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私の旅日記

秘湯の旅日記(11)銀山温泉(山形県)
1997.9.19-20

*1997年9月19日(金) ほっとゆだ駅湯沢市→JR院内駅→銀山温泉

・JRほっとゆだ駅より、銀山温泉へ

 ほっとゆだ駅での入浴後、周辺にある河村美術館、歴史民俗資料館を見てから、国道107号を西進し、横手市からは南下して、湯沢市に至った。この街もゆっくり見たいところだったが、時間もないので銀行で金を下ろすだけにして、南下し、JR院内駅に着いた。ここは駅が歴史民俗資料館となっていて院内銀山の資料が展示してある。それを興味深く見学したあとは、再び国道13号を南下した。尾花沢市街を抜けてからは、道を変え国道347号を東へ走ると、途中、銀山温泉の標識が出てきた。そこを右折して、さらに走ると、道はだんだんと山の方へ向かっていく。その曲がりくねった道を川底へ降りていったところに銀山温泉の街並みがあった。

銀山温泉街

・宿の親切な応対と銀山川に面したきれいな部屋に感激!

 銀山川沿いに、古風な3階建、4階建の木造旅館が並び、特異な景観を作りだしている。まるで、大正時代の繁栄期で時間が止まってしまったような空間だ。今日の宿柴田屋旅館は川沿いにすぐみつかったが、駐車場は遠く離れているとのことなので、やむを得ず坂道の途中に路上駐車して、宿に向かった。橋を渡ったところにある木造2階建で、改築されてはいるが、昔ながらの湯治宿の風情を残している。玄関を入ると、すぐに主人が応対に出たが、丁寧でとても親切だ。通された部屋も改装したばかりでとてもきれいだった。銀山川に面して、窓から旅館街が一望でき、夕暮れ時のクラッシックな街灯がともった中を、ゆかた姿の浴客が歩いているのが何ともいえない情景で、すごく気に入った。この宿は昨晩「湯治宿100選<東日本編>」(旅行読売出版社)に載っていて、『客室が5室という小じんまりとした宿だ。大正時代の創業いう老舗で、かつては自炊利用の湯治客が大半を占めていたが、現在では2食付きの宿泊のみを行っている。』と書かれていて、私の好みに合いそうだと、電話で予約したのだった。電話での応対も感じよく、料金も手頃だったので期待していたの来たのだ。さっそく、 浴場に向かったが、風呂場は階段を降りた、底にあった。湯の具合もとてもよい。気持ち良く入浴して、上がってきたら、間もなく夕食が部屋に運ばれてきた。豪華なものではないが、上手に調理してあり、とてもおいしくいただくことができた。酒を冷やで頼んで、食べかつ飲んで、とても満足できた。あとは、本を読み、テレビを見て寝てしまった。

☆柴田屋旅館に泊まる。<1泊2食付 8,550円(込込)>

柴田屋旅館の外観 柴田屋旅館の浴槽
宿


銀山温泉「柴田屋旅館」のデータ
標準料金 1泊2食付 7,000円〜10,000円(込別) 
浴室 内湯2(男1・女1)
宿泊定員 木造2階建 和室5室 19名
住所、電話 〒999-43 山形県尾花沢市大字銀山441 TEL(0237)28-2162
交通 JR奥羽本線大石田駅から銀山温泉行きバス45分終点下車徒歩3分
源泉58℃の含硫黄−ナトリウム-塩化物泉(硫化水素型)
*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病・糖尿病・高血圧症・動脈硬化症
柴田屋旅館の夕食 柴田屋旅館の朝食

*1997年9月20日(土) 最上徳内記念館→長瀞藩陣屋跡→檜枝岐温泉

・朝の散歩がてら銀山跡へ

 朝は5時半に起床し、6時過ぎから散歩に出かけた。しかし、この川沿いの木造旅館街の景観はみごとなものだ、「能登屋」、「小関館」、「古山閣」などという古い看板をかかげた木造3階建てが並んでいる。昔はこんな旅館街がいくつもあったのだろうが、いつしか、近代化されて、味気ない、鉄筋コンクリート造りのホテルに建て替えられてしまった。そういう意味では貴重な存在だ。人気テレビドラマ「おしん」のロケに使われたことで知られているが、ほんとうに大正時代の旅館街の景観をよくとどめている。その銀山川沿いに、上流に向かって歩いていくと、ほどなくして、街並は途切れて、大きな白銀の滝が見えてくる。昨日までの雨のせいか、水量も多く、堂々とした流れが滝壺に落ち込んでいる。その上に出る道がこれまた良い。ほんとうに心地よい長蛇渓と呼ばれる川底が一枚岩になった渓流で、紅葉のころは素晴らしいのではと思わせる。そこにかかる橋も、昔の風情があって、戦前の映画に出てくるワンシーンの中にいるようだ。河畔に斉藤茂吉の歌碑「たらちねの 母がつりたる 青蚊帳を すがしといねつ たるみたれども」もある。そこをさらに上流に昇っていくと、銀山の跡がある。危険防止のために中に入ることが、出来なくなってしまったが、江戸時代に繁栄した銀山を 彷彿とさせ、たぬき掘りの跡がそこここに見える。この温泉街の繁栄もこの銀山と共にあったとのこと。しばし、その跡にたたずんで昔を偲んでみた。そんなムードにさせる場所だ。

長蛇渓のレトロな橋 長蛇渓の渓流
 
みごとな白銀の滝 銀山の坑口跡

・一風呂浴びて、朝食を

 朝食の時間もあるので、それから下っていって宿に戻った。帰ってから、朝風呂に入り、部屋で朝食を取って、8時半に出立したが、ほんとうに感じのよい宿だった。また、訪れてみたいと思いながら銀山温泉を離れた。

・村山市の最上徳内記念館を見学

 昨日来た、道とはちがったルートをとろうと思い、峠越えで村山市へ直接出る道を選ぶ。途中まではそれほどひどい道でもなかったが、峠の下あたりからは車一台がやっとの曲がりくねった上り坂となり、運転が慎重になった。峠からの眺望は良かったが、とにかく疲れる道だった。それでも、なんとか下りきって村山市役所そばの最上徳内記念館に立ち寄った。この、北方探検家の事跡には目を見張るものがあり、その苦労とともに、新たな知識をえさせてくれたので、ここで、結構時を費やしてしまった。

 
最上徳内記念館 最上徳内

・村山市立図書館から長瀞藩陣屋跡へ

 この後、村山市立図書館に行って、長瀞藩陣屋の資料を調べ、コピーしていたら、かなり時間がかかってしまった。その資料を基にして、長瀞藩陣屋跡を探したが、結構大きな堀が残されていた。また、大手門跡の案内板もあって、図書館でコピーした絵図と合わせて、だいたいの位置関係をイメージすることができた。しかし、陣屋跡には何もなく、ぐるりと車で一周してみたが、もう少し、保存されていたらと思わずにはいられなかった。

長瀞地区の案内図 長瀞藩陣屋跡の堀

・あらきそばで昼食をとる

 すでに、正午をかなりまわってしまったので、図書館で教えてもらった、あらきそばへ行くことにした。ここが、なかなか昔風の造りの茅葺き屋根の田舎家で、蕎麦も田舎風の蕎麦粉100%の太く、板そばと呼ばれるものでとても気に入った。またおかずと称しているものを注文すると、にしんとあけびが出てきてこれも珍味だった。

・ひたすらに檜枝岐へ向かって車を走らす

 すっかり、満足してから一路南下することにした。もうかなり時間が過ぎていて、後残されている行程を考えると、もう寄り道している時間はない。ひたすらに、車を走らせて、左沢、長井と過ぎて県境の峠を越え、喜多方、会津若松と先を急ぎ、田島から山間に分け入って、やっとのこと夕方6時前に檜枝岐にたどりついた。

秘湯の旅日記(12)<檜枝岐温泉−福島県南会津郡>へ続く
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