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古(いにしえ)を訪ねる旅
 城郭探訪(1) 姫路城

インデックス

@姫路城正面 A菱の門 B三国濠 Cカの櫓 D西の丸
E化粧櫓 Fはの門・にの門 G備前丸  H天守閣   I腹切丸・お菊の井戸 
☆姫路城文化財一覧 ◎姫路城歴代城主 

姫路城探訪マップ

 姫路城(兵庫県姫路市)は、今から約670年前の1333年(元弘3)、播磨の守護職、赤松円心(則村)が、ここ姫山に砦を築き、その子貞範が館を設けたのがその始まりとされているそうです。しかし、最近では、黒田重隆と職隆が、1555年(天文24)から1561年(永禄4)の間に御着城の出城として築いたという説が有力となっているとのことです。その後、1580年(天正8)、羽柴秀吉が中国攻めの根拠地として3層の天守閣を築きました。池田氏の後は本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏めまぐるしく城主がかわって廃藩置県を迎えることとなります。天守閣群の他に、26基、門15棟、石垣土塁などが残り、国宝や国の重要文化財になっていて、城郭建築の宝庫と言われているのです。また、1993年(平成5)には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。尚、2006年(平成18)には、日本100名城にも選定されました。

@姫路城正面

姫路城の遠景 三の丸から見た天守閣

 小豆島旅行に出かけ、新幹線で姫路駅まで行き、姫路港からフェリーで小豆島へ渡るつもりだったのですが、その前に姫路城を見たくなったのです。それで、駅のコインロッカーに荷物を入れ、首からカメラをぶら下げて、大手前通を歩いていきました。しかし、近づいてくる姫路城の雄姿は壮大です。日本一の城郭建築で、国宝でかつ、世界文化遺産となっているのもうなづけます。
 約15分ほどで正面登閣口にたどりつき、600円で入場券を買い、パンフをもらって、それを読んで予備知識を得ました。

A菱の門

菱の門の表側 菱の門の裏側

 まっすぐ歩いていくと最初に潜るのが、国の重要文化財になっている菱の門で、三の丸から二の丸へと通じる大手口を固める櫓門です。 名前の由来は、軒下に大きな菱の紋が 取り付けてあるところからその名が出たといわれます。

B三国濠

三国壕越しに見る天守群

 菱の門を潜ると四角形の三国濠(さんごくぼり)がありますが、池田輝政が播磨、淡路、備前の3 カ国から人夫を集めて築いたところからこの名が出たといわれます。この向こうに見える天守群がとりわけ美しいのです。ここだけで、何回もシャッターを切ることになりました。

Cカの櫓

カの櫓の北面 カの櫓の東面

 左手の西の丸の南端には二層のカのがありましたが、初重と二重目が同一平面の大きさの“重箱造”ので国の重要文化財になっています。

D西の丸

ワの櫓 西の丸の百間廊下

 その後、西の丸の南西隅にあるワの櫓脇の入口から、西の丸の百間廊下に入って、見学し始めましたが、この西の丸は、徳川家康の孫娘千姫が本多忠刻に嫁すにあたり、その化粧料で造営されたそうです。

E化粧櫓

西の丸の化粧櫓 化粧櫓の内部

 千姫ゆかりの化粧櫓には興味を持ちました。千姫は徳川二代将軍秀忠の娘(徳川家康の孫)に生まれ、政略結婚によって豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大阪夏の陣での落城の際に救い出され、のち本田忠政の子忠刻に再嫁したため姫路城に来たのです。

Fはの門・にの門

はの門から見る天守閣 にの門

 はの門の前から天守閣を見上げる姿も美しく、ここも撮影ポイントです。また、土塀に三角や四角の狭間が並んでいるのもきれいでした。この後続いて、にの門、ほの門と通過していったのです。

G備前丸

備前丸から見る天守閣

  天守群の裏手から、備前丸へと回り込んでくると、大天守が仰ぎ見られますが、その壮大さには圧倒されます。よくこれほどのものを造ったと感嘆せざるを得ないのです。
 姫路城の天守閣の完成は1609年(慶長14)、優れた築城家として知られる池田輝政の時のことです。日本一の名城と評判の高い姫路城は、その外見の美しさから「白鷺城」と呼ばれ、1994年(平成5)には世界文化遺産にも登録されています。5層6階の大天守と東、乾、西の小天守を渡櫓で結ぶ、連立式天守で、近世城郭の最高技術水準を示しているそうです。各層の逓減率があまり大きくなく、安定感あり、千鳥破風唐破風が巧みに組み合わされ、白漆喰総塗籠となっています。

H天守閣からの眺望

西方向(化粧櫓・景福寺山) 東方向(市立美術館・国立姫路病院)
南方向(大手前通) 北方向(広峰山・増位山)
 大天守の中に入るとその堂々とした柱や梁に驚かされ、階段を登っていくごとに城下の眺めが良くなっていきました。最上階からの展望はすばらしく、まさに一国一城の主の気分になれます。ほんとうにすばらしい場所です。

I腹切丸、お菊の井戸

腹切丸 お菊の井戸

 小天守を巡りながら下りてきて、腹切丸、お菊の井戸と巡りましたが、いろいろな伝説に彩られているのも、大城郭に所以たるものでしょう。二の丸を通って、菱の門へと戻り、売店で絵葉書やガイドブックを買い求めてから城郭を後にしました。

姫路城の公式ホームページへ

☆姫路城の指定文化財一覧

指定文化財 指定 員数 指定年月日
大天守 国宝 1棟 1951年(昭和26)6月9日
東小天守 国宝 1棟 1951年(昭和26)6月9日
西小天守 国宝 1棟 1951年(昭和26)6月9日
乾小天守 国宝 1棟 1951年(昭和26)6月9日
イ・ロ・ハ・ニの渡櫓4棟(附指定:台所1棟) 国宝 4棟 1951年(昭和26)6月9日
イの渡櫓 重要文化財 1棟 1963年(昭和38)7月14日
ロの渡櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日
ハの渡櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ニの渡櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ホの櫓  重要文化財 1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ヘの渡櫓 重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
トの櫓 重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
チの櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
リの一渡櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
リの二渡櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
折廻り櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
井郭櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
帯の櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
帯郭櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
太鼓櫓  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ニの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ロの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
化粧櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
カの渡櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ヌの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ヨの渡櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ルの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
タの渡櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ヲの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
レの渡櫓 重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ワの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
カの櫓  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
菱の門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
いの門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ろの門 重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
はの門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
にの門  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
への門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との一門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との二門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との四門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ちの門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
りの門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ぬの門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
水の一門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
水の二門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日
備前門  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との四門東方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との四門西方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との二門東方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
との一門東方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
への門東方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
への門西方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
水の一門北方築地塀  重要文化財 1棟 1931年(昭和6)12月14日 
水の一門西方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ニの櫓南方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
水の五門南方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
イの渡櫓南方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
にの門東方上土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
にの門東方下土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ロの櫓東方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ロの櫓西方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
はの門東方土塀 重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
はの門西方土塀  重要文化財 1棟 1931年(昭和6)12月14日 
はの門南方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ろの門東方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ろの門西南方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
化粧櫓南方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
ワの櫓東方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
カの櫓北方土塀  重要文化財  1棟 1931年(昭和6)12月14日 
菱の門西方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
菱の門南方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
菱の門東方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
いの門東方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
太鼓櫓南方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
太鼓櫓北方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
帯郭櫓北方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
井郭櫓南方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
トの櫓南方土塀  重要文化財   1棟 1931年(昭和6)12月14日 
姫路城跡 特別史跡 1件 1956年(昭和31)11月21日

◎姫路城の歴代城主

歴代城主 石高 在城年 備考
初代 池田輝政(てるまさ) 520,000石 1600〜1613年
2代 池田利隆(としたか) 520,000石 1613〜1616年
3代 池田光政(みつまさ) 520,000石 1616〜1617年
4代 本多忠政(ただまさ) 150,000石 1617〜1631年
5代 本多政朝(まさとも) 150,000石 1631〜1638年
6代 本多政勝(まさかつ) 150,000石 1638〜1639年
7代 松平忠明(ただあき) 180,000石 1639〜1644年
8代 松平忠弘(ただひろ) 180,000石 1644〜1648年
9代 松平直基(なおもと) 150,000石 1648年
10代 松平直矩(なおのり) 150,000石 1648〜1649年
11代 榊原忠次(ただつぐ) 150,000石 1649〜1665年
12代 榊原政房(まさふさ) 150,000石 1665〜1667年
13代 松平直矩(なおのり) 150,000石 1667〜1682年
14代 本多忠国(ただくに) 150,000石 1682〜1704年
15代 本多忠孝(ただたか) 150,000石 1704年
16代 榊原政邦(まさくに) 150,000石 1704〜1726年
17代  榊原政祐(まさすけ)  150,000石 1726〜1732年   
18代  榊原政岑(まさみね)   150,000石 1732〜1741年   
19代  榊原政永(まさなが)    150,000石 1741年   
20代  松平明矩(あきのり)   150,000石 1741〜1748年   
21代  松平朝矩(とものり)   150,000石 1748〜1749年   
22代  酒井忠恭(ただずみ)  150,000石 1749〜1772年   
23代  酒井忠以(ただざね)   150,000石 1772〜1790年   
24代  酒井忠道(ただひろ)   150,000石 1790〜1814年   
25代  酒井忠実(ただみつ)   150,000石 1814〜1835年   
26代  酒井忠学(ただのり)   150,000石 1835〜1844年   
27代  酒井忠宝(ただとみ)   150,000石 1844〜1853年   
28代  酒井忠顕(ただてる)   150,000石 1853〜1860年   
29代  酒井忠績(ただしげ)   150,000石 1860〜1867年   
30代  酒井忠惇(ただとう)   150,000石 1867〜1868年   
31代  酒井忠邦(ただくに)   150,000石 1868〜1869年   
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