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古(いにしえ)を訪ねる旅
 城郭探訪(4) 金沢城

インデックス

①石川門 ②河北門 ③菱櫓 ④五十間長屋 ⑤橋爪門
⑥橋爪門続櫓 ⑦三十間長屋 ⑧鶴丸倉庫・戌亥櫓跡 ⑨玉泉院庭園   ⑩兼六園 
☆金沢城文化財一覧 ◎金沢城歴代城主 

金沢城探訪マップ

 金沢城(石川県金沢市)は、加賀百万石前田家の居城だったところで、国の史跡に指定され、石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫が残っていて、国の重要文化財となっています。また、近年金沢城公園として整備され、菱櫓、橋詰門、橋詰門続櫓、五十間長屋、河北門が木造で復元されていて、見学できます。さらに、玉泉院丸庭園も復元されて、散策できるようになりました。尚、2006年(平成18)には、日本100名城にも選定されました。城下には、長町武家屋敷跡が残されていて、上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ね、内部が見学できるところもあります。

①石川門

石川櫓
 石川門一の門 

 以前から、金沢城と言えば、石川門と言うくらいに有名ですが、現在の石川門は、1788年(天明8)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。城の背面である搦手口(裏口)を守る搦手門で、外側に高麗門の一の門、内側に櫓門の二の門、そして、続櫓と二重の石川櫓で構成された枡形門です。兼六園と対になった位置にあり、橋で兼六園へと繋がっています。ライトアップされた姿がとてもみごとなのです。

②河北門

河北門(復元)

 この門は、金沢城三の丸の正門にあたり、橋爪門、石川門と共に、「金沢城三御門」と呼ばれていました。金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、1772年(安永元)に再建され、1882年(明治15)年頃まであったものを2011年(平成23)に、忠実に復元したものです。尚、枡形門形式になっていて、一の門と櫓門の二の門で構成されています。

③菱櫓

菱櫓(復元)

 菱櫓は3層3階で、高さ約17mと二ノ丸で最も高い建物でした。名前が示す通り、の平面と内部の柱を含めて、鈍角100度、鋭角80度の菱形となっています。初層は、唐破風の出窓、二層屋根は入母屋造りで、天守閣のなかった金沢城では、象徴的な櫓でした。橋爪門続櫓との間を2層2階の五十間長屋でつないでいるのが特徴です。

④五十間長屋

五十間長屋(復元)表側  五十間長屋(復元)裏側

 菱櫓と橋爪門続櫓との間をつなぐ2層2階の多門櫓を「五十間長屋」と呼んでいます。武具や武器、什器等の倉庫として利用されていました。屋根は鉛瓦で葺き、海鼠壁になっていて、2箇所の石落があり、 2階へ上がると、太い松の梁等、木組を確認することができます。1881年(明治14)に焼失しましたが、2001年(平成13)に復元されました。全て木造で造られ、釘は一切使わない伝統工法で建てられています。

⑤橋爪門

橋爪門一の門(復元) 橋爪門二の門(復元)

 橋爪門は二の丸の正門にあたる枡形門で、河北門、石川門と共に、「金沢城三御門」と呼ばれていました。最も格式の高い門で、高麗門形式の一の門、石垣と二重堀で囲まれた枡形、櫓門の二の門からなっています。1809年(文化6)に再建され、1881年(明治14)に焼失したものをそのままの姿で、2001年(平成13)に一の門、2015年(平成27)に二の門、枡形二重堀が復元されました。

⑥橋爪門続櫓

橋爪門続櫓(復元)

 橋爪門続櫓は、橋爪門枡形内を見張る物見のです。このの中央には、物資を2階へ荷揚げするための大きな吹抜けが造ってありました。1881年(明治14)に焼失しましたが、2001年(平成13)に復元されました。全て木造で造られ、釘は一切使わない伝統工法で建てられています。

⑦三十間長屋

三十間長屋

 本丸の正面である鉄門前にある曲輪が附段ですが、そこに2層2階の多聞櫓の三十間長屋が立っています。1858年(安政5)の上棟で、長さは26間半(約40m)、大千鳥を中央に、唐破風を左右に配した出窓を持っていて、内部には、武器・武具が格納されていました。江戸時代から残る建物として、1957年(昭和32)に国の重要文化財に指定されています。

⑧鶴丸倉庫・戌亥櫓跡

鶴丸倉庫 戌亥櫓跡

 鶴丸倉庫は、幕末の1848年(弘化5)に建築された武具土蔵で、明治以降は、陸軍によって被服庫として使われていました。かつては、軍による建築と考えられていましたが、2000年(平成12)の石川県の調査によって、江戸時代後期の建築であることが判明したのです。これによって、2008年(平成20)には、国の重要文化財に指定されることになりました。城郭内に残っている土蔵としては、国内最大級の遺構で、総二階の延床面積約636m²(下屋除)とのことです。

⑨玉泉院丸庭園

玉泉院丸庭園(復元)

 玉泉院丸庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、2代目藩主利長の正室玉泉院(永姫)が屋敷を構えたこがその名の由来とされています。3代目藩主利常が、1634年(寛永11)に京都の庭師剣左衛門を招き作庭したのが始まりでした。その後、歴代藩主が手を加えながら、廃藩時まで存在していたのです。明治期になくなり、戦後は石川県体育館が建てられていました。しかし、2015年(平成27)に発掘調査の結果に基づき、遺構を盛土保存した上で、江戸時代末期の姿をもとに再現されたのです。特徴としては、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が約22mもある立体的な構成であること、色紙短冊積石垣をはじめとする意匠性の高い石垣群などです。

⑩兼六園

徽軫灯籠 霞ヶ池
 日本三名園の一つで、加賀藩の5代目藩主・前田綱紀が、別荘を建てその周辺を庭園としたのが始まりとされています。 その後、加賀藩前田家の歴代藩主により長い歳月をかけて形作られ、現在のような一大庭園となったのは1851年(嘉永4)とのことです。 1874年(明治7)より、金沢市民に開放され、1922年(大正11)、国の名勝に指定されました。そして、1985年(昭和60)には、名勝から特別名勝へと格上げされています。特に、徽軫灯籠(ことじとうろう)付近から霞ヶ池を見た景色が有名です。
金沢城公園の公式ホームページへ
  兼六園の公式ホームページへ

指定文化財 指定 員数 指定年月日
石川門 重要文化財 1棟 1935年(昭和10)5月13日
三十間長屋 重要文化財  1棟 1957年(昭和32)6月18日
鶴丸倉庫 重要文化財  1棟 2008年(平成20)6月9日 
金沢城跡 史跡 1件 2008年(平成20)6月17日
兼六園 特別名勝  1件 1985年(昭和60)3月20日 

◎金沢城の歴代城主(加賀前田家以降)

歴代城主 石高 在城年 備考
初代 前田利長(としなが) 1,270,000石 1599~1605年
2代 前田利常(としつね) 1,270,000石 1605~1639年
3代 前田光高(みつたか) 1,025,000石 1639~1645年
4代 前田綱紀(つなのり) 1,025,000石 1645~1723年
5代 前田吉徳(よしのり) 1,025,000石 1723~1745年
6代 前田宗辰(むねとき) 1,025,000石 1745~1746年
7代 前田重熙(しげひろ) 1,025,000石 1746~1753年
8代 前田重靖(しげのぶ) 1,025,000石 1753年
9代 前田重教(しげみち) 1,025,000石 1753~1771年
10代 前田治脩(はるなが) 1,025,000石 1771~1802年
11代 前田斉広(なりひろ) 1,025,000石 1802~1822年
12代 前田斉泰(なりやす) 1,025,000石 1822~1866年  
13代 前田慶寧(よしやす) 1,025,000石 1866~1871年
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