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秘湯の旅日記(61)福島市の3湯めぐり(福島県) |
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*2005年4月9日(土) 郡山→二本松→安達→新野地温泉 ・福島県へと向かう 朝6時半過ぎに自宅を出発し、東北自動車道に乗って、北に向かったのだが、加須付近で10kmほどの事故渋滞に巻き込まれ、かなり時間を費やしてしまった。それでも、そこを抜けてから、8時過ぎに佐野サービスエリアに朝食休憩で立ち寄った。そこで、朝食にカレーライスを食べてからは、順調に走り続け、福島県境を越えて、10時過ぎには郡山インターで下りることが出来た。 ・開成山公園を散策 その後は、まず郡山市街へと向かい、開成山公園の「開成館」を見学した。ここは、明治初期からの開拓の歴史を記したメモリアルで、昔は原野だったところを安積疎水の開削などによって、開墾していったのだ。当時の開拓農民の住まいが移築復元されていたが、粗末な家に住んでの苦労が忍ばれた。「開成館」内には、江戸時代からの開拓の歴史が展示されていてとても勉強になったが、たいへんな努力があったことが伺える。また、小説家宮本百合子のゆかりの地でもあり、祖父が開拓の功労者で、祖母が住んでいたので、子供の頃たびたび訪れ、その印象が小説「貧しき人々の群れ」、「禰宜様宮田」等となったことがわかった。それ以外にも久米正雄や高山樗牛、中山義秀など郡山市ゆかりの文学者って多いのだ。とても、興味深かったので、近くにあるこおりやま文学の森の「郡山市文学資料館」と「久米正雄記念館」も見学して、教養を深めた。
・昼食に喜多方ラーメンを食べる そうこうしているうちにもう昼になっていたので、市内にある「北方」というラーメン屋に入ったのだが、ここは喜多方ラーメンを食べさせる店で、注文したチャーシューメンもとても美味しかった。縮れ面と濃厚なスープは独特だ。腹を満たしてからは、旧奥州街道をたどって北上していくことにした。 ・二本松城跡へ立ち寄る 旧本宮宿を通過して、二本松城跡へと至ったのだが、この城は、江戸時代丹羽氏10万余石の城で、戊辰戦争の激戦地としても知られている。会津の白虎隊のように少年兵が多く、戦闘に散った悲劇があった。しかし、そんな過去があったとは思えないくらい静かで穏やかな日で、天守台からの眺望がすばらしかった。天気も良かったので、残雪を頂いた安達太良山がくっきりと見え、何回もカメラのシャッターを切ったのだ。また、城跡には、かの悲劇の二本松少年隊顕彰碑や高村光太郎の「智恵子抄詩碑」があって、写真を撮りながら散策してみたのだ。
・高村智恵子の生家を巡る その後は、旧奥州街道に復して、さらに北に向かい、安達町にある「高村智恵子記念館」とその生家を見学したのだが、高村光太郎と智恵子の夫婦愛について感慨深いものがあったし、智恵子が晩年に精神分裂症になって、入院したときに作った紙絵に興味を覚えて、絵葉書を購入してしまった。
・詩碑の丘に登る 見学後は、詩碑の丘に登って、光太郎と智恵子がよく散策した高台から周辺を望んでみたのだが、そこに立っている、「樹下の二人」詩碑に刻んである『あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川...』の光景を目の当たりにしてとても感動した。阿多多羅山と阿武隈川がとてもよく見えるのだ。もちろん、何枚も写真を撮ったことは言うまでもない。
その後は、宿に向かうことにして、山道を安達太良山の方へ上っていった。途中からは残雪も見えだし、国道115号線へ出て、土湯トンネルの手前から旧道に逸れると道路脇には2mほどの雪の壁が見られるようになってきた。路面は除雪してあって、走行に支障はないのだが、周辺は完全な雪景色となっている。そんな大自然の中の山道を曲がりくねりながら、以前入浴したことのある「野地温泉ホテル」の前を通り過ぎ、今日の宿、新野地温泉「相模屋」に到着した。ここも、県都の福島市域に含まれているとのこと...。 ・新野地温泉「相模屋」へ泊まる 山中の一軒宿なのだが、鉄筋コンクリート4階建ての立派なものだ。玄関に着くと、すぐに宿の人が飛んできて、応対してくれた。ロビーでジュースを飲ませてもらってから、部屋に案内されたのだが、廊下に花は生けてあるし、部屋もきれいで、トイレや洗面も付いている。荷物を置くとさっそく名物の野天風呂に行ってみたのだが、これがまたすごいのだ。長い木道を通っていくと、雪原の中に開放的な露天風呂があり、周辺の山々の景色もすばらしい!5〜6人が入れるほどの木の湯船に硫黄泉がとうとうと注ぎ込まれていて、あふれ出している。硫化水素臭が漂う、白濁した湯がとても心地よくって、極上の気分になった。時間もあったので、内湯二ヶ所にも入ってから戻ってきた。しばらくして、部屋での夕食となったのだが、これがまたすごい。ボタン鍋、鯉のアライ、刺身こんにゃく、山菜天ぷら、山ウド、フキなど地物ばかりの山の幸が10品以上も並び、とても美味しいのだ。特に、ジダケが絶品だった。地ビールとお酒2合頼んで、飲みかつ食べて、満足!満足!食後は、明日のコースを考えたり、テレビを見ながら横になっていたら、眠くなってしまった。
★新野地温泉「相模屋」に宿泊する。<1泊2食付 10,650円(込込)>
*2005年4月10日(日) 土湯温泉→民家園→医王寺→飯坂温泉→帰途 ・朝から写真撮影に出かける 朝5時半頃に起き出し、6時から写真撮影に出かけた。雪に覆われた吾妻連峰の姿は美しく、移動しながら幾度もシャッターを切った。下界は霞んでいるが、その中にぼやっと浮かぶ山々は幻想的なのだ。近くに目をやると雪壁からつららが下がり、時々しずくが垂れている。その様に興味を覚えて、連続撮影してみた。そうこうしている内に、1時間ほどが立ってしまい。撮影を切り上げ、旅館に戻って、またすばらしい野天風呂に入った。朝の光を浴びた浴槽から見る雪原や山々もすばらしく、のんびり浸かって暖まったのだ。浴後は、大広間で朝食をすませ、8時半過ぎには宿を立って、福島市街方向へ下っていった。
まず国道115号線で、土湯温泉街に出たが、ここは山間の荒川沿いに、10数軒の旅館と土産物屋などが立ち並んでいてにぎやかだ。観光案内所の前に車を駐めて、中心部にある共同浴場「中ノ湯」へ立ち寄っていくことにした。近くの店で入浴券を買って入るのだが、この4月1日から倍額に値上げされていてびっくり!といっても、1回200円なのだが...。浴場は銭湯のような造りだが、無色透明な源泉が掛け流しになっていて、浴槽からたえず溢れている。しかし、これがまた熱いのだ。湯温計は45℃を指していて、熱湯に慣れない人は、入れないかもしれない。地元の人が気をきかせて、水道の蛇口をひねり、埋めてくれたのだが、源泉を薄めてしまうのは申し訳ない気がした。しかし、熱い湯に入った後は体がさっぱりして気持ちがいいのだ。心地よく、土湯温泉を後にして、さらに福島市街へと向かった。
★土湯温泉「中ノ湯」に入浴する。<入浴料 200円>
途中、「福島市民家園」(入園料300円)に立ち寄って、見学したのだが、かやぶき屋根の懐かしい民家が10棟ほど移築復元されていて、なかなか見応えがある。昔から営み続けられてきた農村の人々の暮らしぶりを忍びながら、周辺の風景を取り込んでカメラのシャッターを切っていった。まだ、桜の季節には早いものの、紅白の梅や水仙がきれいに咲き、フキノトウも芽吹いて、いろいろと被写体には事欠かない。天気も良く陽気に誘われて、蝶も舞っていて、テングチョウやコツバメなどもカメラに収めることが出来た。
・「木鶏」で納豆蕎麦を食べる のんびり、写真を撮りながら巡っていたら、もう昼近くなっていたので、撮影を切り上げて、昼食場所を探すことにした。車で、15分ほど走って、医王寺近くにある「木鶏」というシャモ料理と手打ち蕎麦の店に入ったが、ここがとても良かったのだ。納豆そば(1,100円)を大盛りで注文したが、ざる蕎麦と手作り納豆そして納豆の天ぷらが出てきた。蕎麦は、極細打ちながら腰があり、大粒の納豆も美味しく、納豆の天ぷらも気に入った。
・医王寺境内を散策 満足して、昼食を終えてからは、医王寺境内を散策した。ここは、826年(天長3)の開基という古寺、今NHKの大河ドラマで注目されている「義経」ゆかりの地で、義経に従って、討ち死にした佐藤継信、忠信他一族の墓があることで知られている。かの松尾芭蕉も『奥の細道』の旅で、立ち寄って落涙したところでもある。境内には、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙のぼり」の芭蕉句碑が立てられ、宝物殿には、その笈が展示されていた。梅や椿もきれいに咲いていて、ここでも、いろいろと撮影してから、飯坂温泉へと向かった。
まず、福島交通の飯坂温泉駅へ行って、80周年記念乗車券を購入し、電車とホームを撮影してから、共同浴場「鯖湖湯」へと至った。松尾芭蕉が『奥の細道』の旅で入浴したと言われる古来からの名湯だ。しかし、駐車場が近くにないので、「パルセいいざか」の前まで行って車を駐め、徒歩で戻ってきたのだ。ここも、4月1日から入浴料が倍額の200円となっていたが、なかなか古風でよい造りなのだ。近年、昔の建て方によって再建したものだとのことだが...。ここの湯も土湯温泉「中ノ湯」と同じくらいに熱いのだ。でも、水で埋めることも出来ないのでがまんして、そのまま身を湯に沈めた。人が出入りして、少し湯が動くと体に染みる。それでも、しばらくすると慣れて来て、2度目はそんなにも苦にならなくなった。浴後は、温泉街をぶらぶらぶらと写真に穫りながら車へと戻っていった。
★飯坂温泉「鯖湖湯」に入浴する。<入浴料 200円>
帰路の渋滞も心配だったので、この辺で旅を切り上げ、帰途に着くことにして、福島飯坂インターから東北自動車道へ乗った。車は、思いの外順調に走って、全く渋滞にぶつかることなく、6時前に自宅に帰り着くことが出来たのだ。 |
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