秘湯の旅日記(26)美作の4湯めぐり(岡山県) |
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*1998年9月17日(木) 奥津温泉→湯原温泉→真賀温泉 島根県・鳥取県の温泉巡りを終え、用瀬町からは道を国道179号線にとり、辰巳峠で県境を越えて岡山県へと入っていった。このあたりは山も深いが、それほど峻険な感じはなく、老年期の地形を感じさせる。そんな中を車を走らせ続けて、奥津温泉街へと入ってきた。ここは、藤原審爾の小説『秋津温泉』で有名になったところで、1962年に吉田喜重監督によって映画化され、長門弘之と岡田茉莉子の演技が印象深かった。今でも、鄙びた雰囲気の所だが、私は、道端に車を置いて河原におり、足踏み洗濯で有名な露天風呂に入ることにした。無料の共同浴場(混浴)が河畔に建っていて、そこで服をぬぎ、まず内湯の方に飛び込んだ。老人夫婦の先客がいたが、いろいろと土地のことを聞いてみた。この共同浴場は洗濯場を併設しているところが面白い。まさに、地域の人々の生活の中にある温泉なのだ。河原の岩造りの露天風呂はすばらしく、流れが眼前に迫っているが、橋の方からは丸見えだ。でも、この湯にゆったりと浸かり、川の流れを見つめていると、世俗を忘れてしまいそうな雰囲気ではある。何回か出たり入ったりしてみたが、昼間ということもあって他の浴客は現れなかった。充分に湯を堪能してから、上がってきて温泉街をぶらついてみたが、昼間ということもあって、閑散としている。昔ながらの木造2階建ての湯宿もあって、一度泊まってみたいと思いながら、次の温泉地へ向かうことにした。
★奥津温泉共同浴場・露天風呂に入浴する。<入浴料 無料>
少し南へ車を走らせてから、国道179号線から右折して、細い県道に入ったが、これがなかなかすごい道で、車一台がやっとという道幅の上に、曲がりくねって、アップダウンがきつい。ほんとうに、こんな道が湯原温泉に通じているのだろうかと不安になりながらも、どんどん車を走らせて、山間地へ分け入っていった。このあたりでは、思ったより、中国山地の山は深く、渓谷と山地の景観を楽しみながらもハンドルさばきに充分な注意を払って進んだ。やっとの思いで、国道313号線まで出て、今度は右折して、旭川に沿って北上していった。湯原の温泉街は渓谷に沿って、細長く連なっているが、その中の細い道をどんどんと上がっていって、眼前に湯原ダムが見えるところに大きな露天風呂群を見つけた。これが、かの有名な「砂湯」で自然の河原につくられた開放的なもので、背景のダムが独特の景観を与えている。道端に車を停め、さっそく露天風呂に入浴することにしたが、すでに、数人の男性浴客が入っている。一応、男女別に分かれた脱衣場はあるが、あとはすべて男女いっしょだ。一番手前の浴槽から入っていったが、一つ一つが岩でつくられた大きなもので、少しずつ湯温が異なっているようだ。いろいろと入りながらその違いと開放感を楽しんでいると。中年のおばさんの一軍がバスタオルをしっかり巻いて登場した。さすがに、男性ばかり、入っている湯船は敬遠して、誰も入っていない浴槽に身を沈めたものの、一番ぬるい浴槽のために寒がっている。そんな光景を目にするのも混浴共同浴場の面白いところだ。私が、一番気に入ったのは上に東屋のある浴槽で、湯温もちょうど良い。いい気分になっていたら、くだんのおばさん達が、ぬるい浴槽に見切りをつけて、こちらに移ってきた。じつに、にぎやかなもので、話し方で、都市部から来た人々だとわかったが、日頃のうっぷんをはらすべきおしゃべりに興じている。そんな、露天風呂の喧噪を後に、湯から上がって、真賀温泉に向かうことにした。
★湯原温泉露天風呂「砂湯」に入浴する。<入浴料 無料>
国道313号線を南下して、勝山方面に向かい30分ほどで旭川に沿う、狭隘な地形の所に山肌に寄り添うようにしてある小さな温泉街が見えてくる。内湯のある旅館が4軒と共同浴場「真賀温泉館」だけの素朴な湯治場風の温泉地を形成していて、今日はその中の「もりや旅館」に泊まることにしていた。宿に荷物を置くと、さっそく共同浴場へと向かった。共同浴場「真賀温泉館」は、後醍醐天皇の時代、伯耆船上山の戦いに敗れた武将の傷を治したと伝えられる天然の岩風呂があり、急斜面にへばりつくように建てられていて、その中が男湯、女湯、混浴、家族湯3(玉乃湯、旭湯、泉湯)と6つに仕切られた浴室に分かれている。その一つが混浴の幕湯で、江戸時代には津山藩の公衆浴場が置かれていたと言われ、武士が入浴するときには幕を張り巡らしたため、幕湯の名が付いたと聞く。風呂底が天然の岩でそこに差し込まれた竹筒から湯が自然湧出しているという独特の浴槽だ。直径2mほどの円形に近い岩風呂で、入浴すると浴槽はすり鉢状になっていて、竹筒が差し込まれているあたりの最深部は1m40p位ある。しかし、段々状に浅いところから深いところまである状態で、深さは一定しない。お湯はぬるめで、アルカリ性のためつるつるして、入り心地はとても良く、いつまでも入っていたくなる温泉だ。家族湯は60分1,000円で個室利用ができるとのことで、隣の浴室からは若いカップルのはしゃいだ声が聞こえていた。
★真賀温泉共同浴場真賀温泉館「幕湯」に入浴する。<入浴料 250円>
・真賀温泉「もりや旅館」に泊まる お湯の良さと浴槽のおもしろさに満足して、旅館に戻ると、すぐに部屋での食事となった。運ばれてきたお膳には、川魚や山菜などが載っていて、お酒を冷やで飲みながらおいしくいただいた。後は、テレビを見ながら寝てしまったが、こういう山間の湯治場で過ごす一夜も悪くない。泊まり客も少なくて静かに時が流れていった。
☆真賀温泉「もりや旅館」に泊まる<1泊2食付 9,870円(込込)>
*1998年9月18日(金) 真賀温泉→足温泉→勝山町へ 6時半頃起床し、恒例にしている朝の散歩に出かけた。少し上流まで歩いて、足(たる)温泉の共同浴場で朝風呂に入ろうと思っていた。旭川沿いにぶらぶらと15分ほど歩くと反対側の岸に小さな温泉街が見えてきた。昨日来るときに国道から場所は確認してあったが、ほんとうに山間の小集落といった感じだ。橋を渡って行くと河原で洗濯をしている。どうやら、温泉水を使って洗っているようだ、珍しく思って河原に下りて、遠方から眺めていた。共同浴場が始まるまでにはまだ少し時間があったので、温泉街をぶらついてみたが、ものの1分で通り過ぎてしまうほどで、4軒の宿屋があるだけ、すべて内湯はなく共同浴場を利用していると聞いた。旅館の建物も古く、歴史を感じさせる、まさに昔ながらの湯治場の風情を保っているのだ。現在ではとても貴重な温泉地だと思う。川沿いの小道をしばらく散策して戻ってくると共同浴場が開いていたが、かなり老朽化した年代物だ。隣接地に新しい日帰り入浴施設が出来ると看板が立っていた(1999年春に建物が完成し、現在はこちらに入浴する)が、こういう古い建物も風情があっていい。すでに、地元の人が入っていて、話を聞いていると、仕事に行く前に朝風呂を浴びているらしい。朝から、村人の語らいがあって、とても和やかなムードなのだ。のんびり湯を楽しんでから、来た道を戻っていった。
★足温泉共同浴場「足温泉館」に入浴する。<入浴料 200円>
・出立し、勝山町へ向かう 旅館に戻ってから、すぐに朝食にしてもらい、散策と入浴で空いてきた腹を満たした。しかし、ここの旅館の内湯にはまだ入っていないことを思い出し、食後に再び入浴することにした。こぢんまりした浴室だが、とても落ち着ける感じで、泉質も共同浴場と同じようで、とても入りやすい良い湯だ。あまり、長湯をしては後に差し支えると、早々に上がって、旅支度を調えた。8時半頃宿を立ち、国道を南下して、勝山町へと向かったが、道は空いていた。 |
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