<岬と灯台写真館>

安乗崎と安乗埼灯台(三重県)

2001年1月12日午後に安乗崎(三重県)で撮った写真です。


 2泊3日で、伊勢志摩の旅に出かけ、伊良湖からフェリーで鳥羽へ上陸し、風光明媚な志摩の海を写真に撮りながら、安乗崎(あのりさき)へと至りました。ここは、志摩半島の中央部に深く切れ込んだリアス式海岸で有名な的矢湾(まとやわん)の入り口に位置し、伊勢志摩国立公園の一部を成しています。灯台周辺からの眺めは秀逸で、そこに建てられた伊良子清白の「安乗の稚児」詩碑は、なんとも言えない哀愁を添えていました。しばし、風景に見とれながら、カメラのシャッターを切り続けていました。

☆安乗埼灯台 地図
安乗埼灯台 (2001年1月12日撮影)
安乗埼灯台の概要
番号 2769 [F6042]
位置 北緯 34度21分54秒 
東経 136度54分30秒
塗色 白色  
構造 塔形(四角形) コンクリート造
レンズ 第4等フレネル式
灯質 単閃白光 毎15秒に1閃光
光度 19万カンデラ(実効光度)
光達距離 16.5海里(約30km) 
明弧 93度から33度まで
灯塔高 12.7m(地上〜塔頂)
標高 33.3m(平均海面〜灯火)
初点灯 1873年(明治6)4月1日
所在地 三重県志摩郡阿児町大字安乗795

<特徴>
 安乗埼灯台は、三重県志摩半島の的矢湾入口、安乗崎の突端に立つ白亜四角形の中型灯台です。周辺は、伊勢志摩国立公園に指定され、リアス式海岸の造形する風光明媚の地です。また、「日本の灯台50選」にも選ばれています。

<歴史>
 この地には、すでに江戸時代より和式の灯台がありましたが、それを取り壊して建設され、1873年(明治6)4月1日に初点灯しました。かの、「灯台の父」と呼ばれるR・H・ブラントンの設計による、木造八角形総けやき造りの洋式灯台で、日本で初めて、回転式のフレネル式多面閃光レンズが用いられました。ここは、「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と昔から船頭たちに唄われていた海の難所で、灯台建設が求められていたのです。その後、1948年(昭和23)8月に、現在の鉄筋コンクリート造に建て替えられ、それまでのものは、日本最古の洋式木造灯台として、「船の科学館」(東京都)に移築保存されています。

<現況>
 現在の灯塔高(地上から塔頂まで)は12.7m、標高(平均海面〜灯火)は33.3mで、第4等フレネル式レンズを使い、光度は19万カンデラ(実効光度)、光達距離は16.5海里(約30km) です。2004年4月29日より一般公開(有料大人150円、小人20円)された参観灯台で、上まで登ることができるようになりました。また、周辺は芝生の園地となっていて、その一画に灯台資料館があり、灯台とセットで見学することが出来、この灯台の歴史、機能・役割などを学べます。その中には、3分の1の模型で、かつての木造八角形の灯台が復元展示されてもいます。また、この灯台は以前、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となり、ロケも行われており、それをビデオ等で紹介してもいます。

木造の初代安乗埼灯台(船の科学館)

☆安乗崎周辺の海

安乗崎周辺の海

 対岸の菅崎とともに、的矢湾の入口を形成している長い半島の突端が安乗崎です。従って、右手には雄大な太平洋を望み、左手には、波静かな的矢湾と、異なった海の風景を堪能できる景勝地です。灯台直下は、高さ20mほどの海蝕崖をなし、荒々しい磯ともなっています。良く晴れ渡った日には、海越しに富士山が見えることもあるとか...。とにかくすばらしい景観です。


☆「安乗の稚児」の詩碑

「安乗の稚児」の詩碑

 安乗岬園地の一隅に、伊良子清白の「安乗の稚児」詩碑がひっそりと立っています。明治詩史に残る詩集『孔雀船』の中の一篇で、黒御影石に「荒壁の小家一村 こだまする心と心 稚児ひとり恐怖をしらず ほほゑみて海に対へり」と刻まれています。清白は、鳥羽市小浜の漁村で、23年ほど開業医を営んでいました。この詩は、嵐に襲われた安乗の光景を歌ったもので、清白の代表作と言われていますが、なんとも言い難い雰囲気を持っています。


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