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駅のスタンプ
myコレクション
初期の頃の駅名スタンプ
 
越後線巻駅のスタンプ 紀勢本線弥富駅のスタンプ 東海道本線刈谷駅のスタンプ

 駅に設置されている記念用のスタンプの歴史は古く、1931年(昭和6)に、福井駅に設置されたのが最初だったと言われています。その後、鉄道省の主要駅では、1932年(昭和7)頃から観光客のための記念と観光宣伝を兼ねて、駅周辺の名所旧跡をデザインした駅名入りのスタンプを作成しました。それからも、私鉄も含め少なくない駅で駅名の入ったものが設置されてきましたが、戦前に設置された右書きや旧字体(駅→驛)などのものもありました。太平洋戦争後も1970年(昭和45)10月から国鉄の「DISCOVER JAPAN」キャンペーンに合わせて、全国約1,400駅(船舶内・自動車駅を含む)にDISCOVER JAPANスタンプ(通称:DJスタンプ)が設置されるまでは、各駅独自に駅名の入ったスタンプが設置されているところが結構ありました。以下に、私自身が押印した駅のスタンプのコレクションの中から、1970年以前に設置されたもののいくつかを紹介します。

戦前の駅名スタンプ(1945年以前設置)
東海道本線刈谷駅 東海道本線大森駅 中央本線立川駅 東北本線浦和駅 東海道本線函南駅
東北本線岩沼駅 関西本線弥冨駅 越後線巻駅
戦後の駅名スタンプ(1945年〜1970年設置)
東海道新幹線岐阜羽島駅 中央本線高蔵寺駅 中央本線定光寺駅  東海道本線名古屋駅 紀勢本線太地駅
紀勢本線白浜駅 紀勢本線御坊駅 紀勢本線紀三井寺駅 高山本線美濃太田駅 東海道本線大津駅
東海道本線京都駅 信越本線長野駅 信越本線新津駅 東海道本線品川駅 東海道本線醒ヶ井駅
東海道本線東京駅 東海道本線草薙駅 高崎線本庄駅 東海道本線大森駅 山陽本線加古川駅
総武本線下総中山駅 東海道本線熱田駅 中央本線立川駅 武豊線武豊駅  
戦前の駅名スタンプ(1945年以前設置)
 駅に設置されている記念用のスタンプの歴史は古く、1931年(昭和6)に、福井駅に設置されたのが最初だったと言われています。その後、鉄道省の主要駅では、1932年(昭和7)頃から観光客のための記念と観光宣伝を兼ねて、駅周辺の名所旧跡をデザインした駅名入りのスタンプを作成しました。それからも、私鉄も含め少なくない駅で駅名の入ったものが設置されてきましたが、戦前に設置された右書きや旧字体(駅→驛)などのものもありました。
〇東海道本線刈谷駅(1978.3.11押)---1933年(昭和8)6月設置:サイズ縦4.5cm×横4.5cm
 1933年(昭和8)6月に設置された刈谷駅のスタンプで、駅名が右書きとなっています。上段に描かれているのは、依佐美送信所(よさみそうしんじょ)のアンテナ鉄塔でした。これは、愛知県碧海郡依佐美村(現在の刈谷市高須町)に建設された、長波の使用を主とした無線送信所で、1929年(昭和4)に運用を開始しましたが、戦後は米軍に接収され、1994年(平成6)に日本に返還されたのに伴い、アンテナ鉄塔、建物は解体されています。スタンプ上部左側には、「対欧無線電信送信所」と右書きされていましたが、戦後文字が削られました。下段は、カキツバタの名勝地である「八橋かきつばた園」で、ゆかりとされる歌人在原業平と八橋も描かれました。最下段には、「八橋 無量壽寺境内」と右書きされていたものの、摩耗して読みづらくなりました。
〇東海道本線大森駅(1976.12.30押)---1933年(昭和8)8月設置:サイズ縦4.0cm×横4.4cm
 1933年(昭和8)8月に設置された大森駅のスタンプで、駅名が縦書き、旧字体(駅→驛)となっている古いものです。外周を井桁で囲んでいますが、「武蔵国八幡総社」とされる磐井神社の磐井の井戸を象徴しました。この井戸の水を飲むとき、「心が正しければ清水、邪心があれば塩水」という言い伝えがあり、奥に鳥居も見えています。上段左側は東京湾をイメージし、下段に描かれているカニと松は当時の大森海岸を表現しました。その間に小さく描かれている駕籠はその海浜を通っていた東海道をイメージさせたものです。
〇中央本線立川駅(1979.3.9押)---1933年(昭和8)頃設置:サイズ縦4.5cm×横4.5cm
 1934年(昭和9)頃に設置された中央本線立川駅のスタンプで、駅名が右書きとなっています。上段右側に描かれているのが、普済寺境内にある緑泥片岩製の石幢(せきどう)で、国宝に指定されました。1361年(延文6)の造立で、六角形の基台石上に板石6枚を組み合わせた六面石幢で、上部には笠石を乗せています。下段には、多摩川中流の魚群を図案化し、上段の背景には甲斐や奥多摩の山々を入れてありました。
〇東北本線浦和駅(1975.11.7押)---1934年(昭和9)3月設置:サイズ縦4.3cm×横4.3cm 
 1934年(昭和9)3月に設置された浦和駅のスタンプで、駅名が旧字体(駅→驛)です。「文」の文字が見えますが、旧制浦和高等学校(現在の埼玉大学)をデザインしたものでした。盆栽が名産で、現在は県の花となっているサクラソウも描かれています。上段の鳥居は調神社のものでしょうか?
〇東海道本線函南駅(1975.12.30押)---1934年(昭和8)12月設置:サイズ縦4.5cm×横4.5cm
 1934年(昭和9)12月に設置された東海道本線函南駅のスタンプです。丹那トンネルが12月1日に開通し、この駅が開業した時に設置されたと思われ、トンネルを抜ける電気機関車がデザインされました。丹那トンネルの総延長は、7,804mあり、当時としては、清水トンネル(単線)に次ぐ日本第2位の長さでした。1918年(大正7)3月21日に着工したのですが、多量の高圧湧水、温泉余土、断層などのために難渋し、1920年(大正9)4月1日に熱海口工事現場で崩落事故が発生し、42名が巻き込まれて16名が死亡、また、1923年(大正12)2月10日には三島口で崩落事故が発生し16名が巻き込まれ全員が死亡、1930年(昭和5年)11月26日に発生した北伊豆地震でも崩壊事故があり5名が遭難、3名が犠牲になりました。それでも、15年余りの歳月をかけて、1933年(昭和8)6月19日にトンネルが完成、翌年12月1日に開通したものです。
〇東北本線岩沼駅(1976.12.28押)---設置年?:サイズ縦6.0cm×横6.0cm
 戦前に設置された東北本線岩沼駅のスタンプで、摩耗して見えづらいですが、駅名が旧字体(駅→驛)となっています。外周は竹駒神社ゆかりの宝珠をデザインし、その内側の2番目の線は線路を表していました。右が常磐線、左が東北本線で、途中駅名も入れられていて、その合流する駅が岩沼駅であることを表現しています。中段の右側は、竹駒神社の鳥居で、左側は歌枕として有名な武隈の松を描いてありました。
〇関西本線弥富駅(1971.4.3押)---設置年?:サイズ縦4.7cm×横4.7cm
 このスタンプは駅名が旧字体で、水泳場が右書きになっている古いものでした。中段の2つの鉄橋は、木曽川に架かる国道1号線(手前)と関西本線(奥)のもので、1937年(昭和12)には、近畿日本鉄道名古屋線の開通で、もう1本鉄橋が架けられますので、それ以前に作成されて設置されたスタンプと思われます。弥富駅周辺は、金魚養殖の産地で、上段にそれを示す金魚鉢と金魚が描かれました。また、昔は木曽川が水泳場ともなっていて、川面には帆掛け船も描かれています。下段の鳥居は、北方にある津島神社のもので、その祭礼「津島天王祭」は日本三大川祭の1つに数えられてきました。 
〇越後線巻駅(1982.5.4押)---設置年?:サイズ縦4.3cm×横5.2cm 
 このスタンプは、駅名が旧字体(駅→驛)となっている古いものです。上段に描かれているのは、弥彦神社の社殿とそのバックの弥彦山、そして、穀倉地帯蒲原平野を象徴する米俵と早乙女があしらわれました。家並みと湯煙は岩室温泉街と思われます。
戦後の駅名スタンプ(1945〜1970年設置)
 太平洋戦争後も1970年(昭和45)10月から国鉄の「DISCOVER JAPAN」キャンペーンに合わせて、全国約1,400駅(船舶内・自動車駅を含む)にDISCOVER JAPANスタンプ(通称:DJスタンプ)が設置されるまでは、各駅独自に駅名の入ったスタンプが設置されているところが結構ありました。
〇東海道新幹線岐阜羽島駅(1970.3.31押)---1964年(昭和39)10月設置:サイズ縦7.2cm×横7.2cm
 1964年(昭和39)10月1日の東海道新幹線開業に伴って、岐阜羽島駅が新設オープンしました。それを記念して設置された駅名スタンプで、印の周囲は羽島市の市章をあしらっています。佐吉大仏と地場の繊維産業をデザインし、東海道新幹線0系車両とその岐阜羽島駅設置に貢献したとされ、駅前に建立された大野伴睦夫妻の銅像も描かれています。
〇中央本線高蔵寺駅(1970.9.27押)---設置年?:サイズ縦5.0cm×横5.0cm
 中央に描かれているのは、玉野川(荘内川上流)に架かる鹿乗橋で、1910年(明治43)に、メラン工法と呼ばれる工法で建設された全長73m、幅4.5mの鉄製アーチ橋です。高蔵寺駅からは東へ徒歩15分余りの距離で、巨大奇岩が点在する玉野川渓谷探勝の入り口となり、春の桜の名所「鹿乗のさくら」としても知られてきました。また、上段に描かれている山並みは、岐阜県境に位置する春日井三山(弥勒山・大谷山・道樹山)です。左側は、志段味古墳群で、国の史跡に指定されていて、駅から南へ15分ほどの距離で、散策ルートも設定され、案内板も立てられるようになりました。
〇中央本線定光寺駅(1970.9.27押)---設置年?:サイズ縦5.4cm×横5.4cm
 駅名ともなっている定光寺(じょうこうじ)は、愛知県瀬戸市定光寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、駅の東方の山中にあって桜と紅葉の名所として知られ、徒歩20分ほどかかります。下段に描かれている築地塀は、定光寺にある尾張徳川家初代徳川義直の廟所である源敬公廟で、国の重要文化財に指定されました。中ほどに描かれているのは玉野川(荘内川上流)で、巨大奇岩が点在する風光明媚の地として知られ、散策コースがあります。
〇東海道本線名古屋駅(1971.3.11押)---設置年?:サイズ縦5.0cm×横5.0cm
 東海地方の中心都市名古屋の玄関口となっているのが、名古屋駅です。江戸時代は尾張徳川家の62万石の城下町として栄えました。上段に描かれているのは、名古屋のシンボルとなってきた名古屋城ですが、惜しくも天守閣は太平洋戦争末期の1945年(昭和20)5月14日の名古屋大空襲で焼失し、残された西南隅櫓と石垣などが描かれています。下段は、3代目の名古屋駅舎で、地上5階(一部6階)・地下1階の鉄筋コンクリート製の堂々たる建物で、1937年(昭和12)〜1993年(平成5)まで使用されました。このスタンプは、名古屋城天守焼失の1945年(昭和20)から名古屋城天守復興の1959年(昭和34)までの間に設置されたものと思われます。
〇紀勢本線新宮駅(1971.3.12押)---設置年?:サイズ縦6.0cm×横6.5cm
 スタンプの図柄は、熊野川上流の瀞峡(瀞八丁)で、巨岩、奇岩、断崖が続く渓谷は、国の特別名勝に指定され、風光明媚の地として知られ、昔はプロペラ船、今はジェット船に乗って探勝しました。切符の枠取りの中に描かれているのは、1952年(昭和27)に完成した新宮駅の3代目駅舎で、駅前のソテツも見えます。
〇紀勢本線太地駅(1971.3.13押)---設置年?:サイズ縦6.0cm×横7.4cm
 紀伊半島の太地町は、 昔から捕鯨の盛んなところで、それを観光のメインにし、1969年(昭和44)に「太地町立くじらの博物館」が建設されました。また、毎年8月15日に、くじら踊りが行われ、町内の飲食店や宿泊施設では、クジラ料理やイルカ料理も賞味できます。この駅のスタンプもクジラを大きくデザイン化したものでした。
〇紀勢本線白浜駅(1971.3.13押)---設置年?:サイズ縦5.5cm×横5.5cm
 上部に描かれているのは、国の名勝となっている円月島で、春分・秋分の時期の夕方には、島に空いた穴から沈む夕日が見えることで有名です。海岸線は、白良浜(しららはま)と呼ばれる砂浜で、石英の砂からなる白い浜辺と白浜温泉で知られてきました。左下隅に描かれているのは、この辺の浜辺でよくみられるハマユウです。
〇紀勢本線御坊駅(1971.3.14押)---設置年?:サイズ縦5.6cm×横5.6cm
 スタンプに描かれているのは、紀伊日ノ御埼灯台です。この灯台は、紀伊半島の西部にある日の岬の突端に立つ白亜円形の大型灯台で、周辺は、煙樹海岸県立自然公園に指定され、紀伊水道を望む風光明媚の地として知られてきました。日の岬は、紀伊水道と太平洋を望む標高200mほどの高台となっています。一帯は、日の岬パークとして整備され、展望台、遊歩道、アメリカ村資料館、小動物園、クヌッセンの丘などがありました。尚、2017年(平成29)に灯台は約120m西の日高町内に移転しています。
〇紀勢本線紀三井寺駅(1971.3.15押)---設置年?:サイズ縦5.2cm×横5.0cm
 駅名ともなっている紀三井寺(きみいでら)は、和歌山県和歌山市紀三井寺にある救世観音宗の総本山で、駅から徒歩10分のところにあります。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院で、西国三十三所第2番札所として知られてきました。スタンプでは、下段に紀三井寺の建物の屋根を描き、上段に紀伊山地の山並みを配しています。
〇高山本線美濃太田駅(1972.10.29押)---設置年?:サイズ縦5.5cm×横5.5cm
 

 スタンプの図柄は「日本ライン下り」を描いています。美濃太田駅のある岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市にかけての木曽川沿岸の峡谷は、とても風光明媚です。風景がヨーロッパ中部を流れるライン川に似ていることから、志賀重昂によって「日本ライン」と命名されました。この景観を鑑賞できるように、全長13kmを約1時間半かけて川船で下る「日本ライン下り」が行われてきましたが、乗船客減少により2013年(平成25)から休止されています。

〇東海道本線大津駅(1975.3.20押)---設置年?:サイズ縦5.0cm×横5.0cm 
 1950年〜1960年位に作成・設置されたと考えられる大津駅のスタンプです。右側に描かれているのは、1950年代に製造されたEF58形電気機関車で、特急列車も牽引しました。中段に広がっているのは、琵琶湖で汽船やヨットも見られます。その背景には、比良山系の山々も書き込まれ、手前には大津市街地も描かれました。
〇東海道本線京都駅(1975.3.20押)---1955年(昭和30)11月設置:サイズ縦5.0cm×横5.0cm 
 1955年(昭和30)11月に設置された京都駅のスタンプです。上段右側に京都駅を描いていますが、1952年(昭和27)〜1993年(平成5)まで使用された3代目駅舎で、背景には大文字と東寺五重塔を配しました。下段左側に三条大橋と舞妓姿の女性が見られます。
〇信越本線長野駅(1975.4.4押)---設置年?:サイズ縦5.5cm×横6.0cm 
 1970年(昭和45)までに設置された長野駅のスタンプです。上段右側に長野善光寺を描いていますが、その下の牛と追いかける人間は「牛にひかれて善光寺参り」の故事を表現しました。背景に見える山々は戸隠連峰だと思われます。左上の温泉マークは松代温泉(加賀井温泉)を示すものでしょうか?
〇信越本線新津駅(1975.11.6押)---設置年?:サイズ縦6.5cm×横6.5cm
 このスタンプは、駅名が旧字体となっている古いものです。秋葉公園の松の下で、新津松坂踊りを踊っている姿を描き、丘の上には、新津油田の櫓も見えます。温泉マークは、石油井を掘っていて湧き出した高坪温泉と思われます。
〇東海道本線品川駅(1975.11.7押)---設置年?:サイズ縦5.5cm×横6.7cm
 1872年(明治5年5月7日)品川駅〜横浜駅(現・桜木町駅)間が仮開業し、当駅も日本最初の鉄道駅の一つとして営業開始しましたが、このスタンプの最上段の文字はそれを示しています。当時は、東京湾を望む海浜の駅で、上部左側に海と帆船が描かれました。その右側は、討ち入りで有名な「四十七士の墓」のある泉岳寺が近いことを表現しています。下段の駅舎は、1953年(昭和28)〜1998年(平成10)まで使用された5代目駅舎と思われます。
〇東海道本線醒ヶ井駅(1976.7.28押)---設置年?:サイズ縦5.3cm×横5.3cm 
 1970年(昭和45)以前に設置された東海道本線醒ヶ井駅のスタンプです。中央に描かれている魚はニジマスで県営の醒井養鱒場(1878年に設立された日本でもっとも歴史のあるマス類の増養殖施設の一つ)を象徴しています。総面積は約19 haと広く、大小80あまりの池があって、ニジマスだけで約125万尾、アマゴ・イワナが約60万尾飼育されてきました。資料館、研究室、水族館、さかな学習館のほか料理店・売店や鱒釣り池があり、家族連れの行楽にも適しています。また、スタンプにも描かれているように、春の桜、秋の紅葉も知られてきました。
〇東海道本線東京駅(1976.8.10押)---1968年(昭和43)9月設置:サイズ縦5.5cm×横5.5cm 
 1968年(昭和43)9月に設置された東京駅のスタンプです。上段に皇居の二重橋を描き、中段に1914年(大正3)に完成したレトロな東京駅、そして、下段に1964年(昭和39)10月1日に開業した東海道新幹線の0系車両がデザインされました。
〇東海道本線草薙駅(1976.8.10押)---設置年?:サイズ縦6.3cm×横6.3cm 
 上段に富士山を仰ぎ、中段左にその景勝地日本平とロープウェイで結ばれている久能山東照宮を描いています。下段にはこの辺の特産であるミカンが2つ添えられ、静岡県を代表するような図柄となりました。
〇高崎線本庄駅(1976.12.30押)---設置年?:サイズ縦5.0cm×横5.0cm
 このスタンプは、駅名が右書きとなっている古いものです。中央の塙保己一之墓は、江戸時代に知られた郷土出身の盲目の国学者塙保己一のもので、本庄市児玉町にあり、生家も残されてきました。上段は利根川に架かる坂東大橋で1931年(昭和6)に開通した曲弦ワーレントラス型鉄橋を図案化したものです。尚、この橋は2004年(平成16)に斜張橋である新橋に架け替えられました。右側に描かれているのは、金讃神社の多宝塔(国の重要文化財)で、周辺は紅葉がみごとです。
〇東海道本線大森駅(1976.12.30押)---設置年?:サイズ縦4.6cm×横4.6cm
 このスタンプは、「武蔵国八幡総社」とされる磐井神社の鳥居を象徴する図案で外周を囲み、その中ほど右奥に池上本門寺の五重塔を描いています。左側には東京湾を配して船を浮かべ、松と砂浜は当時東京湾に臨んでいたの大森海岸を表現しました。右下の駕籠はその海浜を通っていた東海道をイメージさせたものです。
〇山陽本線加古川駅(1977.8.10押)---設置年?:サイズ縦6.0cm×横6.0cm
 このスタンプは、下段に駅名の由来ともなっている加古川と橋を描き、船も小さく書き込まれました。煙突は臨海部の工場群をあらわし、中段右手の三重塔は聖徳太子ゆかりの鶴林寺です。上段には、第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめのみこと)の陵に治定されている日岡陵古墳が描かれました。
〇総武本線下総中山駅(1977.12.17押)---設置年?:サイズ縦5.0cm×横5.0cm
 このスタンプは、駅名が右書きとなっている古いものです。上段に描かれているのは、法華経寺(ほけきょうじ)で、鎌倉時代の1260年(文応元)創立の日蓮宗大本山で、祖師堂(重要文化財)や五重塔(重要文化財)が図案化されました。下段に描かれているのは、日本中央競馬会(JRA)の中山競馬場で、中山大障害や有馬記念が行われることで知られています。
〇東海道本線熱田駅(1978.3.11押)---設置年?:サイズ縦5.0cm×横5.0cm
 1955年(昭和30)頃までに設置されたと思われる熱田駅のスタンプです。中段右側に熱田神宮の鳥居と社殿を描き、下段に名古屋港をイメージした船舶を配してありました。
〇中央本線立川駅(1979.3.9押)---設置年?:サイズ縦6.3cm×横6.3cm
 1970年(昭和45)までに設置された中央本線立川駅のスタンプです。右側に描かれているのが、立川駅北口に立てられている若山牧水の歌碑で、「立川の駅の古茶屋 桜木のもみぢのかげに 見送りし子よ」と書かれていました。左側に描かれているのが、普済寺境内にある緑泥片岩製の石幢(せきどう)で、国宝に指定されています。1361年(延文6)の造立で、六角形の基台石上に板石6枚を組み合わせた六面石幢で、上部には笠石を乗せていました。その間には、多摩川中流の流れを入れ、背景には甲斐や奥多摩の山々が描いてあります。
〇武豊線武豊駅(1984.9.16押)---設置年?:サイズ縦5.5cm×横5.5cm
 上段に国の天然記念物となっている知多半島の『鵜の山ウ繁殖地』の鵜をデザイン化しています。中段には、三河湾に浮かぶ日間賀島と篠島を描き、下段には野間灯台と海に飛び込む人を配して、海水浴を象徴する図案となりました。
 
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