秘湯の旅日記(25)島根県・鳥取県の4湯めぐり |
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*1998年9月15日(火) 津和野→益田→温泉津温泉→池田ラジウム温泉 ・津和野を散策する 山口県の秘湯めぐりの旅を終え、萩市を過ぎて、山間部に分け入り、津和野町を目指した。途中、島根県境付近の山間部で、道を間違え、どんどん山の上に上っていってしまい、牧場のところで、道が途絶えてしまったのには困った。仕方なく、引き返したが、やたらに走ると山中で方向を見失うとこういうことになるのだ。注意!注意!それでも、そんなに雨に降られることもなく、10時過ぎには津和野の町へと入ってきた。有料駐車場に車を入れ、徒歩で散策することにして、まず、民俗資料館へと向かった。ここは、津和野藩の藩校「養老館」の跡で、長屋門の前の水路にいろとりどりの鯉が泳いでいることで知られている。今日も観光客が鯉の前に群れているが、けっこう若い女性の姿が目立つのは、小京都の一つとして人気があるからなのだろう。この、藩校からは小藩ながら多くの有能な人材が輩出している。その中でも、有名なのは森鴎外と西周で、町内には旧居や記念館がある。ここでも、キリシタン弾圧の乙女峠などのいくつかの興味ある情報を仕入れて、次に近くにある町立郷土館まで、歩いていった。ここも、古い建物だが、結構豊富な展示がしてあって、新たな知識を得た。あの坂崎出羽守と津和野との関係、戊辰戦争における津和野藩の役割など興味深いものがあり、しばらく見学した。 ・森鴎外記念館を見学 その後、車に戻って、今度は森鴎外と西周の旧宅のあるところまで移動した。少し離れた駐車場に入れて、後は徒歩で巡ることにし、まず森鴎外旧宅へと向かった。江戸時代は堀端の武家屋敷であったとのことだが、今では、堀も埋め立てられ、住宅街の中にぽつんと残されているといった感じがする。木造平屋建ての簡素な建物で、その裏に立派な森鴎外記念館が建てられている。旧宅をぐるっと巡ってから、記念館を見学したが、その生涯を概観することができて、理解が広がった。次に、西周の旧宅の方へ足を向けたが、現在、修復工事中とのことで、建物全体に覆いがかけられ中に入ることができなかったのが心残りだった。もう少し、いろいろな所を回りたかったが、今日の旅程は長く、結構走らなければならないので、早々に町を離れ、益田市へと向かった。
・雪舟の郷記念館を見学 国道9号線を一気に北上しながら、昼食のとれる場所を探したが、山陰の山間地のこととて、思うような場所も見つからず、とうとう益田駅近くまで来てしまった。その周辺でガイドブックに載っている店を探したが、見つからす。仕方がないので、駅の有料駐車場に車を入れ、徒歩で駅前の食堂を物色することにした。目の前に観光案内所があったので、情報を仕入れ、観光パンフをもらいながら、食事の出きる店を聞いてみたが、今日は休日で閉店しているところが多いとの返事。それでも開いていそうな店を2,3軒紹介してくれた。駅前通りにあるそのうちの一軒に入って、昼食をすませ、再び車に乗って、雪舟の郷記念館を目指すことにした。ここ益田の地は、雪舟が生涯を終えた地として有名で、その墓もある。以前来た時には、医王寺や万福寺の雪舟作の庭園を見学したことがあるが、とても見事なものだった。室町時代を代表する文化人で、日本的な美を探求する上で、偉大な事績を残している。新しい記念館の展示によって、その経歴、足跡を知ることができ、とても良い勉強になった。時間も押してきているので、すぐ近くにある雪舟墓に立ち寄ってから、益田を離れることにした。国道9号線をひたすらに東へ走り、浜田、江津と過ぎ、温泉津へと向かった。
ここは、日本海に臨む良港で、以前は大森銀山の積出港として栄え、温泉の出る港(津)ということで、地名の由来となるほど昔、1300年前から温泉が湧いていたという。かつてのにぎわいはないが、湯治場としても知られていて、今でもその風情をよく保っていると聞いた。国道9号線から離れ、海岸沿いの道を大きく回り込んでいくと、その入り口に至ったが、なるほど昔ながらの温泉街が奥へ、奥へと細長く連なっている。その狭い街路の中をゆっくりと通り過ぎ、最奥の駐車場に駐めて、徒歩で少し引き返して、温泉津温泉発祥の源泉である元湯温泉の共同浴場「元湯・泉薬湯」に入浴することにした。レトロなムードを漂わせている温泉旅館の中に、それをいっそう強調するかのような造りだ。中に入ると、番台があり、銭湯と同じような造りだが、調度も掲示物も古く、歴史を感じさせる。湯船は温度によっていくつかに分かれていて、すでに大勢の人が入浴していた。右手にある浴槽が一番温度が高く、入るのには苦労した。湯温45℃位かと思うが、長く浸かっていることは出来ず。すぐ出て、他の浴槽に移ってしまったが、地元の人は慣れているのか平気な顔して、入っていて、すぐ出てしまった私の方を見て笑っている。浴室内では、地元の人とのふれあいや語らいがあって楽しい。こういうのが、共同浴場の良さではないかと思うのだが....。そんな風情を感じながら上がってきて、今日の宿泊先に急ぐことにした。
★温泉津温泉「元湯」に入浴する。<入浴料 160円>
再び国道9号線に戻り、東進して、大田市からは道を南にとって、三瓶山を目指した。だんだん、山間地に入ってきたところで、さらに細い脇道に入り、どんどん山深くなってきた。こんな、山奥にあるのかと思っていたら、少し開けた地形に出て、道も広がって、意外に思って走っていたら、道の右側に池田ラジウム鉱泉の看板を見つけた。四囲を低い山に囲まれた、静かな所だ。建物は建て替えられていて、比較的新しく、民宿のような造りになっていた。しかし、ほんとうに、自然豊かな、ひなびた環境の中にある。すぐに、部屋に通されたが、旅館内は掃除も行き届いていて、清潔で、応対も家族的な感じで好感が持てた。お茶を飲んで、一服してから、浴場へと向かった。浴室は4,5人も入ればいっぱいといった感じだが、沸かしているものの、その泉質は独特で、肌触りがよく、入りやすい。掲示されていた温泉分析書によると、高いラドンが含有されているとのこと。そんな、すばらしい泉質に感激し、じっくり味わいながら湯を楽しみ、上がってきてから、ほどなくして食堂での夕食となった。普通の家庭の食卓といったような感じで、とても気に入った。食事もおいしくいただき、冷やで日本酒をたのんで、飲みかつ、食べた。宿の主人に、『温泉百話 西の旅』(ちくま文庫)の中に「老女が語る池田ラジウム鉱泉史」渡辺喜恵子著という文章があって、日本一のラドン含有量の温泉として紹介され、一度来てみたいと思っていたという話をしたらとても喜んでくれて、20数年前のその取材の時のことをよく覚えていると話してくれた。温泉宿として始めたのは大正4年(1915)にさかのぼるとのことで、この温泉には8つの源泉があり、3号泉は飲用に適し、胃腸病に効き、玄関前に飲泉場があるという。しかし、ここで特筆すべきはラドンの含有量のすごさで、最も多い8号泉は、6,640マッヘ/sという驚異的な値を示し、効能も高く、戦前から、色々な研究者が調査に来て、折り紙付きで、主人は世界一の含有量ではないかと語っていた。しかし、増富温泉(山梨県)、三朝温泉(鳥取県)、湯の島温泉(岐阜県)など、他にもラドン含有量の多い温泉がいくつか知られており、まだ私は、全部を入り尽くした訳ではないので即断はできないが、日本有数のラジウム泉であることは間違いない。そんな語らいの後で、部屋に戻り、のんびりとテレビを見ながら寝てしまった。
★池田ラジウム鉱泉「放泉閣」に宿泊<1泊2食付 6,500円(込込)>
*1998年9月16日(水) 出雲大社→松江城→玉造温泉→大山→東郷温泉・朝の散策を中止 朝は6時過ぎに起床して、散歩に出かけたが、あいにくの空模様で、しばらく歩いていたら、雨が降り出してきた。傘を持って出なかったので、あわてて、宿に戻らざるをえなかった。仕方がないので、一息入れてから、朝風呂に入り、その後食事となった。昨日と同じ食堂での朝飯だが、自宅の食卓で食べているような家庭的な雰囲気がとてもよい。全体として、好印象を抱きながら、8時半頃山里の一軒宿を後にして、出雲方面へと向かった。 ・出雲日御碕へ 昨日来た道を引き返し、大田市へ出てからは、再び国道9号線を東進した。左手に日本海、右手に三瓶の山並みをしばらく見ながら、走り続け、出雲大社を目指したが、まだ少し時間が早く、蕎麦屋が開くまでには時間があるので、先に出雲日御碕に回ることにした。大社の街並みを通り過ぎ、日本海に臨む断崖沿いの道を曲がりくねりながら進むが、台風の余波もあって、白い波頭が立っている。出雲日御碕灯台付近にも強い風が吹き、ときおり雨もたたきつけてきたが、灯台には上ることが出来た。螺旋状の階段をぐるぐると回って、外に出るとすごい風だ。吹き飛ばされないように注意を払って、おそるおそる眺望してみると、眼下に日本海が波打ち、岩礁に白いしぶきが立ち上っている。滅多に見ることの出来ない荒天の日本海を必死で眺めながら、カメラのシャッターを切った。しばし後、降りてきて、岩礁を巡ってみたが、波しぶきとときおり降ってくる雨とで濡れそぼりながらの岬巡りとなってしまった。何枚か写真を撮ってから、早々に車に戻り、出雲大社へと戻っていった。 ・出雲大社に参拝する 社殿の脇にある大駐車場に車を入れ、敷地に足を踏み入れたが、何度来ても、その広大さには驚かされる、拝殿に手を合わせ、その国宝の建造物を巡ってみたが、とてもみごとなもので、荘厳な感じが伝わってくる。ついでに、宝物館にも立ち寄ってみたが、展示物の中に、旧社殿の模型があった。高さ60mという壮大な建物だったようで、昔の人がどうしてこのような高層建築を造ることが出来たのか不思議でならない。古代人の力を感じながら境内を後にした。
・割子そばを食べる 腹も減ってきたので、昼食に出雲そばを食べることにしたのだが、目当てにしていた門前の「荒木屋」はお休みで、近くの「かねや」に入って、割子そばを注文した。出雲地方を旅するときは必ず食するようにしているのだが、割子と呼ばれるお椀のようなものが、3段重ねで出され、そこにたれと薬味を入れていただくのだ。とても素朴で、そば本来の味が生きていて、私はとても好きなのだ。久しぶりの出雲そばに舌鼓を打って、満足して、次の目的地へと向かった。宍道湖の北辺を右手に湖面を見ながら走っていったが、天気は回復してきているようで、順調に車を飛ばしていった。 ・松江城天守閣へ登る 松江市街に入って、北に進路を変え、松江城に立ち寄っていくことにした。大手門脇の有料駐車場に停めて、石段を登り、一ノ門を潜って、本丸へと入っていったが、この城構えはとても立派で、見事な松江城天守閣が江戸時代のままに残されている。現存している12の天守閣の中では、姫路城に次ぐ規模で、その5層6階の偉容が本丸にそびえ立っている。最上階からの眺望もすばらしく、松江市街を一望に出来、堀の周辺に昔ながらの大名屋敷が並んでいる。この、北東の一角は塩見縄手と呼ばれ、ラッカジオ・ハーン(小泉八雲)の旧居、武家屋敷なども残されていて、城下町の雰囲気をよくとどめ、観光スポットにもなっている。しかし、今回は城下町をゆっくり散策しているゆとりはないので、再び車に戻って、城を一周してから、玉造温泉へと向かうことにした。
今度は南に進路を取り、再び宍道湖を右手に見ながら車を走らせ、ものの30分ほどで玉造温泉街へと入ってきた。玉湯川沿いの両岸に旅館やホテルが細長く建ち並んでいる。ここが、『出雲国風土記』にも登場し、「この湯で一たび濯げば容貌は端正となり、二たび沐すればたちまち万の病がことごとく癒える。昔から今に至るまで効験を得ないということがない。ゆえに、世の人はこれを神の湯といっている。」と紹介されている日本最古の温泉の一つなのだ。いったん温泉街を把握するために通り過ぎて南端まで行き、再び戻ってきて、日帰り入浴施設「玉造温泉ゆーゆ」に入ることにした。ここは、日本最古の温泉にはふさわしくないような近代的なビルになっていて、お椀と三角定規を合わせたような変な形をしている。パンフレットによると勾玉をイメージした設計なのだそうだが...。その脇の方が入口で、エレベーターで5階まで上がっていくとそこに受付がある。入浴料600円也を払って中に入ると、広々とした大浴槽と露天風呂がある。別料金200円でサウナ(乾式・湿式)も利用でき、休憩室や会議室、コンベンションホール、レストランまで併設されている複合施設なのだ。しかし、なんでこんなに奇抜な構造にしたのか、疑問を抱かざるをえなかった。とにかく入浴すると、お湯はやわらかで、ぬめるぬる感があり、とても心地よかった。ゆっくりくつろいで、朝からの旅の汗を流した。入浴後は、次の目的地鳥取県へと車を向けた。
★玉造温泉「玉造温泉ゆーゆ」に入浴する。<入浴料 600円>
・米子から大山へ 今度は国道9号線を東に取り、途中からはバイパス、そして山陰自動車道へと入って時間をかせいで、米子から大山へと登っていった。しかし、だんだん天候は悪くなり、中腹まで来ると雨が降り始めてきた。これでは、大山の眺望も臨むべくもない。仕方がないので、大山自然科学館に立ち寄って、写真やパネル展示によって大山のあらましを知ることにした。晴れていれば、こんなにすばらしい景観が見られると...。せっかくここまで登ってきたのにと残念な気もするが、長旅の間にはこういう日があるのもやむを得ないことだ。そうそうに、山を下りることにして、帰路は別の道を北へ下っていった。ところが、これも中腹までくると雨が上がってしまった。要するに山の上だけが雨なのだ。山麓には高原状の地形の広がりが見られ、牧草地となっている所も多く、とてものどかな風景になっている。そんな中を、日本海際まで下りきって、国道9号線に合して、東に進路を変えた。 目指すは、東郷温泉で、東郷湖畔に湧く温泉地の一つだ。車は順調に走り続けて、5時過ぎには今日の宿、「澤の湯旅館」に到着した。今日の宿選びは苦労して、前日夜に、鳥取県の関金、三朝、羽合などの各温泉地に何軒も電話して断られ、やっと今朝、電話で予約が取れたのだった。どんな宿なのかほとんど予備知識がないままに決めたのだったが、結構大きな構えの旅館だった。しかし、平日のこととて、泊まり客も少ないのか閑散としていた。この時期になぜ他の旅館に断られたのかと、少しいぶかしく思いながら案内を乞うた。部屋に荷物を置いてから、さっそく大浴場へと向かったが、一人も浴客がいない。大きな浴槽を独り占めにして、のんびりと温泉を楽しんだ。パンフレットによると、1872年(明治5)に湖畔をボーリングして開いた温泉で、湯は、もともと湖底から自然湧出していたそうだ。寒い日には、湖面から湯気が涌き上がり、東郷温泉独特の景観となっているとある。ここの源泉は98℃の含弱放射能-ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉とのことで、お湯は無色透明、無臭で、入りやすいお湯だった。湖畔に湧く温泉として知られているが、この旅館の浴室は湖に面していないので、眺望が良くなかったのは残念だった。上がってきて、しばらくして別室での食事となったが、松葉ガニ、新鮮な刺身、塩焼、天ぷらなどが食卓に並べられ、お酒を飲みながら、楽しく食事をすることができた。その後は部屋に戻り、テレビを見ながら寝てしまった。
★東郷温泉「澤の湯旅館」に宿泊する<1泊2食付 8,650円(込込)>
*1998年9月17日(木) 国府町→鳥取市→用瀬町→岡山県へ ・朝の散策に出かける 朝6時には起床し、恒例の朝の散歩に東郷湖畔へと出かけてみた。ここに、公園があって、大きな一対の鯉のモニュメントがある。これが「こいの湯」で、そこから温泉がわき出しているのだ。湖畔は周囲約12km、面積4.5ku、深度2〜7mの湖とのことだが、風が強くて、湖面が波立っている。その中に、妙な小屋が水面につきだしている。なんだろうと思って、近寄ってみると、魚を捕るために網を仕掛ける四ツ手網の小屋だということがわかった。この地域の伝統的漁獲法だと説明書きがあった。しばらく、湖畔を散策してみたが、平地にある湖なのであまり変化がない。所々に、先刻の漁獲小屋が風に吹かれて、寒々しい光景が広がっている。30分ほどの散策で切り上げて、旅館に戻ってきて、朝風呂に入ることにした。少し風に吹かれたので、温泉のぬくもりが心地よい。上がってきて、ほどなくして朝食をすませ、8時半頃には出立して、さらに東へ、鳥取市方面を目指した。
・因幡万葉歴史館を見学 国道9号線はなぜか白兎海岸のところで渋滞していたので、そこから南に入って、平行する県道へ抜けることにした。このコースだとあの長者伝説で有名な湖山池の南岸を通って行くことになる。とてもおだやかな風景で、ハンドルを取る手も軽やかに感じられる。そうこうしているうちに、鳥取市街に入ってきたが、バイパスで中心街を迂回して国府町にある因幡万葉歴史館に向かうことにした。この地は、因幡国府の置かれたところで、かの「万葉集」の編者大伴家持が国司として赴任した地でもある。この辺の情景を読み込んだ万葉和歌もいくつか知られている。歴史館はなかなかしゃれた近代的建造物で、万葉集とその時代をテーマに大伴家持にスポットを当てている。地方でこういう歴史に触れるのもとても楽しいことで、旅のポイントになるものだ。じっくり見学して、しばし万葉気分に浸ってみた。
・鳥取砂丘へ その後は、鳥取砂丘に向かうことにしたが、天候があまりよくない。駐車場から歩き出したときには、日本海から吹き付ける風に雨が混じってきた。傘を持って砂丘見物に出かけたが、すごい風のために歩きづらい。しかも、雨をよけるために傘をさそうにも、風のために傘がすぼんでしまう。それでも、苦労して砂丘の上を歩いて、日本海が見える所まで来てみたが、そこに立っているのがやっとというような状況で、早々に引き上げるしかなかった。鳥取市街に戻って、昼食の出来るような所を探したが、なかなか良い場所が見つからず、とうとう、鳥取空港近くまで来て、新しい大衆食堂に入った。カフェテリア方式で、自分でうどんを茹でたりするちょっと変わった店だった。その後は、国道53号線を南下することにした。
・お城山展望台「河原城」へ立ち寄る しばらく走っていき、山間に入りかけた所の山上に新しい天守閣を見つけた。なんだろうと、預金を下ろしたついでに銀行の窓口で女性店員に聞いてみると、新しく出来た展望台兼郷土資料館とのこと。さっそく立ち寄ってみることにした。お城山展望台「河原城」といい、1層から3層までが、展示スペースとなっていて、河原町の文化・歴史・自然などについて紹介されていた。その、最上階からの眺望はすばらしく、千代川のゆったりとした流れの向こうに鳥取平野が一望できる。その眺望を楽しんだ後、さらに南に車を向けた。 ・用瀬町「流しびなの館」を見学 国道53号線をさらに数km走ったところにある用瀬町は流し雛で有名だが、千代川河畔に「流しびなの館」という立派な博物館がつくられていた。中に入ると、いろいろなお雛様が展示されていて愛らしく、その歴史や地域差がよくわかる。たまには、こういう伝統文化に触れるのもよいものだ。その後は、岡山県美作地方の温泉めぐりへと向かうことにした。
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