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旅と文学
<旅 と 短 歌>

与謝野鉄幹・晶子歌碑 (島根県松江市) 斎藤茂吉記念館(山形県上山市)

☆旅と短歌

 万葉人は旅先で三十一文字の短歌を詠み、妻や恋人に贈ったと言われています。「万葉集」の中にはそんな歌がいくつかあります。愛する人と別れている気持ちを短歌に託すなんてロマンチックだと思いませんか?旅先でそんな歌碑に出会った時、まわりの風景を眺めながら、歌人の気持ちに浸ってみるというのも悪くないのでは‥‥‥。

☆短歌に詠まれる風景

 古来から短歌によく詠まれる風景があります。それは歌枕と呼ばれ、日本全国にあります。平安貴族は自分は行ったこともないのに、それを歌に読み込んで、叙情あふれるものを作っています。また、歌枕を巡る旅に出て、全国を放浪した歌人もいました。江戸時代の俳聖松尾芭蕉も「奥の細道」の旅で歌枕をまわったと言われています。あなたも、旅先で歌枕を訪ねてみて、一首詠んでみるなんていかがですか?思い出になりますよ!

☆短歌を巡る旅五題


 短歌を口ずさむのに最適なところを5つ、北から順に紹介します。 

(1)旧渋民村(岩手県盛岡市)

 石川啄木の故郷で、追われるようにして去りながらも、強い郷愁を持っていたところです。教鞭をとった小学校校舎や住まいが残され、記念館もあって、『かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川』の歌とともにふるさとのなつかしさがよみがえります。啄木は岩手県の出身で、26歳という若さで逝った天才歌人の業績には心打たれるものがあります。しかし、そういう時代を先取りしたような天才には、あまりにも当時の世間の風当たりは冷たくありました。職を転々とし、地方をさまようが如くの生活には、同情を禁じ得ないのです。もっと安定した生活条件に恵まれていたら、さらに良い作品を残し、命を縮めずにすんだかも知れないのですが....。この記念館を巡るとそんな気分になり、隣接する代用教員時代の小学校校舎と住居も見学しましたが、胸にせまるものがありました。

石川啄木歌碑(岩手県盛岡市) 石川啄木記念館(岩手県盛岡市)

(2)暮坂峠(群馬県吾妻郡中之条町)

 若山牧水が1922年(大正11)の旅の途中で、雪景色の中を弟子と2人徒歩で越えたところです。この時の旅は『みなかみ紀行』として発表され、牧水の代表的な紀行文として知られていますが、文中、旅の途中で歌った多くの短歌が散りばめられています。草津温泉から暮坂峠を越え沢渡温泉に至る道端にはその歌碑がたくさん立てられ、自然環境もよく残されていて、当時の旅を追想させる所です。別に、この時の印象を詠った「枯野の旅」という詩が残されていて、これを刻んだ立派な詩碑と牧水の旅姿の像が、1957年(昭和32)峠に立ちました。牧水が通った10月20日には毎年ここで、盛大な牧水祭が催されるといいます。

暮坂峠の茶屋(群馬県中之条町) 暮坂峠の若山牧水像と詩碑(群馬県中之条町)

(3)鶴ヶ丘八幡宮(神奈川県鎌倉市)

 承久元年(1219)正月に鎌倉幕府の第3代将軍源実朝が階段脇の大銀杏の前で、甥の公暁に暗殺された所です。実朝は、万葉風の力強い歌を詠み、「金槐和歌集」を残していますが、境内の鎌倉国宝館右手壕端にこの歌集末尾の歌『山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心われあらめやも』の歌碑があります。また、鎌倉市内の寿福寺に母政子と並んで墓が残されています

鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) 源実朝の歌碑(神奈川県鎌倉市)

(4)祇園の街並み(京都府京都市)

 茶屋などあって、最も都らしい風情を残している所です。その街を散策していると、与謝野晶子の『清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人皆美しき』なんて歌が浮かんできませんか。北部の新橋通から白川沿いの地区は、1976年(昭和51)9月4日に、国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定され、昔の町並みが保存されています。

祇園の街並み(京都府京都市)

(5)大和の東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺などや飛鳥地方の古寺(奈良県)

 多くの文人墨客が訪れていますが、特に、大和を愛した秋艸道人・会津八一の平仮名ばかりの歌集「鹿鳴集」を見ながら、巡ってみると万葉風ののどかな気持ちになり、旅情が深まります。『よをそしる まづしきそうのまもりこし このくさむらの しろきいしずゑ』

法隆寺(奈良県) 川原寺(奈良県)

<旅と歌人クイズ>

(1) 『田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける』と歌った万葉歌人は?
(2) 山形県生まれの医師で青山脳病院長、雑誌「アララギ」を編集し、歌集「赤光」で有名な歌人は?
(3) 「山家集」を著し、「新古今集」に最も多くの歌が載せられている仏僧で全国を旅したのは?
(4) 鎌倉時代の代表的歌人で「新古今集」「新勅撰集」選者、「近代秀歌」「毎月抄」等の歌論書作者は?
(5) 長野県出身で教育者で、大正3年以後雑誌「アララギ」を主宰、歌集「柿蔭集」等を出したのは?

 *いくつわかりましたか? 解答はこちらです。

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