秘湯めぐりの旅(20)

<有久寺温泉−三重県>

1999.9.11-12


*1999年9月11日(土) 伊勢神宮→鳥羽市→賢島→有久寺温泉

・袋井から伊勢へ

 朝起きたら。少し雨模様だったが、7時半から朝食をとり、8時半前には袋井駅前のビジネスホテルを出発して、袋井インターへと向かった。東名高速道路を西へ走り、名古屋インターからは西名阪自動車道へ入って、順調に車を走らせた。亀山からは伊勢自動車道へ乗り継ぎ、11時前には伊勢市内へと入って来た。

・伊勢神宮に参拝する

 まず、外宮の参拝に向かい、駐車場に車を停めたが、裏参道が工事のため閉鎖されていて、表参道へ回らなければならず、かなりの遠回りとなってしまった。境内は広く、樹木が生い茂り、鬱蒼としている。太古から信仰を集め、参詣人が絶えなかったが、特に江戸時代以降は、「お伊勢まいり」として日本全国から人々が参集した。現代でも、観光客が多いが、かつてほどの賑わいはないのではと感じられた。ひととおり参拝をすましてから、今度は内宮へと向かった。
 かつては内宮と外宮はそれぞれ宇治町と山田町に属し、合併して宇治山田市となったが、その後改名して伊勢市となったと聞く。今でも、名残で近畿日本鉄道の駅は宇治山田となっている。お陰通りの人混みの中をのろのろと車を走らせていったので、渋滞にも遭わなかった。うまい具合に、鳥居の前の駐車場に明きがあったので、歩く距離が短くてすんだが、宇治橋を渡ってからも結構歩かなければならない。小学校の修学旅行で来たときにはずいぶん長かったように記憶している。明治初期までは、五十鈴川右岸にも御師の邸宅なども並んでいたとのことだが、明治維新以降の天皇神格化に伴い、伊勢神宮の地位が高まり、それらの建物は撤去され、境内の整備が行われたと聞く。今では、広大な庭園となっている所を通り過ぎ、五十鈴川で手をすすいだが、大きな錦鯉が群れていて、参拝客の注目を集めていた。そこからさらに奥に向かって歩き、社殿の前に出たが、階段上に古風な建物が見える。かのドイツの建築家ブルーノータウトもそのシンプルな美しさを絶賛していたが、古代住居を思わせるよう建造物が、何回も立て替えながら1千年以上の時を越え、そのままの姿で今日に残されていることは、驚嘆すべきことだ。ただ、警備の厳重さに違和感を感じるのだが....。

・伊勢うどんとてこね寿司を食べる

 参拝をすませて、昼時になっていたので、お陰通りに繰り出したのだが、多くの人通りがあって、にぎわっている。どの店に入ろうかと思案したが、伊勢うどんとてこね寿司の看板のある茶店に入ることにした。伊勢うどんは腰のないやわらかな太い麺に醤油ベースの黒っぽいつゆがかけてあって、独特な感じがする。てこね寿司の方は、この辺の海の幸をのせたちらし寿司といったものだ。ビールを一本たのみ、おいしく飲みかつ食べた。

・お陰横丁を巡る

 店を出てから近年、江戸時代の通りを復元したお陰横丁へと向かった。その中に、お陰座という見せ物小屋風の建物があって、江戸時代の街並みを映像と模型で再現していた。江戸時代も後半になると日本全国からのお伊勢詣りの参拝客が増え、ものすごく繁盛したという。その様子がリアルにわかってとても面白いのだ。お年寄りの解説員がていねいに説明してくれたが、当時よくこれだけの人が参拝に訪れたものだとただただ感心するばかりだ。そこを出て、街並みをぶらぶらしながら駐車場へと戻っていった。

・朝熊山へ上がる

 次は、有料道路を通って、朝熊山へ上がることにして、車を発進させた。この道は小学校の修学旅行で観光バスに揺られてきた記憶があるが、果たして山頂には当時と同じ三角屋根のレストハウスがあった。展望台から見る景色はすばらしく、鳥羽市街や伊勢湾が一望できる。天気の良いときは富士山も見えるとのことだが、今日はそれらしいものは見いだすことができなかった。しばし、眺望を堪能してから、鳥羽方面へ下り、市街地を通過してパールロードの方へと向かっていった。
 この有料道路沿いは伊勢志摩国立公園のもっとも景観の良い地帯で、リアス式海岸の美しさを眺めながら車を走らせることが出来る。途中、鳥羽展望台に立ち寄ってみたが、眼下にすばらしい陸と海の自然の造形が展開していた。

・曲がりくねった恐怖の悪路を、ひたすら走る

 鳥羽から南に向かって車を走らせ賢島からは国道260号線で山越えに挑んだ。10年ほど前にも走ったことがあるが、断崖絶壁をぬうようにして走る悪路で、国道とは名ばかり、車一台がやっと通れるくらいの道幅しかなかった。しかし、最初の内は五ヶ所湾を望み、曲がりくねってはいるが、眺望の良い田舎道といった感じだ。それが、だんだんと険しさを増し、紀伊長島が近づくに連れて、ものすごい道となる。ハンドルの切り返しの連続で、一歩間違えば谷底へ転落の恐怖が続く。しかも、運の悪いことに、前方を2台のダンプカーに先行され、道幅が狭いので追い抜くことも出来ないまま、低速での走行を余儀なくされた。それでも、1時間弱で悪路を抜け、ダンプカーに続いていたら道を間違えて国道42号線に出てしまった。遠回りにはなったが、その方が断然道は良く、以後はすいすいと車を走らせ18時近くになって、ようやく紀伊長島の町に入って来た。 
有久寺の本堂

・やっと有久寺温泉を発見

 今日の宿は、そこから山間に入った秘湯の一軒宿、有久寺温泉「有久寺荘」で、よく道がわからなかったが、とにかくその方面に車を走らせていったら、入口の看板が出ていた。ところが、そこからは狭い林道のような道で、乗用車一台がやっとという道幅で、林の中をずっと山に向かって続いていた。ほんとうにこの先に温泉があるのだろうかと、心細くなりながら、とにかく一本道を進むしかなかった....。そのどん詰まりに、やっと寺の宿坊のような感じの有久寺温泉を発見した。

・せせらぎを聞きながら湯に浸かる

 寺の本堂の前に車を駐め、庫裏のような所で案内を乞うと、80歳を過ぎていると思われる老人が出て来て、部屋へと案内してくれた。離れの2階で、冷房が利いていたのはちょっと意外だった。魚屋で使うという大きな棒状の蚊取り線香を廊下に置いて、「ゆっくりしてくれ」といわれた。とりあえず、部屋に荷物を置いて、トレーナーに着替え、まずは温泉に浸かることにした。一端、建物を出て、坂を下っていくと渓谷沿いに浴室があった。あまり大きな浴槽ではないが、お湯がとうとうと注ぎ込まれていて、湯気がもうもうと立ちこめている。ちょっと薄暗く、窓外には渓谷のせせらぎもして、神秘的な感じさえする。山中の秘湯にふさわしいような感じがして、その雰囲気を堪能しながら、旅の疲れを癒した。上がってきて、部屋で休んでいると、法螺貝の音が聞こえてきてびっくりした。まさに熊野の修験道の世界といった感じで、何とも言えない響きであった。しばらくして、離れの食堂で夕食となったが、熊野灘に面した、漁港をひかえ、新鮮な刺身、かますの塩焼、さざえの壺焼きなどが出され、そして牛鍋が食卓をにぎわせた。美味しくいただきながら、冷やでお酒を2合ほど飲んで、心地よく食事を終えたが、くだんの老人に有久寺の由緒について聞いてみた。今から約970年前、花山天皇が熊野詣のおり、この地に一宇を建立したのが、開山で、その御代に、平将国が神のお告げで温泉を発見し、入湯して病が全治したと伝えられているとのこと。その後、江戸時代になって、紀州へ来た由井正雪が立ち寄って入湯し、病を平癒したとも云う。そうしてみると、この温泉の起源は古く、由緒正しいものであることがわかった。おもしろい話を聞いた後は、部屋に戻ってテレビを見ながら寝てしまった。

有久寺温泉の外観 有久寺温泉の泉源

☆有久寺温泉「有久寺荘」に泊まる。<1泊2食付 8,800円(込込)>





源泉名 有久寺温泉
湧出地 三重県北牟婁郡紀伊長島町有久寺
湧出量
知覚 無色透明
泉質 (ふっ素、メタほう酸)
泉温分類 24℃(冷鉱泉)
pH値 ? 
液性分類
溶存物質総量 435.8r/s
浸透圧分類 低張性
宿


有久寺温泉「有久寺荘」のデータ
標準料金 1泊2食付 8,000〜20,000円(込別) 
宿泊定員 木造2階建 和室12室
住所、電話 〒519-3200 北牟婁郡紀伊長島町有久寺 TEL(05974)7-2661
交通 JR紀勢本線紀伊長島駅よりバス8分有久寺口下車後徒歩25分
有久寺温泉「有久寺荘」の夕食 有久寺温泉「有久寺荘」の朝食

不動滝

*1999年9月12日(日) 尾鷲→紀伊半島へ

・朝の散歩に出かける

 朝起きると、山間の冷気が心地よく、外に散歩に出かけた。まず、有久寺の本堂に参拝し、下に降りて、源泉のわき出し口を見学し、戻って、本堂脇を抜けて、山道を不動滝の方まで歩いていった。周辺の山々は、伐木されたばかりで、以前は鬱蒼とした森林だと思われ、その方が修験道の聖地らしく見えて良いかとも思ったが、この一帯は、林業が盛んで、こうやって森林を更新していかなければならないのだ。そんなことを考えながら、渓流沿いに上流に向かっていった。少し、上り坂になって、ものの15分ほどで滝が見えてきた。周りは、木々に覆われて、薄暗く、結構水量も多く、落差もあって見応えのある滝だった。しばらく、落水に見入り、カメラのシャッターを押した。

・尾鷲から紀伊半島を南下

 戻ってきて、朝風呂に入り、朝食を食べて、8時半頃に出発したが、出がけに、鯛の形をした砂糖の押し菓子を土産にくれた。聞くと、今日が寺の祭礼で、その参加者に出す物だとのこと。ありがたくいただいて、車に乗り込んだ。再び、細い一本道を通り、紀伊長島の街から国道42号線に出て、一路南下していった。尾鷲の町で、山林地主の邸宅が公開されていると聞いて、探したがまだ入館時間前で入ることができず、再び南下を続けた。熊野灘を左手に見ながらの快適なドライブが続き、昼前に熊野川を渡って、新宮市街へと入っていった。

佐藤春夫記念館の入口

・速玉大社と佐藤春夫記念館

 まず、熊野三山の一つ、速玉大社に参拝したが、何度訪れても立派な建物で、その信仰の厚さを伺わされる。ついでに、宝物館を拝観したが、奉納された数々の品を見て、その豊富さと、時代と地域の広がりに驚かざるをえない。そこを出て、境内の一角に作られている佐藤春夫記念館に立ち寄ってみた。この郷土出身の詩人は、「さんまの歌」などで知られているが、洋館風の旧居が移転復元されて記念館となっている。ちょうど、熊野古道のイベントの一環として無料で見学をすることができたが、内部には、芥川龍之介との交友を示す資料などあって、興味深く見ることが出来た。

・めはりずしを食べて、那智駅へ

 見学を終えると、昼食時となっていたので、この辺の名物で、新宮に来るときは必ず食べている“めはりずし”を食することにして、近くのめはり屋大王店へと出向いた。以前にも来たことがあるが、参道から2、3本横道に入った所にある平屋の建物で、ご飯を高菜でくるんだおいしい“めはりずし”を出してくれる。1個が大きいので、目を見張るようにして食べることからこの名がついたというが、素朴な郷土食だ。豚汁と合わせて定食となっているのを注文した。満腹になったところで、さらに車を走らせて、那智駅を目指した。目的は、駅に併設された日帰り入浴施設、那智駅交流センター「丹敷の湯」に入ることで、1997年に誕生したばかりとのことだ。

秘湯めぐりの旅(23)<夏山温泉−和歌山県東牟婁郡太地町>へ続く

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