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私の旅日記

旅日記(5)旧東海道巡り(静岡県・愛知県)
2007.4.28-29

*2007年4月28日(土) 

・帰省途中に旧東海道を巡る旅に出発する

 ゴールデンウィークで実家に帰省する途中、旧東海道の旅籠を巡っていこうと思い立った。江戸時代の旅人の気分を少しでも味わいたいと考えたのだ。
 早朝6時に自宅を立って、戸田橋を越え、環状8号線を走ったんだけど、すでにゴールデンウィーク前半3連休の渋滞は始まっていて、なかなか車が進まない。2時間を費やして、やっと東名高速に乗ることが出来た。
 その後も神奈川県内での流れが悪かったものの、なんとかそれを越えて、静岡県へと入ってきた。しかし、清水インターで下りて、清清バイパスに入ったところで、また渋滞に引っかかって、車が進まなくなった。

・旧東海道岡部宿の大旅籠「柏(かしば)屋」を見学する

 それもやっとのことで過ぎて、国道1号線を西へ走り、旧東海道岡部宿へと至った。ここには、かつての大旅籠「柏(かしば)屋」が復元されて一般公開されている。それが見たくて、立ち寄ったのだ。入館料は300円で、展示コーナーには、江戸時代の旅や旅籠の様子が再現されていて、勉強になった。写真もパチパチと撮りながら、記録を残した。すでに、昼になっていたので、裏の蔵を改装して、造られていた和食処「一祥庵」に入って、天ざる蕎麦を食べた。
大旅籠「柏屋」 大旅籠「柏屋」の内部

・旧東海道日坂宿を見学する

 昼食後は、再び国道1号線に復して、西へと走り、大井川を越えて、25番目の宿場、日坂宿へとたどり着いた。ここにも、旅籠「川坂屋」が一般公開されていて、見学したが、入館は無料だった。建物の裏の敷地が国道1号線に削られてしまっているのが惜しまれるが、江戸時代の名残を留めている。ボランティアの方に案内してもらって、いろいろと見学した。聞くと、近くに旅籠「萬屋」というのも復元して、一般公開しているとのことだったので、立ち寄っていくことにした。こちらは、飯盛旅籠だったようで、面影も感じられ、平旅籠の「川阪屋」との対比が興味深かった。近くにある商家「藤文」も一般公開されていたので、ついでに見学した。
旅籠「川坂屋」 旅籠「萬屋」

・旧東海道新居宿を見学する

 その後は、さらに国道一号線を西へと走り、天竜川を越えて、浜松バイパスから浜名バイパスへと入り、浜名大橋を渡ってから、新居宿へと向かった。ここでは、まず旅籠「紀伊国屋」を見学したが、新居関所と史料館との共通券(400円)を購入した。この旅籠で出されていた夕食を再現したレプリカが展示されていて、興味深かったが、これは『文化10年(1813)仙台下向日記』(升屋平右衛門山片重芳著)によったもので、「夕飯、(皿)あさり貝、かんてん、酢醤油かけ(汁) 大根千切 (平) ぼら、焼豆腐、にんじん (鉢) うなぎ」というメニューだった。館内の案内の方とも言葉を交わし、当時の食事について、批評した。
 それから、新居関所の方も見学したが、江戸時代の関所建物が残され、国の特別史跡になっている。史料館も見学して、当時の旅の様子を思い浮かべてみた。
旅籠「紀伊国屋」 新居関所

・旧東海道二川宿を見学する

 見学後は、さらに国道1号線を西進し、二川宿へと至った。ここには、二川宿本陣資料館があって、二川宿本陣が復元されていたのだが、最近それに隣接して、旅籠「清明屋」も復元されたと聞いていたので、立ち寄ってみたのだ。まず、入館料400円也を払って、資料館の方から見学したが、江戸時代の旅の様子を知るには、とても良い展示がされている。いろいろと知見を得てから、本陣の建物も見て回った。その後、旅籠「清明屋」にも行ってみたが、五右衛門風呂が2ヶ所設置されていたのに興味を持った。1人用の狭いものなので、泊まり客の多いときは、なかなか風呂の番が回ってこなかったんじゃないかと、想像してみた。しかし、本陣の立派な建物との比較で、庶民の旅籠を見るのも面白いものだ。
二川宿本陣 旅籠「清明屋」

・今日の宿赤坂宿「大橋屋」に到着する

 結構、見学に時間がかかってしまったので、後は急いで今日の宿赤坂宿「大橋屋」(注:現在は廃業して資料館になっています)へと向かうことになった。午後6時頃に到着することが出来たが、ここは江戸時代から続く旅籠で、昔の建物のまま営業している数少ないところだ。今まで見学してきた旧旅籠と変わらない風情で出迎えてくれた。軒提灯に連子格子、入口には屋号がかかれた障子のくぐり戸があり、中に入ると、土間が広がっている。板敷きの玄関を上がると千本格子戸、黒光りした大きな柱に梁や桁がどっしりとした構えを造っている。階段にも風情があり、天井奥に篭がぶら下げてあるのも気に入った。中にかかっている暖簾には、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の芭蕉の名句が染め抜かれていた。案内された2階の部屋は新しい方だったが、しばらく休んでいると風呂が空いたと知らせてくれた。行ってみると、新しい浴室ではあるが、丸い木桶なのがいい。のんびり浸かって旅の疲れを癒した。
赤坂宿「大橋屋」の外観 赤坂宿「大橋屋」の内部
 浴後しばらくして、階下の広間での夕食に呼ばれた。食卓には、刺身(甘エビ、マグロ、タイ)、寄せ鍋、長芋の味噌掛け、茗荷の辛子味噌和え、むかご、蕎麦、とろろ汁、カニ足、漬物、デザート(イチゴ、オレンジ、メロン)が並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、美味しく飲みかつ食べた。
 食後は部屋に戻って、横になってテレビを見たり、明日のコースを考えたりしていたら、まどろんできたので、早めに床に就いた。
「大橋屋」の夕食 「大橋屋」の朝食

☆赤坂宿「大橋屋」に泊まる<1泊2食付 10,500円(込込)>

標準料金 1泊2食付 10,500円(込込) 宿泊当時の料金で、現在は廃業しています!
住所、電話 〒441-0202 愛知県豊川市赤坂町紅里127 TEL(0533)56-2677
街道と宿場 東海道赤坂宿
創業 創業慶安2年(1649)で、宿泊当時の当主は19代目、広重描くところの赤坂宿の浮世絵に描かれた旅籠(旧旅籠鯉屋)だと語る。
建物 1709年(宝永6)の大火後、1709年(享保元)に再建された建物が表に現存していて、江戸時代の旅を彷彿とさせる宿である。

*2007年4月29日(日) 

・朝の散歩で赤坂宿と御油の松並木を巡る

 翌朝は、早めに起きだして、7時過ぎからカメラを携えて、散策に出かけた。しばらく、街道筋を東に向かって歩くと、町並みの中に、赤坂関川神社がある。その境内に松尾芭蕉の「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の句碑があるが、御油宿と赤坂宿の近さを夏の夜の短さにかけて詠んだものだ。
 カメラに収めてから、さらに東へ歩くと、宿場も終わって、有名な御油の松並木となる。今でも両側に松の木がたくさん茂っているが、その中を御油宿に向かって歩いていった。途中の児童公園の所に、看板があり、十返舎一九著『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さんが喜多さんを狐が化けたと勘違いして縛り上げる滑稽話が書かれていた。当時は、竹林もあって狐が出てきそうな所だったのだ。そんな状況も想像しながら、いろいろと写真を撮って戻ってきた。
「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の芭蕉句碑 御油の松並木

・旧東海道藤川宿を見学する

 8時から朝食を取り、宿を出て、旧東海道をたどり、藤川宿へと至った。ここでは、駐車場に車を入れて、しばらく宿場を歩いてみたが、脇本陣の跡が資料館となっていて、見学した。少し行ったところにある棒鼻は、安藤広重著『東海道五十三次 藤川宿』に描かれている。その前に、むらさき麦が栽培されていて、興味を持ったが、松尾芭蕉の「爰も三河 むらさ麥の かきつばた」の句に出てきて、近年復活したものだそうだ。近くの十王堂には、寛政5年建立の芭蕉句碑も建てられていた。
藤川宿資料館 芭蕉句碑

・旧東海道を離れ実家へと向かう

 その後、旧東海道を離れ、岡崎から豊田市域を通過して、長久手町にあるトヨタ博物館も見学した。大きな建物で、展示スペースも広く、クラシックカーがたくさん置いてあったので興味深く、結構時間がかかってしまった。それから、昼食を食べて、実家へと向かった。
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