾の着弾点を確認するための監視所)へも登ってみましたが、ここからみる景色もすばらしかったのです。廃墟となっているコンクリート造建物の屋上からは360度の眺望があり、鳥羽湾から答志島、伊良湖水道そして神島、伊良湖岬まで見渡せて感嘆の声を上げました。もちろん写真を撮りまくったことは言うまでもありません。
菅島漁港の風景 | ||
鳥羽市営の定期船 | 菅島灯台をモチーフにした菅島小学校 |
菅島と鳥羽佐田浜の間は鳥羽市営定期船(所用18分)で結ばれています。港の前に菅島小学校があるのですが、校舎の一部に灯台がモチーフされていて興味を持ちました。ここでは、灯台は島のシンボルなのです。
明治村に移築されている旧菅島灯台退息所 (2004年11月29日撮影) |
2004年1月2日、実家に帰省した折りに、愛知県犬山市の入鹿池湖畔にある博物館明治村へ立ち寄りました。ここには、明治時代の建物などが100万uの広大な敷地に建ち並び、有料で公開されています。その中に、1873年(明治6)、「灯台の父」と呼ばれるR・H・ブラントンによって建設された煉瓦造の旧菅島灯台退息所(国指定重要文化財)が移築されていて、内部には灯台レンズなどの貴重な資料も展示されています。他に、現存する日本最古の洋式灯台である旧品川灯台(国指定重要文化財)や1904年(明治37)建設の鉄造灯台である小那沙美島灯台も移築されています。
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