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鉄道写真館

日立電鉄

日立電鉄の2000形 (1997.8.31撮影) 日立電鉄の2000形 (1997.8.31撮影)

 日立電鉄は、かつて茨城県内において、日立市の鮎川駅から常北太田市の常北太田駅(18.1km・駅数14)を結ぶ日立電鉄線を運行していたローカル私鉄事業者です。1922年(大正11)に常北電気鉄道に対し鉄道免許状が下付され、1928年(昭和3)に大甕駅〜久慈駅(後の久慈浜駅)間が開業、翌年に久慈駅〜常北太田駅間が延伸開業しました。1944年(昭和19) 同じ日立製作所の傘下の日立バスなどと合併し日立電鉄となり、1947年(昭和22)には大甕駅〜鮎川駅間が開業します。1969年(昭和44)全線CTC化、1996年(平成8)1に全列車ワンマン運転化など経営努力が続けられましたが、経営難により、2005年(平成17)4月1日に鉄道線の廃止やむなきに至りました。2009年(平成21)3月付けで法人解散し、現在は清算されて完全消滅しています。

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常北太田駅 川中子駅 大甕駅 鮎川駅

☆日立電鉄線 (2005年4月1日をもって廃線になりました)

 <常北太田駅>

 1988年5月3日にゴールデンウィークを利用して、1泊2日の小旅行に常陸方面へ出かけた。袋田の滝、水戸黄門の西山荘などにいった途中、この日立電鉄常北太田駅に立ち寄った。ここから日立市内の鮎川までの18q余りを旅客営業運転している。とてもローカルな感じで、昔懐かしい駅のにおいがした。たまにはこんな目立たない電車に乗ってみるのも良いのではないかと思うが………。
日立電鉄の鮎川行(1988.5.3撮影)
日立電鉄の常北太田駅の外観と構内(1988.5.3撮影)  
常北太田駅の駅名標(1997.8.31撮影) 常北太田駅のホーム(1997.8.31撮影)
日立電鉄の2000形 (1997.8.31撮影)

 1997年8月31日、青春18きっぶが1枚だけ残ってしまったので、それを使い切るために8月最後の日曜日にJR線に乗りました。東北本線、水郡線と乗り継いで、常陸太田駅へとやってきたのです。ここからは、日立電鉄の常北太田駅から鮎川駅そして、折り返して大甕駅まで乗車しようと思いました。使われていた車両は、以前帝都高速度交通営団銀座線を走っていたのを改良したものです。

日立電鉄の常北太田駅(1998.9.6撮影) 日立電鉄の2000形 (1998.9.6撮影)

 1998年9月5〜6日に1泊2日で、北茨城の旅に出かけた2日目、再び、日立電鉄にゴトゴト揺られながら、終点、常北太田駅へと向かいました。この駅は、以前、常北電鉄といっていた名残で、いまだに常北の名前が駅名にくっついているのです。


 <川中子駅>

川中子駅ホームと日立電鉄の2000形(1998.9.6撮影)

 大甕駅ホームを出発した電車は、大きくカーブを切って、JR常磐線から離れ、田園地帯の中をゴトゴトと進んでいって、10分ほどで、田圃の中の無人駅川中子に着きました。そこから、黄色くなりかけた稲穂の中を5分足らず歩き、川中子温泉へいって入浴したのです。その後、駅に引き返し、到着した電車に乗って、常北太田駅へと向かいました。


 <大甕駅>

大甕駅ホームと日立電鉄の2000形(1998.9.6撮影)

 1998年9月5〜6日に1泊2日で、北茨城の旅に出かけた2日目、再び、「青春18きっぷ」を使っての普通列車の旅となりましたが、次はどの駅で下車するか、考えを巡らしながら、車窓を眺めていました。とても穏やかな日で、見え隠れする太平洋の景色がまばゆいのです。色々と逡巡した末に、とりあえず大甕駅に降り立つことにしました。駅から、電話したら、川中子温泉で日帰り入浴が可能とのことで、ここから日立電鉄で行ってみることにして、駅前で昼食をすますことにしたのです。長崎ちゃんぽんで腹を満たしてから、日立電鉄のホームへ行ってみたら、すでに常北太田駅行きの車両が1両ポツンと停車していました。ローカル私鉄では昼間に乗る客も少なく、のんびりムードが漂っています。とにかくその電車に乗って、川中子駅へと向かいました。


 <鮎川駅>

日立電鉄の3000形 (1997.8.31撮影)
 
鮎川駅舎(1997.8.31撮影) 鮎川駅ホームと駅名標(1997.8.31撮影)
 1997年8月31日、青春18きっぶが1枚だけ残ってしまったので、それを使い切るために8月最後の日曜日にJR線に乗りました。東北本線、水郡線と乗り継いで、常陸太田駅へとやってきたのです。ここからは、日立電鉄の常北太田駅〜鮎川駅そして、折り返して大甕駅まで乗車しようと考えました。使われていた車両は、以前帝都高速度交通営団銀座線を走っていたのを改良したものです。この線は、田園地帯をのんびりと走っていて、ほのぼのとした姿がとても良かったのですが、鮎川駅は乗り換えの悪いとても中途半端な終着駅でした。
 
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