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大黒屋旅館の外観 |
大黒屋旅館の玄関と式台 |
<宿泊記録>
☆1996年11月11日(金) 1泊2食付 8,300円(込込)で泊まる。
標準料金 |
1泊2食付 10,400円(税別)〜 |
住所、電話 |
〒509-6251 岐阜県瑞浪市日吉町細久手7905-1 TEL(0572)69-2518 |
街道と宿場 |
中山道細久手宿 |
創業 |
? |
建物 |
1859年(安政6)の建築で、卯達、玄関の広い式台、箱階段、上段の間が残る尾張藩定本陣 |
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箱階段 |
吹き抜けとなった中の間 |
・細久手宿へ到着する
御嵩宿から山道を石畳の坂、一呑の清水、唄清水、御殿場と越えてきて、やっと日が沈みかけた頃に細久手の宿へと入ってきた。その宿場の中程に卯達の上がる、大黒屋の古い建物を見つけた。玄関前に大きな旅籠行灯があり、観音開きの門の中の玄関に広くて立派な式台が見える。さすがに尾張藩の定本陣となっていただけあって堂々とした構えだ。声をかけると若女将が出てきて、ていねいに応対してくれ、とても感じがいい。玄関を上がると、吹き抜けとなった中の間に古風な箱階段が目に付いた。そこを上がった、2階の奥の部屋に通されたが、吹き抜けとなった周りを廊下がぐるりと巡らされていて、まるで時代劇でも見ているような感じだ。江戸時代末期の建物で、すでに130年以上は経ているので、少々きしむのはいたしかたないが、掃除が行き届いていて、廊下や柱は黒光りしていてとても風情がある。部屋に落ち着いて、お茶を飲んでいたら、床の間に数冊の本が置いてあるのに気がついた。手にとって見てみると、自費出版したような旅日記や中山道ガイドでなかなか面白そうだ。後で、ゆっくり見ようと思い、先ず風呂に行くことにした。急な階段を奥の方へ降りていくと、風呂場が
あったが、予想に反して普通の家庭にあるようなもので、ちょっと残念だったが、風呂だけは昔からの宿屋でも新しくなっている場合が多いのでやむをえないかな。でも湯加減もちょうどよくのんびりと入って、旅の疲れを癒すことができた。風呂から上がると、程なくして食事が部屋に運ばれてきた。この地方の郷土料理で、鯉の飴炊き、鮎の塩焼き、こんにゃく、茶そば、蜂の子、山菜などふるさとの味と言った感じで、お酒を飲みながら、とてもおいしく頂くことができた。満足!満足!食後は、さっき見つけた、床の間の本を開いてみたが、その中に、居合い抜きの先生の中山道徒歩道中記があって、「この宿で、とても親切にされた。」と書かれていて、とても楽しく読ませてもらった。私も、もう少し暇があったら中山道を歩き通してみたいとは思うのだが....。旅の疲れと、酒が少々回ってきたので早めに床に着くことにする。
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宿泊した部屋 |
大黒屋旅館の夕食 |
・朝細久手宿を散策する
翌朝は、6時半ごろ床を抜け出し、7時位に散歩に出かけた。朝の宿場町はとても静かだ通る車も人もいない。宿場をはずれて、田舎道をずっと歩いていったら、開元院という大きな寺に出た。案内板によると土岐氏ゆかりの寺とのことでしばらく境内を歩いてから再び、道を引き返し、宿に戻るまでには小1時間の散策となった。
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開元院 |
・朝食後出立して次の宿場に向かう
8時から朝食にしてもらったが、宿の方で気を利かして、1階の上段の間での食事となった。江戸時代には大名が泊まった部屋とのことで、一段高くなっていて、付書院や立派な床の間があり、みごとなものだ。寸時大名の気分を味わうことができた。食事をしながら聞いてみると、明治時代になって、交通体系が変わり、中央本線が開通すると、街道を通る人も少なくなり、鉄道からはずれたこの宿場は廃れてしまい、宿屋としてもやっていけなくなったとのこと。それで、造り酒屋や質屋などをしてつないできたが、戦中から戦後にかけて付近から亜炭がたくさん採掘されるようになり、勧める人があって、鉱山関係の宿として復活し、今日に至っていると言う。しかし、よく昔のままに残されたものだ!ほんとうに感心させられる。とても印象深く、江戸時代の旅人の気分
にさせてくれる数少ない宿だ。また、機会があったらぜひ訪れてみたいと思いながら、次の宿場に向けて旅立つことにした。
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朝食を食べた上段の間 |
大黒屋旅館の朝食 |
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