秘湯の旅日記(19)玉川温泉(秋田県) |
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*1998年5月3日(日) ・玉川温泉行きのバスに一人乗って 乳頭温泉郷での入浴を終え、田沢湖畔で玉川温泉行きのバスに乗り継いだが、乗客は私一人で、ゴールデンウィーク中なのに行く人もいないのかと不思議に思った。かなり人気のある温泉だと聞いていたのだが...。結局、眺望のよい、渓谷沿いや玉川ダムサイドの山道を1時間ほど走ったのについに他の乗客は乗ってこなかった。ダム湖畔を離れ、ヘアピンカーブの続く上り坂をどんどん上っていった、はるかかなたに大きな建物群が見えてきて、それが玉川温泉と知れたが、周辺の道路にはたくさんの自家用車が駐めてある。なるほど、最近はみんな車で来る人ばかりなのかと、あらためてがら空きのバスを眺め回した。路上駐車で狭くなった曲がりくねった下り道をぎりぎりにかわしながら、やっとのことでバスは旅館の前に到着した。
・新しくて立派な相部屋 さすがに、700人収容というだけあって大きな旅館で、渓流沿いにいくつもの建物が連なり、湯煙がもうもうと立ちこめている。フロントで受付を済ませていると、隣で「今日はまだキャンセルがでないか」と訪ねている。うわさには聞いていたが、とても人気があってなかなか泊まれないのだと...。昨日の昼、電話をして、たまたま予約がとれた私はラッキーだったのだ。しかし、「相部屋しかありませんがよろしいですか?」と聞かれ、「何人部屋ですか」と聞き返したときに、「18人部屋です。」と返答されたときは一瞬躊躇したのだが、以前からぜひ泊まってみたい温泉だったし、学生時代からユースホステルを渡り歩いていて、相部屋には慣れているので、久しぶりにそれも良いかとやってきたのだった。案内してくれた女中さんも手慣れたもので、要領よく、風呂や食事について説明しながら部屋へと導いてくれた。大広間に川の字のように寝るのかと想像していたら、案に反し、きれいな新館の大部屋にベットルームがしっかりとした壁で仕切られていて、カーテンを引けば、プライベート空間が確保できる造りとなっていた。それでいて、入り口部分に共通の談話コーナーも設けられてい て、自動湯茶器からお茶を汲みながら、同宿者との語らいもできるのだった。ベットの幅も広く、貴重品はベット下に鍵付きの格納場所もあり、読書灯もついていてなかなか考えた構造になっていて、気に入った。ユースホステルとちがうのは相部屋の人々が中年、老年の方ばかりということか...。しかし、他にも、自炊専用棟から普通の旅館のような部屋、ホテルの客室風のものまで、料金に応じて多様に用意されていると聞く。もともとは、湯治の温泉宿だったので、自炊部と旅館部の中間のような相部屋が用意されているのだろうか?
・聞きしにまさる強酸性温泉 荷物を置いてさっそく大浴場に行ってみることにした。男女別の浴場内は広く、源泉100%、50%の浴槽、寝湯、打たせ湯、気泡湯、蒸し湯、熱い湯、ぬるい湯など様々な浴槽が用意されていて、色々と試してみることが出来る。その中でも、源泉100%(pH1.2の強酸性)の浴槽はすごい。見た目は澄んだ湯で普通の風呂と変わらないように見えるのだが...。中にはいると、強酸性の刺激が皮膚をピリピリとさせて、痛いような感じさえする。皮膚の弱い人は、ただれたりするので要注意と案内書に出ていた。しかし、その効能はものすごく、特に皮膚病には特効があって、医師に見放された慢性皮膚炎も1、2週間の湯治で治る場合があると聞いた。なるほど、この強酸性では殺菌力も強く、皮膚に取り付いた細菌も殺してしまうだろう...。ただし、この浴槽に長く浸かってはいられない。適当に違う浴槽に入ったり、湯から出て休みながら行うのでなければ続かない。30分ほどで上がって、部屋に戻ることにした。 ・語らいながら夕食を まだ、夕食まで少し時間があったので、売店で、寝酒とつまみを少々買い込むことにした。自炊客も多いので売店には何でもそろっていて、酒類も定価で買える。店員に聞くと、「食堂で酒を注文すると高いから、ここで買って部屋で飲んだ方が得だよ。」との返事で、人に迷惑かけなければ、いくら持ち込んでも良いとのことだった。買い物を済ませて、7時から夕食ということで、食堂に向かったが、さすがに数百人からの賄いをするとあって、大きな所だ、従業員も手慣れた者できびきびと食事の世話をしている。食べるテーブルも部屋ごとに決まっていて、同室のメンバーといっしょのテーブルとなった。初めて、会ったばかりの人だが、同室のよしみで結構話ができるから不思議なものだ。向かい側に座った80才位のお年寄りと話が弾んでしまった。 ・相部屋の人たちとの団らん 食後部屋に戻ると、談話コーナーには、数人の男性が談笑している。私もその仲間に入れてもらうことにしたが、こういうのが相部屋の楽しさだ。皆、一人で湯治に来ている常連の人で、私より年輩で、父親ほどの年の方もみえる。話を聞いているとそれぞれに病気をかかえていて、中にはガンや肝硬変などの重い病気の人もいる。その内の一人は医者から末期のガンで余命半年と宣告され、わらにもすがる気持ちで、この温泉で湯治をはじめたが、その後体調も良く、3年になると話す。普通ならとても他人には話せないような、病気や悩みも自然に語り合える。そんな雰囲気がここにはあるのだ。他の一人はそれぞれ地獄を見るようなつらい病気を背負っているから、逆に色々と相談しあえるのだと語る。さして、病気などしたことのない健康な私が、こんなところにいていいのだろうかとも思ったが、この中では一番若い私に色々と気を使ってくれている。この湯治の予約を取るのも大変なことで、6ヶ月前に争うようにして予約を入れるのだと言う。一番年輩の80才位の方は、電話のダイヤルを2時間回し続け、やっとつながって予約できたが指が痛くなったと笑っている。私が、昨日の昼、たまたま キャンセルがあったのか、一回の電話で予約できたのは奇跡に近いことだったのだ。私は買い込んできたワンカップを飲みながら談笑していたが、他の人は病気療養中の為か、アルコール類はいっさい口にしないので申し訳なく思った。つまみが、いるだろうと柿の種を出してくれる人もいて恐縮してしまった。そんな、団らんの時を過ごし、10時前にはそれぞれのベットに戻っていった。私は、そこでもワンカップを一杯飲んで眠りについた。 ☆湯瀬ホテル玉川温泉営業所に泊まる<1泊2食付8,340円(込込)>
*1998年5月4日(月) ・早朝の岩盤浴体験 いつもより早く眠りについたことと、酒を飲んでいたせいか。かなり早く目が覚めてしまった。4時を過ぎたばかりなのに廊下に人の気配がする。なんだろうと、思って出てみると、何人かがゴザを持って、出かけようとしている。同室の人に聞いたら、地獄谷へ岩盤浴に行くところだという。これが、以前聞いたところの岩盤の上にゴザを引いて、地熱と温泉蒸気を浴びる独特の方法かと思い、いっしょに連れていってもらうことにした。裏口から旅館を抜け出ていったが、早朝の少し明るくなった道を何人もの人が2人、3人と連れだって、歩いている。手に手にゴザを持ち、トレーニングウェアーや防寒着を着込んで、連なっていく様子は独特のものだ。温泉が川のように流れ、湯煙がもうもうと立ちこめている。途中、“大噴”のところでは98℃の熱湯がぼこぼことすさまじい勢いで噴き出している。毎分9000gという、一つの源泉としては国内最高の湯量で、Ph1.2という強酸性泉の源となっている。この周辺はマイナスイオンが高いことで知られていて、すでにゴザを引いて寝ている人が見受けられる。さらに、少し歩いていくと、硫黄の吹き出している地獄谷と呼ばれる地帯に入って行くが、そ の中に開放的な露天風呂が設けられている。その奥の大きな岩盤の上に、遊牧民の移動式住居のような大きなテントが3張り設置されていた。その周辺にも何人かがゴザを引いて寝っころがっているが、その風変わりな光景にしばし呆然としてしまった。これから、あのテントの中に入って岩盤浴をしようというのだが、すでにテントの中は満員で入り口で少々待たされることになった。10分程待って、中に入っていったが、20人ほどがゴザの上に寝て毛布をかぶって、背中向け、仰向け、横向きと銘々のスタイルをとっている。私は同室の2人に教えられて、一番奥の隙間にゴザを引き、下着だけになって寝っころがって、毛布を借りて、引っ被った。見ず知らずのメンバーが狭いテントの中に下着一枚になって、川の字になって寝ているとは何とも妙な雰囲気なのだが、慣れてくると岩盤の熱が適度に伝わってきてとても心地よい。しかし、長い間、同じ姿勢でいると熱くなってくるので、時々体位を変えて、上向きになったり、下向きになったりしなければならない。時間もおおよそ40分位とされていて、あまり長くいると逆に体に良くないと言う。同室の2人はきちんと時間をはかっていて、もう出ようと 声をかけてくれた。まことに不思議な体験を終えて、外に出ると、露天風呂にも何人かが入浴していた。ここはまさに天然の療養場所なのだ。私も入浴したかったが、タオルを持ってこなかったので後で出直すことにして、旅館へと戻っていった。
・開放的な露天風呂に まだ、5時半を過ぎたところで、普通ならば寝ている時間だが、湯治客の朝は早く、すでに大浴場に向かう人もちらほらと見られる。ベッドで少し休んでから、再び付近の散策と露天風呂に入りに行くことにした。旅館の周辺は自然に包まれていて、新緑の木々の芽吹きも見られるが、残雪もある。そんな中にこぶしの白い花がたくさん咲いていて、とてもきれいだ。ほんとうに山奥の温泉なのだが、これだけ多くの人を引きつける魅力が満ちているのだろう。泉質の良さが一番の理由だろうが、この周囲の環境が健康を回復させるのに一役買っていることは間違いない。そんなことを考えながら、ぶらぶらと再び地獄谷の方へと歩いていった。先刻よりも岩盤浴をする人の数が増えている。さっき入り損ねた、露天風呂に行ってみたら、中年の女性と青年が入浴していたので、私も仲間に入れてもらうことにした。しかし、なんと開放的な浴槽なのだろう。遮るものとてほとんどなく、遊歩道のすぐ脇に設けられている。正方形の木造で、地獄谷の天然の湯がふんだんに注ぎ込まれている。湯の具合もとてもよく、自然の風景を堪能しながら、おおらかに入浴することができる。露天風呂の中でも最も自然の 中にある一つではないだろうか。のんびりと湯に浸かりながら、先客の青年と言葉を交わしたら、彼も大の温泉好きで、この玉川温泉が気に入ったそうだが、旅館の予約は取れず、車中泊したとのことだった。この旅館に泊まれなかった人は、近在の旅館から通ってきたり、車の中で寝泊まりしている人もいると言う。しばらく、温泉談義をして、湯から上がり、つくづく幸運だったんだなあと思いながら、旅館へと戻っていった。
・再び大浴場に入浴 帰ると、7時半を過ぎていて、朝食の時間となっていたので会場の大食堂へと向かった。朝食はバイキング方式で銘々好きなものをとってきて食べている。今日は早起きをし、色々な体験をしたので、いつもより食が進んだ。部屋に戻ると、また、大浴場の強酸性の湯に浸かりたくなるから不思議なものだ。あの皮膚がピリピリとする感覚が忘れられない。この旅館に泊まれたことが、超ラッキーなことだとすれば、もう一度出発前に入浴しなければと思えるのだった。そして、また大浴場へと出向いていった。すでに、多くの人が入浴していて、源泉100%の浴槽は満員だ。少し、譲ってもらって、肩まで湯に沈めたが、再びあのピリピリとした感覚が伝わってきた。ほんとうに刺激の強い泉質で、玉川温泉の効能を体感する気持ちになる。しばらく、その感覚を肌に記憶させてから、上がってきて、出発の準備を整えた。 ・貴重な体験を胸に玉川温泉を去る たった、1泊しただけだが、とても貴重な体験ができたように思う、温泉本来の役目を思い起こさせてくれた。同室の人々に別れを告げて、フロントへと向かった。支払いを済ませ、9時半の鹿角花輪駅行きのバスに乗ろうとしたら、バスは下まで降りてこないので、坂の上のバス停まで車で送るとのことだったので、ソファーに腰かけて、しばらく待っていた。4,5人の客と一緒にワンボックスカーに乗り込み、急坂を上っていったが、下方に広がる玉川温泉の建物群がとても印象深く、心に刻まれていたのだった。 |
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