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旅と文学
文学の旅(18) 「あゝ野麦峠」山本茂実著

日本アルプスの中に野麦峠と呼ぶ古い峠がある。かつては飛騨と信濃を結ぶ重要な交通路であったがいまではその土地の人さえ知る人も少ないほど忘れ去られた道になっている。

富国強兵を支えた製糸工女 飛騨製糸工女の歩いた道 歩いたルート 『あゝ野麦峠』を巡る旅六題 関連リンク集

☆富国強兵を支えた製糸工女

 明治維新以後、富国強兵策のもとで、外貨を稼いで、軍備増強の元手を担ったのは、生糸でした。それは、農家の養蚕によって作る繭を原料に、10代、20代のうら若き製糸工女の手によって、紡がれていたのです。製糸業の中心は長野県や群馬県でしたが、とりわけ信州諏訪地方に集中していました。工女達は周辺農村部から集められ、粗末な寄宿舎に寝起きして、ろくに休みもなく1日12時間以上の過酷な労働に従事しました。その様子は、細井和喜蔵の『女工哀史』や山本茂実の『あゝ野麦峠』などの著作で知られ、後者は山本薩夫監督によって、1979年(昭和54)に映画化され、大きな反響を呼びました。続編『あゝ野麦峠 新緑篇』も、1982年に同じく山本薩夫監督によって映画化されています。

☆飛騨製糸工女の歩いた道

 『あゝ野麦峠』は、昭和43年(1968)に朝日新聞から出版された山本茂実著のルポルタージュです。明治時代前期から大正時代にかけて、飛騨地方の貧農の娘達は、長途野麦街道を徒歩で信州の製糸工場へ働きに行きました。まず、古川、高山の町に集まり、工場毎の集団になって、美女峠を越え、寺附(朝日村)又は中之宿(高根村)で1泊し、難所野麦峠(標高1,672m)を越えて信州に入り、奈川村のどこかの集落の宿に泊まり、奈川渡を経て、島々(安曇村)又は波田(波田町)に泊まって、塩尻峠を越えて諏訪地方に、だいたい3泊4日の行程で至りました。この旅は、1934年(昭和9)に国鉄高山線が開通するまで続きました。

☆『あゝ野麦峠』で飛騨製糸工女の歩いたルート

『あゝ野麦峠』を巡る旅六題

 私は、今までに『あゝ野麦峠』の関係地を訪ねる旅に出ていますが、その中で心に残った所を9つ紹介します。

(1) 野麦峠<岐阜県高山市・長野県松本市>

 信州へ向かう最大の難所で、標高1672mあり、冬期に越えるのは至難で、谷底に転落したり、病で倒れる工女が多数いました。峠にはお助け小屋が復元され、石地蔵や供養塔が残り、また、「野麦峠の館」には、当時の峠越えを再現したコーナーもあり、当時の厳しかった野麦越えの旅を追想させてくれます。晴れれば、乗鞍岳の眺望がすばらしく、『あゝ野麦峠』の碑も立っています。

 日本アルプスの中に野麦峠と呼ぶ古い峠がある。
 かつては飛騨と信濃を結ぶ重要な交通路であったがいまではその土地の人さえ知る人も少ないほど忘れ去られた道になっている。
 また「野麦」という名から、人は野生の麦のこかと思うらしいが、実はそうではなくて、峠一面をおおっているクマザサのことである。十年に一度くらい大凶作を騒がれるような年には、ササの根元から、か細い稲穂のようなものが現れて、貧弱な実を結ぶ。それを飛騨では野麦といい。里人はこの実をとって粉にし、ダンゴをつくって、かろうじて餓えをしのいできたという。
 そのクマザサにおおわれた峠を、幾千幾万とも知れないおびただしい飛騨の糸ひきたちが五十人、百人と群をなして越え、島々谷(上高地登山口)へ下って、そこから諏訪湖畔の岡谷、松本、上田、佐久方面の向上へ向かった。
 若い娘たちのこととて、そのにぎやかさはまるで五月のひばりのようで、騒々しくもはなやかにもみえる娘たちの行列が幾日も幾日も峠から岡谷や松本へ続いた。
 みんな髪は桃割れにし赤い腰巻きをつけ、ワラジばきに木綿のハバキ、背中には荷物を袈裟掛けといういでたちで、五月春びきが終わると田植えに帰り、またすぐ夏びきに出かけ、暮れ迫る十二月末には吹雪の峠道を飛騨へ帰っていったという。
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ルポルタージュ『あゝ野麦峠』冒頭 山本茂実著より
野麦峠 復元されたお助け小屋


(2) 岡谷蚕糸博物館<長野県岡谷市>

 岡谷は、当時の製糸業の中心地で、明治初期は水車を利用し、その後蒸気機関を動力としてたくさんの工場がありました。昭和初期の最盛期には4万人近くが働いていたといわれ、飛騨から来た工女の多くもここにいました。この博物館では、当時の製糸工場で使われていた座繰機が展示され、製糸業の発展の様子をうかがうことが出来、大変勉強になります。隣接している宮坂製糸所で、実際の製糸の仕事場を見学することもできます。また、市内にはゆかりの建物や史跡などがいくつか残されていて、当時の繁栄を偲ぶことができます。

岡谷蚕糸博物館 館内に展示されているフランス式繰糸機


(3) 松本市歴史の里<長野県松本市>

 ここには、飛騨から信州へ向かう製糸工女が、旅の途中泊まった工女宿「宝来屋」が移築復元されています。元は南安曇郡奈川村川浦にありましたが、民間の手によってここに移されました。昔の面影が色濃く残り、工女達が暖をとり、その周りで食事をしたいろり、20人以上が一つに集まって雑魚寝したこたつなど、当時の工女達が使ったものが展示されています。また、隣接して、座繰り製糸工場も移築復元されていて当時の工場の様子を見ることができ、レストハウス内には、『あゝ野麦峠』の著者山本茂実の記念展示室もでき、関連資料も展示してあります。

松本市歴史の里の工女宿「宝来屋」 松本市歴史の里の座繰り製糸工場


(4) 八ツ三館<岐阜県飛騨市>

 当時、飛騨北部地方の工女の集結地の旅館の一つで、製糸工場の検番たちが工女を募集する根拠地ともなり、工女の荷物の集散までやっていました。この旅館は、唯一当時の建物が残り、昔の繁栄を想起させてくれます。また、川をはさんだ向こう岸には、あゝ野麦峠記念碑が立ち、工女の像もあります。

 二月もなかばを過ぎると
 信州のキカヤに向かう娘たちが
 ぞくぞくと古川の町へ
 集まってきます
 みんな髪は桃割れに
 風呂敷包みをけさがけにして
 「トッツァマ、カカマ達者でナ」
 それはまるで楽しい遠足にでも
 出掛けるように元気に出発して
 行ったのでございます
あゝ野麦峠記念碑の碑文(ルポルタージュ『あゝ野麦峠』 山本茂実著より)
八ツ三館とあゝ野麦峠記念碑 八ツ三館の玄関


(5) 川浦歴史の里・扇屋<長野県松本市>

 川浦歴史の里は、飛騨から信州へ向かう製糸工女たちが通った野麦街道沿い、野麦峠から信濃方面へ下った山麓にあります。ここにある「扇屋」は、野麦峠の山麓 旧奈川村川浦部落の当時の尾州藩旅人宿を再現した展示館なのです。昔ながらの板葺き屋根に石を載せた造りで、とてもレトロな感じでした。館内には、飛騨と岡谷・諏訪との峠越えをした女工の姿、わらび粉づくりの作業姿、尾州岡船「奈川牛」の道中姿が人形によって再現されています。また、レトロな写真や野麦街道や工女達、尾州岡船についての展示もあって、勉強になりました。尚、隣に「ふるさと体験館」が併設されています。

工女宿「扇屋」 工女達の人形模型


(6) 美女峠<岐阜県高山市・久々野町>

 工女達はこの峠を越えると、高山の町が見えなくなるため、ふるさとに向かって永の別れを惜しんだところで、見送りのもの達もたいていはここの茶屋で別れをしました。峠に上る途中からは、高山の町を遠望することができ、当時の別れの様子を思い起こさせてくれます。しかし、当時の街道は現在の自動車道の峠の位置とは異なっています。旧道で高山から峠を越える途中には、橋場、差手観音、接待所跡(峠の茶屋)、餅売場、比丘尼屋敷、峠観音、神力不動尊堂などの旧跡があり、工女達のつらい旅を思い起こさせてくれます。


この作品を読んでみたい方は、簡単に手に入るものとして、現在、『あゝ野麦峠』(山本茂実著)が、角川文庫<500円>から出版されています。

☆『あゝ野麦峠』関連リンク集

◇八ツ三館 飛騨北部地方の工女の集結地の旅館の一つだった八ツ三館のホームページです。
◇松本歴史の里 松本まるごと博物館の公式ホームページの中の紹介です。工女宿「宝来屋」と「座繰り製糸工場」の解説があります。
◇岡谷蚕糸博物館 岡谷蚕糸博物館の公式ホームページで、岡谷の蚕糸について詳しく載っています。
◇野麦峠 高根村観光開発公社の公式ホームページの中にあり、施設案内、周辺案内などあります。
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