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古(いにしえ)を訪ねる旅
 旅籠宿泊記H 大橋屋(旧旅籠鯉屋)<東海道赤坂宿>
大橋屋の外観 大橋屋の入口

<宿泊記録> 注:2015年3月15日で廃業し、現在は資料館となっています。

  ☆2007年4月28日(土) 1泊2食付 10,500円(込込)で泊まる。

標準料金 1泊2食付 10,500円(込込) 宿泊当時の料金で、現在は廃業しています!
住所、電話 〒441-0202 愛知県豊川市赤坂町紅里127 TEL(0533)56-2677
街道と宿場 東海道赤坂宿
創業 創業慶安2年(1649)で、宿泊当時の当主は19代目、広重描くところの赤坂宿の浮世絵に描かれた旅籠(旧旅籠鯉屋)だと語る。
建物 1709年(宝永6)の大火後、1709年(享保元)に再建された建物が表に現存していて、江戸時代の旅を彷彿とさせる宿である。

・赤坂宿へ到着する

 ゴールデンウィークで実家に帰省する途中、旧東海道の旅籠を巡っていこうと思い立った。江戸時代の旅人の気分を少しでも味わいたいと考えたのだ。
 東京から西へ向かい、岡部宿の大旅籠「柏屋」、日坂宿「川坂屋」「萬屋」、新居宿の「紀伊国屋」、二川宿の「清明屋」と一般公開されている旧旅籠を5つ訪れた。結構、見学に時間がかかってしまったので、後は急いで今日の宿赤坂宿「大橋屋」へと向かうことになった。
 午後6時頃に到着することが出来たが、ここは江戸時代から続く旅籠(旧旅籠鯉屋)で、昔の建物のまま営業している数少ないところだ。今まで見学してきた旧旅籠と変わらない風情で出迎えてくれた。軒提灯に連子格子、入口には屋号がかかれた障子のくぐり戸があり、中に入ると、土間が広がっている。板敷きの玄関を上がると千本格子戸、黒光りした大きな柱に梁や桁がどっしりとした構えを造っている。階段にも風情があり、天井奥に篭がぶら下げてあるのも気に入った。中にかかっている暖簾には、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の芭蕉の名句が染め抜かれていた。

「大橋屋」のレトロな雰囲気

・レトロな旅籠の造りと心地よいもてなし

 案内された2階の部屋は新しい方だったが、しばらく休んでいると風呂が空いたと知らせてくれた。行ってみると、新しい浴室ではあるが、丸い木桶なのがいい。のんびり浸かって旅の疲れを癒した。
 浴後しばらくして、階下の広間での夕食に呼ばれた。食卓には、刺身(甘エビ、マグロ、タイ)、寄せ鍋、長芋の味噌掛け、茗荷の辛子味噌和え、むかご、蕎麦、とろろ汁、カニ足、漬物、デザート(イチゴ、オレンジ、メロン)が並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、美味しく飲みかつ食べた。
 食後は部屋に戻って、横になってテレビを見たり、明日のコースを考えたりしていたら、まどろんできたので、早めに床に就いた。

「大橋屋」の夕食 「大橋屋」の朝食

・朝赤坂宿を散策する

 翌朝は、早めに起きだして、7時過ぎからカメラを携えて、散策に出かけた。しばらく、街道筋を東に向かって歩くと、町並みの中に、赤坂関川神社がある。その境内に松尾芭蕉の「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の句碑があるが、御油宿と赤坂宿の近さを夏の夜の短さにかけて詠んだものだ。

赤坂関川神社の芭蕉句碑 御油の松並木

 カメラに収めてから、さらに東へ歩くと、宿場も終わって、有名な御油の松並木となる。今でも両側に松の木がたくさん茂っているが、その中を御油宿に向かって歩いていった。途中の児童公園の所に、看板があり、十返舎一九著『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さんが喜多さんを狐が化けたと勘違いして縛り上げる滑稽話が書かれていた。当時は、竹林もあって狐が出てきそうな所だったのだ。そんな状況も想像しながら、いろいろと写真を撮って戻ってきた。
 8時から朝食を取り、宿を出て、旧東海道をたどり、藤川宿へと向かった。

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