<岬と灯台写真館>
宗谷岬と灯台(北海道)
2004年9月24日午前に宗谷岬(北海道)で撮った写真です。
9泊10日で、北海道の旅に出かけ、7日目に利尻島から礼文島香深港へ渡り、軽自動車(5時間9,000円)をレンタルし、島内を巡ったのです。まず東海岸を北に向かって走り、上泊埼灯台、金田ノ岬灯台に立ち寄ってから、昼食後に、北端スコトン岬へと至り、海驢島灯台を望みました。その後、澄海岬、桃岩などを巡って、香深のフェリー乗り場へと戻っていきました。その日の内に島を離れ、稚内港へと帰って、稚内温泉の民宿「北乃宿」へ泊まったのです。翌日は、8時過ぎに出立し、稚内公園へと向かいました。ここは、以前にも来たことがあるのですが、段丘上にあって、宗谷海峡の眺望が良く、晴れていればサハリンも望めるのですが、残念ながら今日はダメでした。ここには、氷雪の門があって、遠く北の海を見つめていました。その後は、日本最北端の宗谷岬(そうやみさき)へと至ったのですが、とうとうここまでたどり着いたかと感慨が一入でした。丘の上には、灯台が立ち、その後方は牧草地になっていて、牛や馬が放たれ、北海道らしさを感じられるところです。
☆宗谷岬灯台 | 地図 |
宗谷岬灯台 (2004年9月24日撮影) |
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<特徴> <歴史> <現況> |
宗谷岬灯台の塔頂部 | 宗谷岬灯台の遠望 |
「日本最北端の地」碑 | |
北緯45度31分14秒 | 日本最北端到着証明 |
最北の宿 | 食堂最北端と最北端の店 |
宗谷岬の突端には、三角形をした「日本最北端の地」碑があり、天気が良ければ、宗谷海峡からサハリンが望めるところです。それだけに、日本の最果てに来たという思いは募ります。突端のみやげもの屋には、“宗谷岬北緯45度31分14秒”の表示があり、日本最北端到着証明書を発行していましたので、記念に100円で買い求めました。周辺には、「最北の宿」「食堂最北端」「最北端の店」などが立ち並び、それぞれに最北端をイメージさせていました。
宗谷岬音楽碑 |
「日本最北端の地」碑の東側に、「宗谷岬音楽碑」が建っています。これは、NHK の「みんなの歌」で全国に紹介された“宗谷岬”の歌詞と楽譜を刻んだものです。ダ・カーポ、ボニージャックス、千葉紘子、芹 洋子などの歌手によってレコード化されて普及しました。この碑の前に立つと、センサーが感知して、自動的にメロディーが流れるようになっています。
祈りの塔 | |
間宮林蔵の立像 | |
平和の碑 | 天北酪農「あけぼの像」 |
宗谷岬には、ロシアとの国境に位置する最北端の地ゆえに、様々なモニュメントが建てられていました。「日本最北端の地」碑の近くにある「間宮林蔵の立像」は、探検家間宮林蔵の偉業をたたえたものです。初めて日本から樺太に渡り、樺太が島であることを発見して、世界地図に日本でただ一人「間宮海峡」という日本人名を残しているのです。また、丘の上に登ると、ひときわ大きく佇立しているのが、「祈りの塔」です。これは、1983年(昭和58)の大韓航空機撃墜事件の遭難者の慰霊と、世界の恒久平和を願って建てられたモニュメントです。その手前の西側にあるのが、「平和の碑」で、太平洋戦争中の1933年(昭和18)10月、宗谷岬沖で日本海軍によって撃沈されたアメリカ海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名と、ワフー号によって日本海で沈められた日本商船5隻の犠牲者690名を慰霊するために日米合同で建立されたものです。丘の一番南側に丘陵の方を向いて立っている男女のブロンズ像が「あけぼの像」です。これは、北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、1971年(昭和46)7月に建設されたもので、“天北酪農の夜明け”を象徴したとのことです。
旧海軍望楼 |
宗谷岬灯台の東側に、宗谷海峡をうかがう旧海軍望楼が残されています。これは、帝政ロシアとの緊張関係が高まってきた1902年(明治35)に、国境防備のため当時の帝国海軍が造ったもので、ロシアのバルチック艦隊の動向を察知する重要任務が課せられていたそうです。稚内市では明治年代の唯一の現存建築物なので、1968年(昭和43)12月に市の有形文化財に指定されています。
宗谷岬肉牛牧場 |
宗谷岬灯台の裏手に広がる宗谷丘陵には、広大な牧草地が広がっています。ここは、「宗谷岬肉牛牧場」となっていて、交雑牛の肥育が行われているそうです。広い敷地の中に多くの牛が草を食べていましたが、中に2頭だけ馬がいたので、カメラに収めておきました。
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