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古(いにしえ)を訪ねる旅
 旅籠宿泊記D すはら(民宿)<中山道須原宿>
すはら(民宿)の外観 すはら(民宿)の玄関

<宿泊記録> 注:現在は1日1組限定の素泊まり専用となっています。

 ☆1996年10月12日(土) 1泊2食付 7,000円(込込)で泊まる。

標準料金 素泊まり1泊 1名4,800円(込込) 現在は1日1組限定の素泊まり専用となっています!
住所、電話 〒399-5502 長野県木曽郡大桑村須原840 TEL(0264)24-0480
街道と宿場 中山道須原宿
創業
建物 昔は吉田屋として旅籠を営む。129年前の1869年(明治2)の建築で内部は一部改装してあるが、昔の旅籠の面影をよくとどめている。
すはら(民宿)の入口   すはら(民宿)の浴室

・須原宿へ到着する

 野尻の宿に入る頃から雨が本降りになり、先を急いで、日の暮れかかった頃にやっと須原宿に着く。前日泊まった細久手宿の大黒屋で、女将が「前に木曽路から来たお客さんが,とても良い宿だと言っていましたよ。」と言うので、今朝電話して予約したのだった。うわさどおり、宿の前の水船(水場)、講中の看板、千本格子など旅籠の雰囲気をよくとどめている外観だ。それだけでも、充分興味をそそられたが、戸を開けて中に一歩はいるとこれがまた昔のままで、土間に入り声をかけると女将が出てきた。聞くと、1970年頃に民宿にするときに一部内部を改装したが、建物本体は129年前(明治2年)の建築とのこと。中に上がると囲炉裏が切ってあり、今でも使っていると言う。一番奥の部屋に通されたが、襖で仕切ってあるだけの昔のつくりでこれもとても気に入った。まずは汗を流そうと風呂場にいったが、檜の浴槽でいまどき木造の浴室は珍しい、今までに昔ながらの旅籠にも何軒か泊まったが、風呂だけは新しくなっているところが多かった。確かに、シャワーなどもついていて近代的になっている面もあるが、浴室全体が木造になっているのはとても落ち着くものだ。気分良く、入浴し、体を 洗って、疲れをとった。風呂から上がって、しばらくしたら夕食となったが、囲炉裏のある間に料理が並べられていた。聞くと、今日の泊まりは私一人とのこと、しかし、家庭料理で川魚や山菜等、土地の素材を活かしたものが出されとても美味だった。特に最後に出てきた松茸御飯には感激した、この料金で私一人のためにこんなにいただいていいものだろうかと思うほどだった。食事を堪能しながら、少しこの宿のことを尋ねてみたら、建物は明治初期のものだが、江戸時代から続く旅籠で、昔は田中屋と言ったとのこと。真誠講、日出講などの指定旅籠にもなっていて、当時は御嶽参りの人でにぎわったが、明治時代の末に中央本線が開通し、交通の流れが変わると、やっていけなくなってしまった。しかし、戦後木曽路が観光地として見直され、デイスカバージャパンの宣伝がされるようになった頃、民宿として再出発したと言うようなことを話してくれた。とても興味深い内容で、お銚子を傾けながら楽しいひとときを過ごすことができた。部屋に戻り、少し本を読んで、テレビを見て寝る。

すはら(民宿)の夕食  すはら(民宿)の朝食 

・朝須原宿を散策する

 翌朝は、7時前に起床し、朝の宿場を散策することにした。このあたりは、かつての旅籠屋らしき家の軒先に講中の看板なども残っていて、昔の宿場の面影をよく残している。ゆっくりと、歩いていると、朝の空気が冷たいが、とても心地よい。道の両側に所々に水場があって、この宿場独特の水船と呼ばれる丸木をくり貫いて横にしたようなものがおいてある。しばらく行くと、須原駅に出て、そこが宿場のはずれのように見えたので引き返すことにした。宿に戻って、8時から朝食にしたが、これもまたおいしかった。ほんとうに良い宿に恵まれたものだ、是非もう一度訪れてみたいと思いながら、9時前に出立する事にした。宿を出て、すぐ前にある定勝寺に立ち寄り、須原駅前の大和屋で名物の桜の花漬を買ってから須原宿を離れた。

須原宿の水船 すはら(民宿)の講中看板
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