<灯台用語集>
船舶が海上での位置を知るための道しるべとなる岬・港湾に立つ灯台や無線方位信号所、霧信号所などを航路標識と呼んでいます。これは、「航路標識法」という法律の第2条第2項において、「航路標識とは、灯光、形象、彩色、音響、電波等の手段により港、湾、海峡その他の日本国の沿岸水域を航行する船舶の指標とするための灯台、灯標、立標、浮標、霧信号所、無線方位信号所その他の施設をいう。」と定められています。航路標識には多様なものがありますが、光波標識(光や形を利用したもの)、音波標識(視界が悪い時に音で位置を知らせるもの)、電波標識(電波を利用して位置を知らせるもの)、その他の標識(文字などを利用して知らせるもの)に区分され、下表のような種類があり、海上保安庁が発行している『灯台表』に掲載されています。
『灯台表』とは海上保安庁が発行している書誌で、世界の灯台の要目が一目でわかるものです。『灯台表』第1巻は日本に相当するもので、北海道、本州、四国、九州沿岸、南方諸島及び南西諸島に設置されている航路標識などが掲載されています。 これには灯台の、航路標識番号、名称、位置(緯度経度)、灯質、灯高、光達距離、塗色・構造、高さ、明弧などが書かれています。つねに新しい情報が提供できるように毎月『追加表』が作成され、配布されています。
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「灯台表」第1巻と追加表 |
航路標識番号とは、『灯台表』第1巻で航路標識を識別するために付与された識別番号ですが、光達距離15海里以上の航路標識には、頭にFを付けた国際番号が併記されています。灯台には4〜7桁の番号が付され、北海道南岸から始まって反時計回りで太平洋側からオホーツク沿岸を経て、日本海側の北海道西岸へと付けられています。その後の番号は本州北西岸山口県から日本海側を北上し津軽海峡から太平洋側へと続き、瀬戸内海から九州、沖縄に至っています。ちなみに、航路標識番号の最初は北海道南岸にある白神岬灯台の0001番で、沿岸灯台の最後は日本最西端、沖縄県与那国島にある西埼灯台の7252番ですが、防波堤灯台も入れると同じく与那国島にある久部良港西崎防波堤灯台の7254番ということになります。ただし、灯台以外の航路標識も入れると宮古島航空無線局の9504番が航路標識番号の最後となります。航路標識番号には欠番も多く、すべての番号が航路標識に対応しているわけではありません。
区切りの良い記念になる航路標識番号一覧 |
航路標識番号 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
0001 |
白神岬灯台 |
北海道松前町 |
1888年(明治21)9月15日 |
航路標識番号の最初 |
1000 |
丹後鷲埼灯台 |
京都府伊根町 |
? |
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5000 |
臼石鼻灯台 |
大分県杵築市 |
1914年(大正3)3月1日 |
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7000 |
金武中城港金武第4号灯浮標 |
沖縄県金武町 |
? |
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7252 |
西埼灯台 |
沖縄県与那国町 |
1957年(昭和32)11月26日 |
沿岸灯台の最後 |
7254 |
久部良港西崎防波堤灯台 |
沖縄県与那国町 |
1912年(明治45)3月20日 |
防波堤灯台の最後 |
9504 |
宮古島航空無線局 |
沖縄県宮古島市 |
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航路標識番号の最後 |
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航路標識番号の最初0001番の白神岬灯台 |
航路標識の中の光波標識(灯光・形象・彩色によるもの)で、『灯台表』では、「船舶が陸地、主要変針点又は船位を確認する際の目標とするために沿岸に設置した構造物及び港湾の所在、港口などを示すために港湾などに設置した構造物で、灯光を発し、構造が塔状のものを灯台、同じく柱状のものを灯柱といいます。」と解説されています。現在、日本では3,300以上の灯台が設置され、海上保安庁が管轄しています。
これらの灯台は、設置場所や大きさ、材質などにより以下のように分類することが出来ます。
灯台の中で、船舶が陸地、主要変針点又は自船の位置を確認する際の目標とするため、岬や沿岸の顕著な場所に設置されているものを「沿岸灯台」と呼んでいます。
灯台の中で、港湾の所在、港口などを示すために港湾や漁港の防波堤の先端に設置されている灯台を「防波堤灯台」と呼び、港の奥に向かって左側は白色、右側は赤色に塗装されています。光が遠くまでとどく必要がないので小型なものです。
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鴨川港左側の白色灯台 |
鴨川港右側の赤色灯台 |
灯台の大きさは、使用する灯台レンズの等級によって決められ、第1等レンズ、第2等レンズ、第3等レンズ、または、90cm・120cm回転灯器を使用しているものを大型灯台と呼びます。
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大型灯台で第3等大型レンズを使う樺島灯台 |
大型灯台で90cm回転灯器を使う落石岬灯台 |
灯台の大きさは、使用する灯台レンズの等級によって決められ、第4等レンズ、第5等閃光レンズ、または、60cm・40cm・30cm回転灯器、キセノン灯器を使用しているものを中型灯台と呼びます。
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中型灯台で第4等レンズを使う大王埼灯台 |
中型灯台で40cm回転灯器を使う日和山灯台 |
灯台の大きさは、使用する灯台レンズの等級によって決められ、第5等不動レンズ、第6等不動・閃光レンズ、または、375mm以下の無等不動レンズを使用しているものを小型灯台と呼びます。
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小型灯台で300mmレンズを使う番所鼻灯台 |
小型灯台で300mmレンズを使う飯岡灯台 |
航路標識の中で、船舶に障害物の存在を知らせるために、暗礁、岩礁、防波堤先端などを照射するもので、灯台に併設されている場合が多く、灯台と同じ灯塔に組み込まれている時もあります。
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出雲日御碕灯台と並び立つサカグリ照射灯 |
蒲生田岬灯台に組み込まれたシリカ碆照射灯 |
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大崎鼻灯台に組み込まれた三曳碆照射灯 |
航路標識の中で、通航困難な水道、狭い港口などの航路を示すために、航路の延長線上の陸地に設置した2基を一対とする構造物で、灯光を発するものをいいます。ちなみに、灯光を発しないものは導標と呼んで区別しています。船舶が航行する見通し線上にあたる陸上に、低い塔(前灯)と高い塔(後灯)が一対になって立っているので、船舶はこれら一対の塔の光が上下に並んで見えるように進めば、安全な航路上に導かれるようになっています。
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七浦港導灯前灯 |
七浦港導灯後灯 |
航路標識の中で、視界が悪いときに音で船舶に位置を知らせる音波標識として、霧信号所があります。「霧笛」とも呼ばれますが、たいてい灯台と同じ場所に設置されていて、その鳴り方(周期といい鳴っている時間と休んでいる時間の間隔)が灯台毎に異なっているために、どこから発せられているか識別できるようになっているのです。音の発し方は多くが、ダイヤフラムホーン(電磁式発信器)に変わりましたが、犬吠埼灯台では、エアーサイレン(圧搾空気方式)が残されています。1879年(明治12)12月20日、尻屋埼灯台(青森県東通村)に、日本で初め
ての霧信号として霧鐘が設置されたので、それを記念して12月20日が、霧笛記念日となっています。しかし、電波標識の整備に伴い廃止されるところが増え、現在日本では、20ヶ所ほどしか残っていません。
霧信号所を併設する主要な灯台 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
宗谷岬灯台 |
北海道稚内市 |
1885年(明治18)9月25日 |
日本最北端の灯台 |
稚内灯台 |
北海道稚内市 |
1900年(明治33)12月10日 |
灯塔高日本第2位 |
納沙布岬灯台 |
北海道根室市 |
1872年(明治5)7月12日 |
日本最東端の灯台 |
花咲灯台 |
北海道根室市 |
1890年(明治23)11月1日 |
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落石岬灯台 |
北海道根室市 |
1890年(明治23)10月15日 |
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湯沸岬灯台 |
北海道浜中町 |
1951年(昭和26)6月1日 |
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厚岸灯台 |
北海道厚岸町 |
1890年(明治23) |
大黒島にある |
広尾灯台 |
北海道広尾町 |
1959年(昭和34)3月1日 |
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襟裳岬灯台 |
北海道えりも町 |
1889年(明治22)6月25日 |
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日和山灯台 |
北海道小樽市 |
1883年(明治16)10月15日 |
「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となった灯台 |
大間埼灯台 |
青森県大間町 |
1921年(大正10)11月1日 |
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トドヶ埼灯台 |
岩手県宮古市 |
1902年(明治35)3月1日 |
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陸前大島灯台 |
宮城県唐桑町 |
1890年(明治23)11月1日 |
1938年(昭和13)5月に霧信号所併設 |
四子ノ埼灯台 |
宮城県女川町 |
1926年(大正15)8月 |
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塩屋埼灯台 |
福島県いわき市 |
1899年(明治32)12月15日 |
参観灯台、「喜びも悲しみも幾歳月」縁の灯台 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
日本で2番目に高いレンガ建築、第1等灯台、参観灯台 |
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犬吠埼灯台の霧信号所(エアーサイレン) |
日和山灯台の霧信号所(ダイヤフラムホーン) |
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尻屋埼灯台で使用されていた日本初の霧信号の霧鐘 |
航路標識の中で、電波を利用して位置を知らせる電波標識として、無線方位信号所があります。特定の無線電波を発して、船舶に方位や位置を教え、その航行を助ける施設ですが、中波標識とマイクロ波標識(レーマークビーコン、レーダービーコン)に分けることが出来ます。たいていは、灯台に併設されていますが、中波標識とマイクロ波標識の両方を備えている所もあります。
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禄剛埼灯台のレーマークビーコン塔 |
布良鼻灯台のレーダービーコン塔 |
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犬吠埼灯台の中波無線標識 |
航路標識の中の特殊なもので、レーダーやテレビカメラ等により、多くの船の動きをとらえ、船舶の航行安全に必要な情報を提供する施設として、船舶通航信号所があります。収集した情報を無線電話、一般加入電話または電光表示板により、船舶に伝えています。また、船舶への情報提供と航行管制を一元的に行っている海上交通センターも船舶通航信号所に含まれます。
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伊勢湾海上交通センター |
東京湾海上交通センター |
灯台の位置は、航行する船の海図上でもはっきり分かるように、緯度と経度であらわされます。尚、測量法及び水路業務法の法律改正によって、2003年(平成14)4月1日から、海で使う緯度・経度の基準は全て世界測地系に統一されました。それまで、日本測地系であらわされていたものは、値が少し変化しましたが、位置が変わったわけではありません。ちなみに、日本の東西南北の一番端に位置するのは以下の灯台です。
日本の一番端に位置する灯台一覧 |
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名称 |
所在地 |
灯台の位置 |
初点灯 |
最北端 |
宗谷岬灯台 |
北海道稚内市 |
北緯 45度31分17秒, 東経 141度56分11秒 |
1885年(明治18)9月25日 |
最東端 |
納沙布岬灯台 |
北海道根室市 |
北緯 43度23分07秒, 東経 145度49分01秒 |
1872年(明治5)7月12日 |
最南端 |
波照間島灯台 |
沖縄県竹富町 |
北緯 24度03分27秒, 東経 123度47分08秒 |
1959年(昭和34)5月5日 |
最西端 |
西埼灯台 |
沖縄県与那国町 |
北緯 24度27分05秒, 東経 122度56分11秒 |
1957年(昭和32)11月26日 |
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日本最北端の宗谷岬灯台 |
日本最東端の納沙布岬灯台 |
普通、白亜の灯台と言われるように真っ白に塗られる場合が多いようですが、赤色の灯台もありますし、雪国などでは、特に雪の中でも目立つように、白と黒や白と赤の縞模様に塗られることが有ります。また、無塗装の灯台として、男木島灯台(香川県高松市)、角島灯台(山口県豊北町)、そして、六連島灯台(山口県下関市)が有りますが、塔頂部は白く塗装されています。
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白と黒の縞模様に塗られた生地鼻灯台 |
白と赤の縞模様に塗られた幌灯台 |
灯台の構造と言った場合、外見上の形と材質が表示されています。灯台の材質については、次々項をご覧下さい。灯台の形は様々で、大きくは、塔形、円錐形、柱形、やぐら形などに分類されます。大規模な灯台は、ほとんど塔形で、その横断面により、円形、八角形、六角形、四角形などに分けられますが、組み合わされたものや少し変形したようなものもあり、いろいろなタイプが存在します。近年は、特に地域の特色をデザイン化したデザイン灯台も登場しています。
海上保安庁では近年、地方の歴史、伝統、文化等を次の世代に伝え遺すために、その象徴となるものあるいは記念すべきものをデザイン化した灯台を造っています。これをデザイン灯台と呼び、地域の人々の要望に応え、地元のシンボルあるいはモニュメントとなる灯台の建設を行っているそうです。その結果、ゴルフティーをイメージした川奈埼灯台(静岡県伊東市)、展望台を兼ねた門脇埼灯台(静岡県伊東市)、酒田灯台(山形県酒田市)、「月に向かって飛行するロケットの姿」をイメージした生月長瀬鼻灯台(長崎県生月町)、足摺岬灯台(高知県土佐清水市)、鵜戸神宮にちなんだ灯籠をイメージした鵜戸埼灯台(宮崎県日南市)、灯明台をイメージした美々津港灯台(宮崎県日向市)、「小田原提灯」をイメージした小田原港二号防波堤灯台(神奈川県小田原市)、ヨットの帆をイメージした淡輪港西防波堤灯台(大阪府岬町)など、独特の色や形をした灯台が誕生しています。
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デザイン灯台の一つ展望台を兼ねた門脇埼灯台 |
デザイン灯台の一つ展望台を兼ねた酒田灯台 |
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デザイン灯台の一つロケット型の足摺岬灯台 |
デザイン灯台の一つゴルフティー型の川奈埼灯台 |
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デザイン灯台の一つ“佐渡おけさ”を踊っているような両津港北防波堤灯台 |
現存する灯台を材質別に区分してみると、レンガ造、石造、鉄造、コンクリート造のものがあります。しかし、明治期には木造の洋式灯台も建設され、文化財として保存されているものもあります。
現役で活躍する材質別最古の灯台 |
材質 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
木造 |
今津灯台 |
兵庫県西宮市 |
1810年(文化7)? |
1968年(昭和43)航路標識として認定 |
石造 |
樫野埼灯台 |
和歌山県串本町 |
1870年(明治3)7月8日 |
R・H・ブラントンにより建設 |
レンガ造 |
菅島灯台 |
三重県鳥羽市 |
1873年(明治6)7月1日 |
附属官舎は明治村に移築保存 |
鉄造 |
姫埼灯台 |
新潟県佐渡市 |
1895年(明治28)12月10日
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世界灯台100選、資料館あり |
コンクリート造 |
鞍埼灯台 |
宮崎県南郷町 |
1884年(明治17) 8月15日 |
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鉄筋コンクリート造 |
清水灯台 |
静岡県静岡市 |
1912年(明治45)3月1日 |
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歴史的に見てみると、明治初期の洋式灯台は、レンガ造りのもが結構建てられました。フランス人技師F・L・ヴェルニー等によって建設された、1869年(明治2)2月11日<旧暦では1月1日>、日本で最初に点灯した洋式灯台の観音埼灯台(神奈川県横須賀市)も、レンガ造りで、四角形白塗りの洋館建で屋上に灯塔を設けていました。また、同じくF・L・ヴェルニー等によって、2番目に点灯した野島埼灯台(千葉県白浜町)も、レンガ造りでしたが、いずれも地震で倒壊し、現在では、鉄筋コンクリート造りとなっています。しかし、強度や製造上の問題から、明治後半には衰退し、1911年(明治45)8月20日初点灯の叶埼灯台(高知県土佐清水市)を最後に、新設されなくなってしまいました。しかし、F・L・ヴェルニー等によって、1870年(明治3)4月5日に建設され初点灯した品川灯台(旧:東京都)が、明治村に移設保存されていますし、イギリス人技師R・H・ブラントンによって建設され、1873年(明治6)7月1日に初点灯した菅島灯台(三重県鳥羽市)は、現役最古のレンガ造灯台として光りを放っています。また、日本で最も高いレンガ建築である、尻屋埼灯台(青森県東通村)や日本で2番目に高いレンガ建築である犬吠埼灯台(千葉県銚子市)など10基ほどのレンガ造灯台が、現役で活躍しています。
現存するレンガ造灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
旧品川灯台 |
旧:東京都品川区 |
1870年(明治3)4月5日 |
明治村に移築保存、国指定重要文化財 |
菅島灯台 |
三重県鳥羽市 |
1873年(明治6)7月1日 |
附属官舎(国指定重要文化財)は明治村に移築保存 |
御前埼灯台 |
静岡県御前崎市 |
1874年(明治7)5月1日 |
参観灯台 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
日本で2番目に高いレンガ建築、第1等灯台、参観灯台 |
尻屋埼灯台 |
青森県東通村 |
1876年(明治9)10月20日 |
日本で最も高いレンガ建築 |
口之津灯台 |
長崎県口之津町 |
1880年(明治13)5月10日 |
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屋久島灯台 |
鹿児島県上屋久町 |
1897年(明治30)1月10日 |
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馬島灯台 |
島根県浜田市 |
1898年(明治31)5月10日 |
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台場鼻灯台 |
山口県下関市 |
1900年(明治33)4月 |
1979年(昭和54)10月改築 |
守江港灯標 |
大分県杵築市 |
1900年(明治33) |
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叶埼灯台 |
高知県土佐清水市 |
1911年(明治45)8月20日 |
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現存最古のレンガ造灯台の旧品川灯台(明治村) |
現役最古のレンガ造灯台の菅島灯台 |
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日本で1番高いレンガ建築物の尻屋埼灯台 |
イギリス人技師R・H・ブラントンによって建設された、1870年(明治3)7月8日<旧暦では6月10日>初点灯の樫野埼灯台(和歌山県串本町)と、それに続く、1871年(明治4)1月1日<旧暦では明治3年11月11日>初点灯の神子元島灯台(静岡県)から石造りの灯台が建てられるようになりましたが、使われた石材は、主に付近から産出するものでまかなわれ、花崗岩、安山岩、凝灰岩などが用いられています。御影石を用いた無塗装の男木島灯台(香川県高松市)、角島灯台(山口県豊北町)、六連島灯台(山口県下関市)などには、重厚な輝きがあり、見栄えがします。また、建設以来1世紀を超えて風雪に耐え、灯塔高43.7mを誇る出雲日御碕灯台(島根県大社町)や灯塔高39.25mの水ノ子島灯台(大分県鶴見町)のような大石造灯台が現存しているのは、当時の建築技術水準の高さを示すものだと思われます。
明治期前半に造られ現役で活躍する石造灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯(本点灯) |
備考 |
樫野埼灯台 |
和歌山県串本町 |
1870年(明治3)7月8日 |
日本最古の石造灯台が現存、条約灯台 |
神子元島灯台 |
静岡県下田市 |
1871年(明治4)1月1日
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世界灯台100選、国指定史跡、条約灯台 |
江埼灯台 |
兵庫県北淡町 |
1871年(明治4)6月14日 |
大坂条約の灯台、退息所は四国村に移築保存 |
六連島灯台 |
山口県下関市 |
1872年(明治5)1月1日 |
大坂条約の灯台、無塗装の灯台 |
部埼灯台 |
福岡県北九州市 |
1872年(明治5)3月1日 |
大坂条約の灯台 |
友ヶ島灯台 |
和歌山県和歌山市 |
1872年(明治5)8月1日 |
大坂条約の灯台 |
鍋島灯台 |
香川県坂出市 |
1872年(明治5)12月15日 |
退息所は四国村に移築保存 |
釣島灯台 |
愛媛県松山市 |
1873年(明治6)6月15日 |
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潮岬灯台 |
和歌山県串本町 |
1873年(明治6)9月15日 |
1878年に木造から石造に改築、条約灯台、参観灯台 |
角島灯台 |
山口県豊北町 |
1876年(明治9)3月1日 |
無塗装の灯台、第1等灯台、参観灯台 |
金華山灯台 |
宮城県牡鹿町 |
1876年(明治9)11月1日 |
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立石岬灯台 |
福井県敦賀市 |
1891年(明治14)7月20日 |
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禄剛埼灯台 |
石川県珠洲市 |
1883年(明治16)7月10日 |
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日本最古の石造灯台である樫野埼灯台 |
灯塔高43.7mを誇る石造の出雲日御碕灯台 |
洋式木造灯台の最初は、イギリス人技師R・H・ブラントンによって建設された、1870年(明治3)7月8日<旧暦では6月10日>仮点灯の潮岬灯台(和歌山県串本町)、そして、1871年(明治4)6月14日<旧暦では4月27日>仮点灯の和田岬灯台(神戸市須磨区)、天保山灯台(大阪府大阪市)、同年10月5日<旧暦では8月21日>初点灯の石廊埼灯台(静岡県南伊豆町)などがあげられます。しかし、潮岬灯台は、1878年(明治11)に石造に改造され、和田岬灯台も1884年(明治17)に鉄造灯台に改造され、石廊埼灯台も、1932年(昭和7)11月の暴風で大破し、翌年コンクリート造で再建されています。このように、木材は耐久性などに問題があったようで、急造の灯台を造る他は用いられなくなっていきました。それでも、1873年(明治6)4月1日初点灯で、1948年(昭和23)コンクリート造に建て替えられるまで、使用されていた旧安乗埼灯台が、船の科学館(東京都)に移築保存されています。また、1876年(明治9)10月初点灯で、1950年(昭和25)まで使用されていた旧福浦灯台(石川県富来町)が保存され、石川県の史跡に指定されています。さらに、1877年(明治10)に初点灯した旧堺港灯台(大阪府堺市)は、1968年(昭和43)まで、現役で活躍していたもので、現在は、国指定史跡として保存されています。また、1810年(文化7)に、大関酒造の長部家5代目長兵衛が、私費で建設した今津灯台(兵庫県西宮市)という灯明台(和式灯台)があり、1858年(安政5)再建後は、民営灯台としてずっと光りを放ってきました。それが、1968年(昭和43)には、航路標識として海上保安庁から正式に承認され、海図や『灯台表』にも掲載されるようになっていますから、現役の木造灯台ということが出来ます。現在、西宮市の重要文化財にも指定されています。
保存されている木造灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
今津灯台 |
兵庫県西宮市 |
1810年(文化7)? |
1858年(安政5)再建、、西宮市の重要文化財 |
旧安乗埼灯台 |
旧三重県阿児町 |
1873年(明治6)4月1日 |
1948年(昭和23)コンクリート造に建替、船の科学館に移築 |
旧福浦灯台 |
石川県富来町 |
1876年(明治9)10月 |
1950年(昭和25)まで使用、石川県の史跡 |
旧堺灯台 |
大阪府堺市 |
1877年(明治10) |
1968年(昭和43)1月廃灯、国指定史跡 |
旧酒田灯台 |
山形県酒田市 |
1895年(明治28)10月20日 |
1958年(昭和33)廃灯、日和山へ移築保存、山形県の史跡 |
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木造洋式灯台で日本最古の旧安乗埼灯台(船の科学館) |
木造の旧福浦灯台(石川県富来町) |
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木造の旧酒田灯台(山形県酒田市) |
鉄造灯台の最初は、1869年(明治4)9月14日<旧暦では7月31日>初点灯の伊王島灯台(長崎県伊王島町)、そして、同年11月30日<旧暦では10月18日>初点灯の佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)で、いずれもイギリス人技師R・H・ブラントンの設計によるものでした。しかしながら、伊王島灯台は、1954年(昭和29)12月1日、灯塔上部のドームをのぞいて、鉄筋コンクリート造に改築されていますし、佐多岬灯台も、1945年(昭和20)3月18日に戦災によって破壊され、1950年(昭和25)5月にコンクリート造にて再建されています。当時の鉄材は、ほとんど欧州からの輸入に頼っていたため、たいへん高価なものでした。しかしその後、国内の鉄工業が盛んになってきて、鉄造灯台が多く建てられるようになっていきます。ただ、問題点として、海沿いに立地するため錆がつきやすく、保守が大変なのが難点でした。それも近年、鉄材の改良によって、防錆防食性が向上し、防波堤灯台、海上の灯標などが、鉄造で多く建設されるようになっています。現在保存されている最古の鉄造灯台は、1884年(明治17)に2代目として建てられた和田岬灯台(兵庫県神戸市)ですが、1963年(昭和38)に廃灯になり、須磨海浜公園の西端に移設されています。従って、現役で活躍しているもののうちで、最古の鉄造灯台は、1895年(明治28)12月10日に初点灯した姫埼灯台(新潟県佐渡市)で、世界灯台100選にも選ばれています。姫崎灯台を含む、以下の7基の鉄造灯台が明治期に造られ、いまだに現役として活躍しています。
明治期に造られ現役で活躍する鉄造灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
姫埼灯台 |
新潟県佐渡市 |
1895年(明治28)12月10日 |
現役最古の鉄造灯台、世界灯台100選、資料館あり |
横浜北水堤灯台 |
神奈川県横浜市 |
1896年(明治29) |
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室戸岬灯台 |
高知県室戸市 |
1899年(明治32)4月1日 |
第1等灯台、日本一の光度と光達距離を誇る灯台 |
関埼灯台 |
大分県佐賀関町 |
1901年(明治34)7月20日 |
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上島灯台 |
兵庫県家島町 |
1906年(明治39) |
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石狩灯台 |
北海道石狩市 |
1892年(明治25)1月1日 |
木造から1908年(明治41年)1月に鉄造に改築 |
鳥羽灯標前灯 |
三重県鳥羽市 |
1912年(明治45)3月20日 |
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:現役最古の鉄造灯台である姫埼灯台 |
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明治期建造の鉄造灯台である関埼灯台 |
明治期建造の鉄造灯台である室戸岬灯台 |
コンクリート造灯台の最初は、1871年(明治17)8月15日初点灯の鞍埼灯台(神奈川県三浦市)です。しかし、その当時は鉄筋を使用せず、要には補強用の石材が使用されていました。その後、新施工法の発見やセメントの質の向上により、鉄筋を使わないコンクリート造灯台が大正時代まで、いくつも建設されました。そして、1912年(明治45)3月1日、日本初の鉄筋コンクリート造(RC造)の清水灯台(静岡県静岡市)が点灯しました。その後、鉄筋コンクリート造(RC造)が地震や災害に強いことから、評価が高まり、建築技術も向上して、現在では、灯台建設の中心となっています。
明治期に造られ現役で活躍するコンクリート造灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
鞍埼灯台 |
宮崎県南郷町 |
1884年(明治17) 8月15日 |
日本初のコンクリート造 |
平磯灯標 |
兵庫県神戸市 |
1893年(明治26) |
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掛塚灯台 |
静岡県竜洋町 |
1897年(明治30)3月25日 |
頂部は鉄造 |
中ノ瀬灯標 |
広島県沖美町 |
1903年(明治36)4月1日 |
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面高白瀬灯台 |
長崎県西海町 |
1903年(明治36) |
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五通礁灯標 |
長崎県 |
1904年(明治37) |
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伏瀬灯標 |
長崎県崎戸町 |
1908年(明治41) |
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豆酘埼灯台 |
長崎県対馬市 |
1911年(明治44) |
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清水灯台 |
静岡県静岡市 |
1912年(明治45)3月1日 |
日本初の鉄筋コンクリート造 |
鳥羽灯標後灯 |
三重県鳥羽市 |
1912年(明治45)3月20日 |
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蓋井島灯台 |
山口県下関市 |
1912年(明治45)7月15日 |
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明治期建造のコンクリート造灯台である掛塚灯台 |
日本初の鉄筋コンクリート造の清水灯台 |
灯台レンズは、灯台の要となる重要な働きをしています。その発する光りによって、レンズが使い分けられているのです。一定間隔で、時々ピカッとする光り方(灯質)を単閃光と呼んでいますが、大型灯台の代表的な光り方(灯質)です。そのためには、単閃光レンズというのを使い、電球は点灯したままで、レンズの方を回転させているのです。その回し方で、水銀糟式回転機械を使う方法とモーターで直接回転させる方法とに分かれます。また、小型灯台では、レンズは固定しておく、不動レンズを用い、電球の方をつけたり、消したりして、光りを発している場合もあります。そして、多くはフレネル式レンズと呼ばれる形状のものを組み込んで使用し、その大きさによって等級がつけられています。
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フレネル式第1等8面閃光レンズ(旧犬吠埼灯台) |
フレネル式第4等2面閃光レンズ(観音埼灯台) |
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フレネル式第1等2面閃光レンズ(室戸岬灯台) |
フレネル式第4等不動レンズ(旧菅島灯台) |
フランスの物理学者、A・J・フレネルが考案したレンズで、それまで使われていた一枚の大きな凸レンズの代わりに、薄い複数枚のレンズを組み合わせて、同じ性能が出せるようにしたものです。厚くて重い凸レンズと違って、薄くて軽いという特徴があり、多くの灯台レンズに組み込まれて、世界中で使用されています。
フレネル式レンズの原理をみてみると、(図1)のように、光は凸レンズの表面で屈析した後はレンズの中を真っ直ぐ進み、レンズから出るとき再び屈析しています。従って、(図2)のように光が真っ直ぐ進んでいる部分だけを取り除いても、(図3)のように同じレンズとしての性能が得られるのではないかと考えたものです。このように、屈析する傾斜面のみを同心円状、または平行に並べたものをフレネル式レンズと考案者の名前をとって呼んでいるのです。
この形状のレンズは、灯台レンズに組み込まれているだけでなく、身近なところでは、ストロボの発光部やルーペなどにも使われています。
フレネル式レンズの原理 |
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一般の凸レンズの光路図 (図1) |
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光が直進する部分を取り除く (図2) |
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フレネル式レンズの光絡図 (図3) |
A・J・フレネルは、フランスの物理学者で光の波動説を唱えたことで、知られていますが、灯台の分野では、それまで使われていた一枚の大レンズの代わりに、薄い複数枚のレンズを組み合わせて、同じ性能が出せることを1822年に考案しました。これが、現在多くの灯台で使われているフレネル式レンズで、その創始者として、大きな貢献をしています。
本名をオーギュスタン・ジャン・フレネルといい、1788年5月10日、フランス大革命の前年、ノルマンディのプロイーで建築家の子として生まれました。パリ理工科大学と土木学校で学び土木技術者となり、道路建設などに携わっていました。
1815年3月、26歳の時、エルバ島に閉じこめられていたナポレオンが挙兵したのに反対し、職を投げ捨てて反ナポレオン軍に加わりましたが敗北して、一時職を失いました。
この失職時に光の研究を始め、光を波動と考えて、その収差の研究を行ない、光の回折や干渉の現象を数学的に説明することに成功しました。その研究成果によって、光の波動説の確立者と認められるになったのです。
1823年にフランス学士院会員となり、1825年にはイギリス王立協会会員ともなりましたが、1827年7月14日に39歳で亡くなっています。
重い灯台レンズを水銀槽に浮かべ、少ない力で回転出きるようにしたもの(水銀糟回転式)で、潤滑油やベアリングを使うよりも摩擦が少なく、効率よくレンズを回転させることができます。これは、1893年にフランスの灯台技師、ブール・デーユ氏が考案したものですが、日本では1897年(明治30)4月に輸入されて、初めて経ヶ岬灯台に取り付けられました。その後国産化され、その第1号が1898年(明治31)5月馬島灯台に設置されました。当初この機械は、分銅が落下するときの重力を利用して回転させていました。分銅は、人力で巻き上げたもので、1回の巻き上げで、灯塔高の高い灯台では、最長8時間ほど回転させることができたとのことですが巻き上げるには労力を要し、低い灯台では、一晩に何回も巻き上げなければならず、たいへんな作業だったそうです。現在では、小型の電動モーターによって回転させています。
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初期の水銀糟式回転器械のイメージ図 |
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水銀糟式回転器械の水銀糟 |
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水銀糟式回転器械の巻き上げ機 |
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灯台で使用していているレンズには、いちばん大きい1等から順に6等までと、6等より小さい無等(等外)という等級があり、
レンズの焦点距離の長さによって格付けされたもので、一番大きなレンズを使用している灯台が第1等灯台と言うことになります。また、第1等〜第3等レンズを使用しているものを大型灯台、第4等レンズ、第5等閃光レンズを使用しているものを中型灯台、第5等不動レンズ、第6等レンズ、無等レンズを使用しているものを小型灯台と区分しています。
レンズの等級一覧 |
等級 |
1等 |
2等 |
3等 |
4等 |
5等 |
6等 |
大型 |
小型 |
焦点距離(mm) |
920 |
700 |
500 |
375 |
250 |
187.5 |
150 |
内径(mm) |
1840 |
1400 |
1000 |
750 |
500 |
375 |
300 |
レンズの高さ(mm) |
2590 |
2068 |
1576 |
1250 |
722 |
541 |
433 |
大きな灯台は、レンズの大きさにより第1等灯台、第2等灯台、・・・という呼び方があります。第1等灯台は、最も大きな第1等レンズ(レンズ直径2m59cm、焦点距離92cm)を使用した灯台で、日本では、現在以下の6ヶ所しかありません。
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第1等灯台である経ヶ岬灯台 |
第1等灯台である犬吠埼灯台 |
灯台の光り方を、灯質と呼びます。夜間、船上から自分の位置を確認するには、灯台が最適の目標物となります。そして、その光り方(灯質)によって、どの灯台なのかを識別することが、重要となるのです。灯台、灯標、灯浮標などの航路標識は、夜になると光を出すので、「夜標」という呼び方をしていますが、 他の船や町の灯とはっきり識別できるような光を発することになっています。光の色と光の発し方の組合わせが決まっていて、どの「夜標」から出た光かが、区別出来るのです。光り方(灯質)には、たくさんの種類がありますが、以下に主なものを掲げておきます。
代表的な灯質の種類 |
種別 |
定義 |
不動光 |
光がついたままで、ついたり消えたりしないもの |
閃
光 |
単閃光 |
1個の光りを一定の間隔で発し、暗間が明間より長いもの
|
群閃光 |
2個以上の光りを一定の間隔で発し、暗間の和が明間の和より長いもの
|
急
閃
光 |
連続急閃光 |
閃光のうち毎分60回を超えて光りを連発するもの |
断続急閃光 |
群閃光の状態のうち、閃光部が毎分60回を超える比率で光りを連発するもの
|
明
暗
光 |
単明暗光 |
一定の光度をもつ光りを一定の間隔で発し、暗間が明間よりも短いもの
|
群明暗光 |
一定の光度をもつ光りを一定の間隔で2回以上発し、暗間の和が明間の和よりも短いか、同じもの
|
等明暗光 |
一定の光度をもつ光りを一定の間隔で発し、暗間と明間が同じもの |
互
光 |
不動互光 |
異色の光りを交互に発し、暗間がないもの |
単閃互光 |
単閃光のうち、異色の光りを交互に発するもの |
群閃互光 |
群閃光のうち、異色の光りを交互に交えるもの |
光度は、光の輝きを表し、単位はカンデラ(cd)です。1カンデラは、だいたいろうそく一本の輝きとのことです。灯台の光の輝きは、これであらわされていて、大きい値になるほど光度の強い灯台ということになります。尚、2003年(平成14)4月1日から、国際基準に合致した実効光度の値に変更されましたので、ほとんどの航路標識の光度は、それまでの値より小さくなりました。従って現在、日本一光度の強い灯台は、160万カンデラの光りを放つ室戸岬灯台(高知県)となっています。
光度(実効光度)の強い灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
光度 |
備考 |
室戸岬灯台 |
高知県室戸市 |
1899年(明治32)4月1日 |
160万 |
鉄造灯台、日本一の光度と光達距離、第1等灯台 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
110万 |
参観灯台、2番目に高いレンガ建築、第1等灯台 |
女島灯台 |
長崎県五島市 |
1927年(昭和2)12月1日 |
100万 |
映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台 |
潮岬灯台 |
和歌山県串本町 |
1873年(明治6)9月15日 |
97万 |
1878年に石造灯台に改築、参観灯台 |
大野灯台 |
石川県金沢市 |
1934年(昭和9)3月1日 |
97万 |
|
|
|
日本一の光度を誇る室戸岬灯台 |
110万カンデラの光りを放つ犬吠埼灯台 |
光達距離は、光が届く距離のことで海里(1海里=1,852m)という単位であらわされます。これには、光学的光達距離、地理的光達距離、名目的光達距離の3種類があります。しかし、『灯台表』や海図に記載されているのは、名目的光達距離です。光学的光達距離とは光源の光度、視程および限界可視照度から算出したもので、気象学的視程を23海里(約42.6km)、限界可視照度を2×10のマイナス7乗ルックス(つまり最もよく見えるとき)として計算したものです。名目的光達距離は光学的光達距離の気象学的視程を10海里(約18.5km)と算出したもので、これが『灯台表』と海図に載っているわけですが、一般的に言えば晴天の暗夜に見える光達距離と考えて下さい。ご存じのように、地球は丸いので、距離が離れれば離れるほど水平線に灯台が隠されてしまって、どんな強い光だったとしても届かなくなってしまいます。従って、標高のより高いところにある灯台の方が、水平線にじゃまされずに、光が遠くまで届く可能性が高くなります。ただ、あまり高いと雲に隠れてしまう確率も大きくなるので、限度があります。光達距離は、航路標識の光度、大気中を進む光りの減衰する割合、人間の眼が光りを感じる割合などの諸条件によって決まります。この諸条件を実際の灯台の見え方に近い条件に、2003年(平成14)4月1日から変更されました。これは、国際基準に合致した値にしたものです。このため、ほとんどの航路標識の光達距離の値は、それまでの値より小さくなりました。そういうわけで、日本の灯台の中で、最も光達距離の長い灯台は、室戸岬灯台(高知県室戸市)の26海里(約49km)となりました。ちなみに、それまでは、1番とされてきた余部埼灯台(兵庫県香住町)は、23海里(約43km)となっています。
光達距離の長い(24海里以上)灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
光達距離 |
備考 |
室戸岬灯台 |
高知県室戸市 |
1899年(明治32)4月1日 |
26海里 |
鉄造灯台、日本一の光度、第1等灯台 |
豆酘埼灯台 |
長崎県対馬市 |
1909年(明治42)9月1日 |
26海里 |
|
女島灯台 |
長崎県五島市 |
1927年(昭和2)12月1日 |
26海里 |
「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台 |
チキウ岬灯台 |
北海道室蘭市 |
1920年(大正9)4月1日 |
24海里 |
|
大越鼻灯台 |
東京都八丈町 |
1961年(昭和36)4月15日 |
24海里 |
|
八丈島灯台 |
東京都八丈町 |
1951年(昭和26)6月10日 |
24海里 |
|
鳥ヶ首灯台 |
新潟県上越市 |
1950年(昭和25)5月10日 |
24海里 |
|
大瀬埼灯台 |
長崎県五島市 |
1879年(明治12年)12月15日 |
24海里 |
|
瀬嵩埼灯台 |
沖縄県国頭村 |
1968年(昭和43)4月 |
24海里 |
|
|
|
光達距離26海里の豆酘埼灯台 |
光達距離24海里の鳥ヶ首岬灯台 |
明かりが見える方向のことで、灯台の光の到達方向の範囲を円弧で表示します。
|
茂津多岬灯台の明弧 |
灯台の高さといった場合に、灯塔高(又は塔高)は、地上から塔頂までの高さで、灯高は、平均海面から灯火までの高さ(標高ともいいます)、又は、地上から灯火までの高さを言います。表示では、この3つを使い分けている場合が多いので、どの高さを指しているか注意が必要です。しかし、『灯台表』では、標高が“灯高”、灯塔高が“高さ”として掲載されています。
灯台の高さの中で、地上から塔頂までの高さをいいいますが、『灯台表』では“高さ”として掲載されています。日本で最も灯塔高の高いのは、出雲日御碕灯台の43.7mで、2番目は、稚内灯台の42.7mです。ただ、灯台専用の建造物ではありませんが、併用しているものとして、横浜マリンタワー灯台(横浜市中区)の灯塔高は106m、地上から灯火までだけでも101.2mあり、ギネスブックに登録されている地上最高灯台となっています。また、民間灯台で展望台になっている江ノ島灯台(神奈川県鎌倉市)は、灯塔高59.8mあります。
灯塔高の高い(30m以上)灯台一覧 |
順 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
灯塔高 |
備考 |
@ |
出雲日御碕灯台 |
島根県大社町 |
1903年(明治36)4月1日 |
43.7m |
灯塔高日本一、世界灯台100選、参観灯台 |
A |
稚内灯台 |
北海道稚内市 |
1900年(明治33)12月10日 |
42.7m |
灯塔高日本第2位 |
B |
水ノ子島灯台 |
大分県鶴見町 |
1904年(明治37)3月20日 |
39.25m |
水ノ子島にある石造灯台 |
C |
トドヶ埼灯台 |
岩手県宮古市 |
1902年(明治35)3月1日 |
33.72m |
|
D |
舳倉島灯台 |
石川県輪島市 |
1931年(昭和6)4月1日 |
33.5m |
舳倉島にある灯台 |
E |
尻屋埼灯台 |
青森県東通村 |
1876年(明治9)10月20日 |
32.82m |
日本で最も高い煉瓦建築 |
F |
石埼灯台 |
北海道利尻富士町 |
1943年(昭和18)10月3日 |
32.23m |
|
G |
鹿嶋灯台 |
茨城県鹿嶋市 |
1971年(昭和46)3月29日 |
32.2m |
|
H |
苫小牧灯台 |
北海道苫小牧市 |
1965年(昭和40)2月3日 |
31.5m |
|
I |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
31.3m |
日本第2位の高煉瓦建築、世界灯台100選 |
J |
残波岬灯台 |
沖縄県読谷村 |
1974年(昭和49)3月30日 |
30.61m |
参観灯台 |
K |
生地鼻灯台 |
富山県黒部市 |
1951年(昭和26)2月11日 |
30.40m |
|
|
|
灯塔高日本一の出雲日御碕灯台 |
灯塔高第2位の稚内灯台 |
灯台の高さの中で、平均海面から、灯火までの高さをいいいますが、『灯台表』では“灯高”として掲載されています。日本で最も標高の高いのは、余部埼灯台(兵庫県香住町)の284.1mで、2番目に高いのは、茂津多岬灯台(北海道島牧村)の282mです。ただし、平均海面から塔頂までの高さだと、茂津多岬灯台の290m(余部埼灯台は289.1m)が最も高くなります。第3位は、粟島灯台(新潟県粟島浦村)の273.9mです。
標高の高い(200m以上)灯台一覧 |
順 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
標高 |
備考 |
@ |
余部埼灯台 |
兵庫県香住町 |
1951年(昭和26)3月25日 |
284.1m |
標高日本一 |
A |
茂津多岬灯台 |
北海道島牧村 |
1937年(昭和12)4月11日 |
282m |
平均海面から塔頂までの高さだと日本一 |
B |
粟島灯台 |
新潟県粟島浦村 |
1954年(昭和29)4月23日 |
273.9m |
標高第3位、粟島にある灯台 |
C |
都井岬灯台 |
宮崎県串間市 |
1929年(昭和4)12月22日 |
255.3m |
参観灯台 |
D |
沖ノ島灯台 |
福岡県大島村 |
1905年(明治38) |
253m |
第1等灯台 |
E |
白島埼灯台 |
島根県西郷町 |
1956年(昭和31)12月22日 |
252.3m |
|
F |
常神岬灯台 |
福井県三方町 |
1957年(昭和32)12月 |
244m |
|
G |
猿山岬灯台 |
石川県門前町 |
1920年(大正9)11月15日 |
218.9m |
|
H |
元地灯台 |
北海道礼文町 |
1954年(昭和29)6月1日 |
210.7m |
北海道で2番目の標高 |
|
|
標高第2位の茂津多岬灯台 |
標高255.3mの都井岬灯台 |
灯台が、その場所ではじめて正式に点灯(本点灯)した日をいいます。日本で最初に点灯した洋式灯台は、1869年(明治2)2月11日<旧暦では1月1日>の観音埼灯台で、2番目は、1870年(明治3)1月22日<旧暦では明治2年12月18日>の野島埼灯台です。尚、以下に初点灯の古い洋式灯台ベスト20を示しましたが、新暦で本点灯の年月日順に記しています。
初点灯の古い洋式灯台ベスト20 |
順 |
名称 |
所在地 |
初点灯(本点灯) |
備考 |
@ |
観音埼灯台 |
神奈川県横須賀市 |
1869年(明治2)2月11日 |
日本最初の洋式灯台だが、現在3代目、参観灯台 |
A |
野島埼灯台 |
千葉県白浜町 |
1870年(明治3)1月22日 |
関東大震災で倒壊し、現在2代目、参観灯台 |
B |
品川灯台 |
旧:東京都品川区 |
1870年(明治3)4月5日 |
明治村に移築保存、国指定重要文化財 |
C |
樫野埼灯台 |
和歌山県串本町 |
1870年(明治3)7月8日 |
初期のものが現存する日本最古の石造灯台 |
D |
城ヶ島灯台 |
神奈川県三浦市 |
1870年(明治3)9月8日 |
関東大震災で倒壊し、現在2代目 |
E |
神子元島灯台 |
静岡県下田市 |
1871年(明治4)1月1日
|
初期のものが現存し、国指定史跡 |
F |
剱埼灯台 |
神奈川県三浦市 |
1871年(明治4)3月1日 |
関東大震災で倒壊し、現在2代目 |
G |
江崎灯台 |
兵庫県北淡町 |
1871年(明治4)6月14日 |
初期のものが現存、退息所は四国村に移築保存 |
H |
伊王島灯台 |
長崎県長崎市 |
1871年(明治4)9月14日 |
条約灯台、1954年12月コンクリート造に改築 |
I |
石廊埼灯台 |
静岡県南伊豆町 |
1871年(明治4)10月5日 |
1932年暴風で大破し、翌年再建(コンクリート造) |
J |
佐多岬灯台 |
鹿児島県佐多町 |
1871年(明治4)11月30日 |
条約灯台、1950年5月コンクリート造にて再建 |
K |
六連島灯台 |
山口県下関市 |
1872年(明治5)1月1日 |
初期のものが現存 |
L |
部埼灯台 |
福岡県北九州市 |
1872年(明治5)3月1日 |
初期のものが現存 |
M |
友ヶ島灯台 |
和歌山県和歌山市 |
1872年(明治5)8月1日 |
初期のものが現存 |
N |
納沙布岬灯台 |
北海道根室市 |
1872年(明治5)8月15日 |
日本最東端の灯台、1930年コンクリート造に建替 |
O |
和田岬灯台 |
兵庫県神戸市 |
1872年(明治5)10月1日 |
1963年廃灯、2代目が須磨海浜公園に移設保存 |
O |
天保山灯台 |
大阪府大阪市 |
1872年(明治5)10月1日 |
廃灯 |
Q |
鍋島灯台 |
香川県坂出市 |
1872年(明治5)12月15日 |
初期のものが現存、退息所は四国村に移築保存 |
R |
安乗埼灯台 |
三重県阿児町 |
1873年(明治6)4月1日 |
初代の木造灯台は船の科学館(東京都)に移築 |
S |
釣島灯台 |
愛媛県松山市 |
1873年(明治6)6月15日 |
初期のものが現存 |
|
|
日本で最初に点灯した洋式灯台の観音埼灯台 |
日本で2番目に点灯した洋式灯台の野島埼灯台 |
国際航路標識協会(IALA)が、1998年(平成10)に提唱した、「世界各国の歴史的に特に重要な灯台100選」に選ばれた灯台で、日本では、以下のの5つです。
世界灯台100選に選ばれた日本の灯台 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
神子元島灯台 |
静岡県下田市 |
1871年(明治4)1月1日 |
初期のものが現存する石造灯台、国指定史跡 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
日本で2番目に高いレンガ建築、第1等灯台 |
姫埼灯台 |
新潟県佐渡市 |
1895年(明治28)12月10日 |
現存する日本最古の鉄造灯台 |
美保関灯台 |
島根県美保関町 |
1898年(明治31)11月8日 |
石造灯台 |
出雲日御碕灯台 |
島根県大社町 |
1903年(明治36)4月1日 |
日本で最も灯塔高の高い灯台、第1等灯台、参観灯台 |
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世界灯台100選の犬吠埼灯台 |
世界灯台100選の姫埼灯台 |
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世界灯台100選の美保関灯台 |
世界灯台100選の出雲日御碕灯台 |
海上保安庁が募集し、1998年(平成10)11月1日、第50回灯台記念日の行事として、投票によって選ばれた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の灯台です。
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日本の灯台50選のチキウ岬灯台 |
日本の灯台50選の花咲岬灯台 |
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日本の灯台50選の龍飛埼灯台 |
日本の灯台50選の大間埼灯台 |
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日本の灯台50選の大野灯台 |
日本の灯台50選の佐田岬灯台 |
日本の灯台のうち、明治時代に建設され、今なお現役で活躍しているものが67基ありますが、築後100年ほどを経過し、歴史的・文化財的価値を増してきています。そこで灯台を管轄する海上保安庁では、1985年(昭和60)に有識者を交えた「灯台施設調査委員会」を結成し、これらの灯台の文化資産的価値を検討し、価値の高い順にAランク(23基)、Bランク(10基)、Cランク(16基)、Dランク(18基)と4段階に区分しました。そして、1991年(平成3)には「灯台施設保全委員会」を設置し、 Aランクに指定された灯台について、景観を損ねない改修や保存方法をはかっているのです。これらの灯台を、一般に保存灯台と呼んでいます。
Aランクの保存灯台(23基)一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯(本点灯) |
材質 |
備考 |
神子元島灯台 |
静岡県下田市 |
1871年(明治4)1月1日
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石造 |
世界灯台100選、国指定史跡、条約灯台 |
江埼灯台 |
兵庫県北淡町 |
1871年(明治4)6月14日 |
石造 |
大坂条約の灯台、退息所は四国村に移築保存 |
部埼灯台 |
福岡県北九州市 |
1872年(明治5)3月1日 |
石造 |
大坂条約の灯台 |
友ヶ島灯台 |
和歌山県和歌山市 |
1872年(明治5)8月1日 |
石造 |
大坂条約の灯台 |
鍋島灯台 |
香川県坂出市 |
1872年(明治5)12月15日 |
石造 |
退息所は四国村に移築保存 |
釣島灯台 |
愛媛県松山市 |
1873年(明治6)6月15日 |
石造 |
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菅島灯台 |
三重県鳥羽市 |
1873年(明治6)7月1日 |
煉瓦 |
現役最古のレンガ造、附属官舎は明治村に保存 |
潮岬灯台 |
和歌山県串本町 |
1873年(明治6)9月15日 |
石造 |
1878年に石造に改築、条約灯台、参観灯台 |
御前埼灯台 |
静岡県御前崎市 |
1874年(明治7)5月1日 |
石造 |
参観灯台 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
煉瓦 |
参観灯台、2番目に高いレンガ建築、第1等灯台 |
角島灯台 |
山口県豊北町 |
1876年(明治9)3月1日 |
石造 |
無塗装の灯台、第1等灯台、参観灯台 |
尻屋埼灯台 |
青森県東通村 |
1876年(明治9)10月20日 |
煉瓦 |
日本で最も高いレンガ建築物 |
金華山灯台 |
宮城県牡鹿町 |
1876年(明治9)11月1日 |
石造 |
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禄剛埼灯台 |
石川県珠洲市 |
1883年(明治16)7月10日 |
石造 |
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鞍埼灯台 |
宮崎県南郷町 |
1871年(明治17) 8月15日 |
C |
日本初のコンクリート造 |
男木島灯台 |
香川県高松市 |
1895年(明治28)12月10日 |
石造 |
灯台資料館併設、「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台 |
姫埼灯台 |
新潟県佐渡市 |
1895年(明治28)12月10日 |
鉄造 |
現役最古の鉄造灯台、世界灯台100選、資料館 |
美保関灯台 |
島根県美保関町 |
1898年(明治31)11月8日 |
石造 |
世界灯台100選 |
経ヶ岬灯台 |
京都府京丹後市 |
1898年(明治31)12月25日 |
石造 |
第1等灯台 |
室戸岬灯台 |
高知県室戸市 |
1899年(明治32)4月1日 |
鉄造 |
日本一の光度と光達距離を誇る、第1等灯台 |
出雲日御碕灯台 |
島根県大社町 |
1903年(明治36)4月1日 |
石造 |
灯塔高日本一の灯台、第1等灯台、参観灯台 |
水ノ子島灯台 |
大分県鶴見町 |
1904年(明治37)3月20日 |
石造 |
灯塔高第3位の灯台 |
清水灯台 |
静岡県静岡市 |
1912年(明治45)3月1日 |
RC |
日本初の鉄筋コンクリート造(RC造) |
注:Cはコンクリート造、RCは鉄筋コンクリート造
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Aランクの保存灯台の一つ禄剛埼灯台 |
Aランクの保存灯台の一つ潮岬灯台 |
幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台のことで、これらを条約灯台とも呼んでいます。詳しくは、江戸条約の項を参照してください。
1863年(文久3)長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と「改税条約」が結ばれましたが、それが「江戸条約」とも呼ばれています。その条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、以下のの8ヶ所の灯台を建設することを約束したのです。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。これらが順次建設されていったのですが、 1869年(明治2)2月11日<旧暦では1月1日>に、日本で最初に点灯した洋式灯台が観音埼灯台です。
江戸条約により建設された灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
観音埼灯台 |
神奈川県横須賀市 |
1869年(明治2)2月11日 |
日本最初の洋式灯台だが、現在3代目、参観灯台 |
野島埼灯台 |
千葉県白浜町 |
1870年(明治3)1月22日 |
関東大震災で倒壊し、現在2代目、参観灯台 |
樫野埼灯台 |
和歌山県串本町 |
1870年(明治3)7月8日 |
初期のものが現存する日本最古の石造灯台 |
神子元島灯台 |
静岡県下田市 |
1871年(明治4)1月1日
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初期のものが現存し、国指定史跡 |
剱埼灯台 |
神奈川県三浦市 |
1871年(明治4)3月1日 |
関東大震災で倒壊し、現在2代目 |
伊王島灯台 |
長崎県長崎市 |
1871年(明治4)9月14日 |
1954年12月鉄筋コンクリート造に改築 |
佐多岬灯台 |
鹿児島県佐多町 |
1871年(明治4)11月30日 |
1950年5月コンクリート造にて再建 |
潮岬灯台 |
和歌山県串本町 |
1873年(明治6)9月15日 |
1878年に石造に改築、参観灯台 |
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条約灯台の一つ佐多岬灯台 |
条約灯台の一つ剱埼灯台 |
1867年(慶応3)4月,幕府と英国公使は兵庫開港(同年12月)に備えて大坂約定を結びましたが、それが「大坂条約」とも呼ばれています。その時に、以下の5つの灯台建設を約束し、順次建設されていきました。しかし、和田岬灯台は、1963年(昭和38)に廃灯になり、2代目の鉄造りのものが、須磨海浜公園の西端に移設保存されています。他の4つは、現役の灯台として活躍しています。
大坂条約により建設された灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
江埼灯台 |
兵庫県北淡町 |
1871年(明治4)6月14日 |
初期のものが現存、退息所は四国村に移築保存 |
六連島灯台 |
山口県下関市 |
1872年(明治5)1月1日 |
初期のものが現存する無塗装の灯台 |
部埼灯台 |
福岡県北九州市 |
1872年(明治5)3月1日 |
初期のものが現存 |
友ヶ島灯台 |
和歌山県和歌山市 |
1872年(明治5)8月1日 |
初期のものが現存 |
和田岬灯台 |
兵庫県神戸市 |
1872年(明治5)10月1日 |
1963年廃灯、2代目が須磨海浜公園に移設保存 |
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大坂条約により建設された江埼灯台 |
常時一般公開されている灯台を参観灯台と呼んでいます。現在は、以下の14灯台で、近年増えてきていますが、社団法人燈光会が委託を受けて、参観事業を行っています。2004年4月29日より安乗埼灯台も参観灯台となり、一般公開されました。入場料は、通常大人150円、子供20円で、灯台の上まで上ることが出来ます。しかし、季節によっては上れないところや天候の悪いときには、臨時閉鎖されることもあるので、注意が必要です。尚、常時一般公開されていない灯台でも、海の日(7月の第3月曜日)や灯台記念日(11月1日)の前後に、特別公開される場合があります。また、2007年3月29日より、15番目の参観灯台として、初島灯台が加わり、灯台資料館も併設されました。
常時一般公開されている参観灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
入道埼灯台 |
秋田県男鹿市 |
1898年(明治31)11月8日 |
白と黒の縞模様の塗色、11月中旬〜3月休止 |
塩谷埼灯台 |
福島県いわき市 |
1899年(明治32)12月15日 |
「喜びも悲しみも幾歳月」ゆかりの灯台 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
日本で2番目に高いレンガ建築、第1等灯台 |
野島埼灯台 |
千葉県白浜町 |
1870年(明治3)1月22日 |
日本2番目の洋式灯台だが2代目、条約灯台 |
観音埼灯台 |
神奈川県横須賀市 |
1869年(明治2)2月11日 |
日本最初の洋式灯台だが3代目、条約灯台 |
初島灯台 |
静岡県熱海市 |
1959年(昭和34)3月25日 |
2007年3月29日より参観開始、灯台資料館併設 |
御前埼灯台 |
静岡県御前崎市 |
1874年(明治7)5月1日 |
初期のものが現存するレンガ造灯台 |
安乗埼灯台 |
三重県阿児町 |
1873年(明治6)4月1日 |
灯台資料館は無料公開 |
大王埼灯台 |
三重県大王町 |
1927年(昭和2)10月5日 |
映画「君の名は」「浮雲」などのロケ地 |
潮岬灯台 |
和歌山県串本町 |
1873年(明治6)9月15日 |
本州最南端にある石造灯台、条約灯台 |
出雲日御碕灯台 |
島根県大社町 |
1903年(明治36)4月1日 |
日本で最も灯塔高の高い石造灯台、第1等灯台 |
角島灯台 |
山口県豊北町 |
1876年(明治9)3月1日 |
無塗装の石造灯台、第1等灯台 |
都井岬灯台 |
宮崎県串間市 |
1929年(昭和4)12月22日 |
標高255.3m |
残波岬灯台 |
沖縄県読谷村 |
1974年(昭和49)3月30日 |
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平安名埼灯台 |
沖縄県城辺町 |
1967年(昭和42)3月27日 |
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一般公開されている入道埼灯台 |
一般公開されている塩屋埼灯台 |
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一般公開されている残波岬灯台 |
一般公開されている平安名埼灯台 |
灯台の施設で、使用しなくなったものを活用するなどして、灯台資料館や展示室をオープンしています。参観灯台の中でも10ヶ所で資料館や展示室を併設していますし、それ以外でも、灯台の近くに資料館などを設けて公開しているところがあります。伊王島灯台の旧吏員退息所(県指定文化財)や水ノ子島灯台の旧吏員退息所(国登録文化財)などでは、文化財となっている建物に展示しているのです。展示物には、灯台レンズや機械、用具など、貴重な資料が多数展示されていて、灯台の歴史、機能、役割などを学ぶことができます。
灯台に関する資料館・展示室一覧 |
関係する灯台名 |
名称 |
所在地 |
料金 |
休館日 |
備考 |
恵山岬灯台 |
函館市灯台資料館 |
北海道函館市 |
400円 |
月曜日休館 |
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入道埼灯台 |
資料展示室 |
秋田県男鹿市 |
150円 |
11月中〜3月休館 |
白と黒の縞模様の塗色 |
塩谷埼灯台 |
資料展示室 |
福島県いわき市 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
「喜びも悲しみも幾歳月」縁の灯台 |
犬吠埼灯台 |
資料展示館 |
千葉県銚子市 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
世界灯台100選、第1等灯台 |
野島埼灯台 |
資料展示室 |
千葉県白浜町 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
日本2番目の洋式灯台、条約灯台 |
観音埼灯台 |
資料展示室 |
神奈川県横須賀市 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
日本最初の洋式灯台、条約灯台 |
初島灯台 |
灯台資料館 |
静岡県熱海市 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
2007年3月29日より開館 |
姫埼灯台 |
姫埼燈台館 |
新潟県佐渡市 |
無料 |
12月〜3月休館 |
最古の鉄造灯台 |
安乗埼灯台 |
灯台資料館 |
三重県阿児町 |
無料 |
無休 |
「喜びも悲しみも幾歳月」縁の灯台 |
潮岬灯台 |
資料展示室 |
和歌山県串本町 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
本州最南端の灯台、条約灯台 |
出雲日御碕灯台 |
資料展示室 |
島根県大社町 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
日本一の灯塔高、第1等灯台 |
大浜埼灯台 |
灯台記念館 |
広島県因島市 |
無料 |
無休 |
旧大浜埼潮流信号所 |
旧安芸白石灯台 |
阿多田島
灯台資料館 |
広島県大竹市 |
無料 |
日・祝日のみ開館 |
旧灯台吏員退息所 |
角島灯台 |
公園灯台記念館 |
山口県豊北町 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
無塗装の石造灯台、第1等灯台 |
男木島灯台 |
灯台資料館 |
香川県高松市 |
無料 |
日・祝日のみ開館
7月〜8月無休 |
無塗装の石造灯台 |
水ノ子島灯台 |
豊後水道
海事博物館 |
大分県鶴見町 |
200円 |
無休 |
旧灯台吏員退息所(登録文化財) |
樺島灯台 |
灯台資料館 |
長崎県野母崎町 |
無料 |
無休 |
旧灯台吏員退息所 |
伊王島灯台 |
灯台記念館 |
長崎県長崎市 |
無料 |
月曜日休館 |
条約灯台、旧吏員退息所(県文) |
都井岬灯台 |
資料展示室 |
宮崎県串間市 |
150円 |
無休(荒天時休館) |
標高255.3m |
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犬吠埼灯台資料展示館 |
野島埼灯台資料展示室「きらりん館」 |
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函館市灯台資料館「ぴかりん館」 |
退息所とは、灯台に勤務していた職員の宿舎のことで、かつては吏員退息所とも呼びました。退息とは、『広辞苑』によると「しりぞいて、休息すること。」と出ています。しかし、灯台の無人化に伴って、使用されなくなった所が多く、現在では灯台資料館などに転用されたり、文化財的価値が高いものは、重要文化財等になって、明治村や四国村(四国民家博物館)に移築保存されているものもあります。
文化財になっている旧退息所一覧 |
関係する灯台名 |
所在地 |
文化財 |
現況 |
備考 |
菅島灯台 |
旧:三重県鳥羽市 |
国指定重要文化財 |
明治村に移築 |
レンガ造で、灯台は現役で活躍中 |
江埼灯台 |
旧:兵庫県北淡町 |
国登録文化財 |
四国村に移築 |
石造で、灯台は現役で活躍中 |
鍋島灯台 |
旧:香川県坂出市 |
国登録文化財 |
四国村に移築 |
石造で、灯台は現役で活躍中 |
クダコ島灯台 |
旧:愛媛県中島町 |
国登録文化財 |
四国村に移築 |
レンガ造で、灯台は現役で活躍中 |
釣島灯台 |
愛媛県松山市 |
市指定文化財 |
|
|
水ノ子島灯台 |
大分県鶴見町 |
国登録文化財 |
豊後水道海事博物館 |
|
伊王島灯台 |
長崎県長崎市 |
県指定文化財 |
灯台記念館 |
条約灯台 |
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明治村にある旧菅島灯台付属官舎(退息所) |
四国村にある旧鍋島灯台退息所 |
日本初の西洋式灯台の建設が、1868年(明治元)に、観音埼灯台(神奈川県横須賀市)で始まりました。その起工日が、新暦で11月1日<旧暦では8月30日>だったので、それにちなんで、「灯台記念日」としたものです。海上保安庁が、1949年(昭和24)に制定し、記念行事が行われます。普段は、公開されていない、灯台が、特別公開になり、内部に入れたりします。
|
初代の観音埼灯台 |
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ブラントンの肖像 |
R・H・ブラントンは、日本の「灯台の父」とも呼ばれ、明治初期に主要灯台の建設にたずさわったイギリス人技師です。本名をリチャード・ヘンリー・ブラントンといい、1841年(天保12)12月26日に、イギリスのスコットランド・アバディーン洲キンカーデン郡に生まれました。もともと鉄道会社の土木首席助手として鉄道工事に従事していましたが、1868年(明治元)2月24日に、明治政府の雇い灯台技師として採用されました。
短期間に灯台建設や光学等の灯台技術に関する知識を習得後、その年の8月8日、2人の助手と共に来日しましたが、当時はまだ26歳の青年でした。滞在していた8年ほどの間に、灯台26(下記の一覧参照)、灯竿5(根室、石巻、青森、横浜西波止場2)、灯船2(横浜港、函館港)などを建設し、灯台技術者養成の「修技校」を設置するなどして、灯台技術の継承にも力を尽くしました。
また、灯台以外にも、日本最初の電信工事(明治2年・横浜)、鉄橋建設(横浜・伊勢佐木町の吉田橋)、港湾改修工事計画策定(大阪港・新潟港)、横浜外人墓地の下水道工事の設計など数多くの功績を残し、1876年(明治9)3月10日離日して、イギリスへ帰国しました。
帰国後のブラントンは、「日本の灯台(Japan Lights)」という論文を英国土木学会で発表、テルフォード賞を受賞しました。その後は、ヤング・パラフィン・オイル会社支配人、建築装飾品製造工場の共同経営、土木建築業の自営など、建築家として多くの建物の設計・建築に携わりました。そして、仕事の合間に書きためてあったものを『ある国家の目覚め−日本の国際社会加入についての叙述と、その国民性についての個人的体験記』という原稿にまとめ終えてまもなく、1901年(明治34)4月24日に、59歳で亡くなっています。
R・H・ブラントンにより設計・建設された灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
初期材質 |
備考 |
樫野埼灯台 |
和歌山県串本町 |
1870年(明治3)7月8日 |
石造 |
日本最古の石造灯台が現存、条約灯台 |
神子元島灯台 |
静岡県下田市 |
1871年(明治4)1月1日
|
石造 |
初期のものが現存、国指定史跡、条約灯台 |
剱埼灯台 |
神奈川県三浦市 |
1871年(明治4)3月1日 |
石造 |
関東大震災倒壊、コンクリート造建替、条約灯台 |
江埼灯台 |
兵庫県北淡町 |
1871年(明治4)6月14日 |
石造 |
初期のものが現存、退息所は四国村に移築保存 |
伊王島灯台 |
長崎県長崎市 |
1871年(明治4)9月14日 |
鉄造 |
条約灯台、1954年12月コンクリート造に改築 |
石廊崎灯台 |
静岡県南伊豆町 |
1871年(明治4)10月5日 |
木造 |
1932年暴風で大破し、翌年再建(コンクリート造) |
佐多岬灯台 |
鹿児島県佐多町 |
1871年(明治4)11月30日 |
鉄造 |
条約灯台、1950年5月コンクリート造にて再建 |
六連島灯台 |
山口県下関市 |
1872年(明治5)1月1日 |
石造 |
初期のものが現存 |
部埼灯台 |
福岡県北九州市 |
1872年(明治5)3月1日 |
石造 |
初期のものが現存 |
友ヶ島灯台 |
和歌山県和歌山市 |
1872年(明治5)8月1日 |
石造 |
初期のものが現存 |
納沙布岬灯台 |
北海道根室市 |
1872年(明治5)8月15日 |
木造 |
日本最東端の灯台、1930年コンクリート造に建替 |
和田岬灯台 |
兵庫県神戸市 |
1872年(明治5)10月1日 |
木造 |
1963年廃灯、2代目が須磨海浜公園に移設保存 |
天保山灯台 |
大阪府大阪市 |
1872年(明治5)10月1日 |
木造 |
廃灯 |
鍋島灯台 |
香川県坂出市 |
1872年(明治5)12月15日 |
石造 |
初期のものが現存、退息所は四国村に移築保存 |
安乗埼灯台 |
三重県阿児町 |
1873年(明治6)4月1日 |
木造 |
初代の木造灯台は船の科学館(東京都)に移築 |
釣島灯台 |
愛媛県松山市 |
1873年(明治6)6月15日 |
石造 |
初期のものが現存 |
菅島灯台 |
三重県鳥羽市 |
1873年(明治6)7月1日 |
レンガ造 |
初期のもの現存、附属官舎は明治村に移築保存 |
白洲灯台 |
福岡県北九州市 |
1873年(明治6)9月1日 |
木造 |
1900年(明治33)に石造に建替 |
潮岬灯台 |
和歌山県串本町 |
1873年(明治6)9月15日 |
木造 |
1878年に石造に改築、条約灯台、参観灯台 |
御前埼灯台 |
静岡県御前崎市 |
1874年(明治7)5月1日 |
レンガ造 |
初期のものが現存、参観灯台 |
犬吠埼灯台 |
千葉県銚子市 |
1874年(明治7)11月15日 |
レンガ造 |
現存し、2番目に高いレンガ建築、第1等灯台 |
羽田灯台 |
東京都 |
1875年(明治8)3月15日 |
鉄造 |
廃灯 |
烏帽子島灯台 |
福岡県志摩町 |
1875年(明治8)8月1日 |
鉄造 |
|
角島灯台 |
山口県豊北町 |
1876年(明治9)3月1日 |
石造 |
現存の無塗装灯台、第1等灯台、参観灯台 |
尻屋埼灯台 |
青森県東通村 |
1876年(明治9)10月20日 |
レンガ造 |
初期のもの現存し、日本で最も高いレンガ建築 |
金華山灯台 |
宮城県牡鹿町 |
1876年(明治9)11月1日 |
石造 |
初期のものが現存 |
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R・H・ブラントン建設の樫野埼灯台 |
R・H・ブラントン建設の御前埼灯台 |
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R・H・ブラントン建設の江埼灯台 |
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ヴェルニーの肖像 |
F・L・ヴェルーニは、日本で最初に西洋式灯台の設計・建設を担当したフランス人技師です。本名をフランソワ・レオン・ヴェルニーといい、1834年(天保5)12月2日、フランス東部のアルデシュ県オーベナで生まれました。リヨンの国立高等中学校に学び、1856年パリのエコール・ポリテクニク(理工科大学)に入学。23歳で海軍造船大学校を卒業後、海軍造船官として、ブレスト工廠で船舶の修理などを担当しました。
江戸幕府は、1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と「改税条約」(江戸条約)を締結し、西洋灯台の建設を約束しました。そして、1867年(慶応3)末、イギリス、アメリカ、フランスの合同調査に基づき、最も緊急性が高いものとして、観音埼、野島埼、城ヶ島、品川(第二砲台)の4つの灯台建設を優先的に着工することを決めたのです。
そして、すでに1866年(慶応2)4月に再度来日し、横須賀製作所に着任していたF・L・ヴェルニーに灯台建設を依頼することになったのです。ただし、その直後に、江戸幕府が倒れたため、工事の着工は延期されることになります。そして、日本初の西洋式灯台の建設が、1868年(明治元)11月1日<旧暦では8月30日>起工の観音埼灯台で始まり、翌1869年(明治2)2月11日<旧暦では1月1日>に、初点灯しました。その後、野島埼、品川(第二砲台)、城ヶ島と計4つの灯台が、F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師によって完成されましたが、その後の灯台建設は、主にイギリス人技師、R・H・ブラントンに委ねられることになりました。
それからも、F・L・ヴェルーニは横須賀製鉄所の首長(所長)として、日本で活躍すること12年におよび造船等の発展に寄与しました。1876年(明治9)3月13日に帰国しましたが、1908年5月2日故郷オブナにおいて、71歳で亡くなっています。
F・L・ヴェルニー等のフランス人技師により建設された灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
観音埼灯台 |
神奈川県横須賀市 |
1869年(明治2)2月11日 |
日本初の西洋灯台、地震で倒壊、現在3代目、参観灯台 |
野島埼灯台 |
千葉県白浜町 |
1870年(明治3)1月22日 |
関東大震災で倒壊、現在2代目、参観灯台 |
品川灯台 |
旧:東京都品川区 |
1870年(明治3)4月5日 |
明治村に移築保存、国指定重要文化財 |
城ヶ島灯台 |
神奈川県三浦市 |
1870年(明治3)9月8日
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関東大震災で倒壊、現在2代目 |
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F・L・ヴェルニー等建設の初代観音埼灯台 |
F・L・ヴェルニー等建設の旧品川灯台(明治村) |
木下惠介監督、佐田啓二・高峰秀子主演の「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年松竹作品)は、灯台職員とその家族が転勤で地方の灯台をまわりながら、積み重ねる喜びと悲しみを描いた映画作品です。当時の塩屋埼灯台の台長夫人、田中きよさんの手記「海を守る夫とともに20年」(雑誌「夫人倶楽部」寄稿)をもとにしたものです。灯台を巡る全国縦断ロケを敢行した話題作で、若山彰の歌った同名の主題歌は大ヒットしました。
「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となった主要な灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
観音埼灯台 |
神奈川県横須賀市 |
1869年(明治2)2月11日 |
ファーストシーンに登場、参観灯台 |
石狩灯台 |
北海道石狩市 |
1892年(明治25)1月1日 |
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女島灯台 |
長崎県五島市 |
1927年(昭和2)12月1日 |
女島にある灯台 |
弾埼灯台 |
新潟県佐渡市 |
1919年(大正8)12月1日 |
佐渡島にある灯台 |
御前埼灯台 |
静岡県御前崎市 |
1874年(明治7)5月1日 |
参観灯台 |
安乗埼灯台 |
三重県阿児町 |
1873年(明治6)4月1日
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参観灯台 |
男木島灯台 |
香川県高松市 |
1895年(明治28)12月10日 |
灯台資料館併設、無塗装の石造灯台 |
日和山灯台 |
北海道小樽市 |
1883年(明治16)10月15日 |
ラストシーンに登場 |
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映画のファーストシーンに登場する観音埼灯台 |
映画の舞台となった御前埼灯台 |
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映画の舞台となった弾埼灯台と「喜びも悲しみも幾年月」の像 |
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映画の舞台となった安乗埼灯台 |
映画のラストシーンに登場する日和山灯台 |
木下惠介監督、加藤剛・大原麗子主演の「新・喜びも悲しみも幾歳月」(1986年松竹作品)は、転勤の多い燈台守一家の生活を13年にわたって描く映画作品です。同監督の前作「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年松竹作品)の後を受けて、現代の灯台守夫婦とその周辺を描いたもので、松竹大船撮影所50周年記念映画の一つとして作られました。主題歌は、加藤登紀子が歌う「海辺の旅」でした。
「新・喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となった主要な灯台一覧 |
名称 |
所在地 |
初点灯 |
備考 |
経ヶ岬灯台 |
京都府京丹後市 |
1898年(明治31)12月25日 |
第1等灯台 |
石廊崎灯台 |
静岡県南伊豆町 |
1871年(明治4)10月5日 |
伊豆半島最南端の灯台 |
水ノ子島灯台 |
大分県鶴見町 |
1904年(明治37)3月20日 |
水ノ子島にある石造灯台 |
八丈島灯台 |
東京都八丈町 |
1951年(昭和26)6月10日 |
八丈島にある灯台 |
尻屋埼灯台 |
青森県東通村 |
1876年(明治9)10月20日 |
日本で最も高いレンガ建築 |
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映画の舞台となった石廊埼灯台 |
映画の舞台となった八丈島灯台 |