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<旅 と 詩> | ||||||||||||||||||||
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☆詩を巡る旅五題
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私は、学生時代から各地を旅していますが、その中で特に心に残った詩に関わる所を5つ、北から順に紹介します。。 (1)霞ヶ城跡(福島県二本松市) 二本松城跡(霞ヶ城公園)の中腹に高村光太郎の「智恵子抄」の中から『あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川』の二行が刻まれていて、その山と川を遠望することができます。豊かな詩情にひたることが‥‥。城跡から安達太良山の眺望はすばらしく、天気も良かったので、残雪を頂いた山容がくっきりと見え、何回もカメラのシャッターを切りました。
(2)小諸城跡(長野県小諸市) 小諸駅から小諸城跡(懐古園)へは、跨線橋を渡り、徒歩5分ほどで、国の重要文化財に指定されている三ノ門へ達します。そこをくぐり、千曲川旅情の歌の碑と至りましたが、不開門跡の水の手展望台からの眺めは、いつ来てもすばらしいものでした。千曲川のゆったりとした流れと遠方の山並みがとてもマッチしています。しばしたたずんで、詩情に浸っていましたが、「はるかなる古城のほとり雲白く遊子悲しむ‥‥」と詩の豊かな情景が彷彿としてきました。島崎藤村も小諸に住んでいた時に、しばしば懐古園を訪れていたようで、この景色に感動したのでしょう。園内には、「藤村記念館」があって、いろいろな資料を見学することもできます。
(3)広島平和記念公園(広島県広島市) 太平洋戦争時の原爆投下爆心地付近にある市民公園です。昭和時代前期の1945年(昭和20)8月6日に原爆が投下され、一瞬の内に市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われました。戦後、1949年(昭和24)制定の「広島平和記念都市建設法」に基づいて建設され、原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈ることを目的に、丹下健三によって設計されたのです。原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北の線上に並ぶように建設されました。公園内には、他に広島国際会議場、原爆供養塔、平和の鐘、原爆の子の像、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館等及び多数のモニュメントがあり、原爆の悲惨さを語りかけています。中でも、『原爆詩集』で「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」と叫んだ峠三吉の詩碑には心を打たれました。自らも原爆症のため、1953年(昭和28)に亡くなっていますが、戦争の悲惨さをその慟哭と共に感じられる場所です。尚、1996年(平成8)には、原爆ドームがユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
(4)柳川の街並み(福岡県柳川市) ここは、北原白秋の生誕の地としても知られていますが、城下町の古い街並みを散策し、掘割を名物のどんこ船で巡ると、のどかな詩情に浸ることが出来、各所に文学碑も建てられています。北原白秋の生家が復元され、記念館となっていますが、館内には白秋の著書や遺品、さらには柳川の風物にゆかりの深い資料が数多く展示されています。 偉大な詩人白秋の業績とその交友関係を知る上では貴重な施設で、なまこ壁の建物が美しく、川下りと共に楽しむと情緒が増します。
(5)阿蘇の草千里ヶ浜(熊本県阿蘇市) 阿蘇五岳の一つ烏帽子岳の北麓の火口跡(78万5千平方m)に広がる大草原て、池もあって、自然のコントラストがすばらしい所です。山なみハイウェーを行くと緑の草原の中に、牛馬の放牧も散見されます。三好達治の「艸千里」「大阿蘇」の一節が頭に浮かんでくるほどのどかな情景が広がっていて、去りがたい気分にさせられます。
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<旅と詩人クイズ>
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