秘湯の旅日記(10)金田一温泉・夏油温泉(岩手県) |
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*1997年9月17日(水) 大間崎→仏ヶ浦→金田一温泉 ・本州最北端の大間崎へ 道南の温泉巡りを終え、フェリーにて本州上陸後は、まず最北端の大間崎に寄ってみることにしたが、台風19号の雨はまだ降り続いている。行ってみると、平坦なところで、階段状に海に降りれるようになっていた。沖の岩礁にある大間埼灯台が雨にかすんでいる。とりあえず、本州最北端の碑と群れていたかもめをカメラに収めたものの、早々に立ち去ることにした。そこからは、国道338号線に出て、ずっと南下して、仏ヶ浦を目指していく。この海峡ラインと呼ばれている道は悪い。細く曲がりくねっていて、運転に神経を使わざるをえなかった。
・雨の中の仏ヶ浦散策 それでも、なんとか12時過ぎに仏ヶ浦駐車場に到着することが出来た。しかし、そこから海岸に下りるのが大変なのだ。断崖絶壁を途中からは、木の階段となって、ずっと下っていって、やっとのことで、海岸にまでたどり着いた。この台風のさなか、雨は小降りになっているとはいうものの、さすがに人は、誰もいない。しかし、景色はすばらしい。白砂の浜に奇岩が並び、仏像、仏具の姿に見えると言う。遠くの海岸線の山が、海にせまっている。波は、台風であるにもかかわらず、意外に静かだった。しばし、絶景に見とれながら散策したが、内田吐夢監督の映画『飢餓海峡』でも、主人公(三国連太郎)がこんな断崖をよじ登っていくシーンがあったことを思い出した。この天気に、一人では不気味な感じさえし、早々に切り上げて、帰路の階段を上っていったが、とてもきつくて、あえぎながらやっと駐車場に戻った。
・下北半島を走る 再び国道338号線を南下していったものの、霧に包まれてきて、慎重に慎重にカーブを切りながら苦労して、なんとか「道の駅わきのさわ」へ到着した。昼飯時をだいぶ過ぎていたので、そこの食堂でいくら丼(1500円)を食べて腹を満たして、ようやく落ち着くことができた。脇野沢からは、陸奥湾沿いに東進して、むつ市を通過し、国道279号線に出てからは南下して、野辺地を経由した。国道4号線に合流してからは、さらに南進し、十和田市、三戸町と雨降る中を通過して、17時半頃金田一温泉へと到着した。 この温泉街は、田舎の湯治場が、少し近代化したといった感じで、旅館・ホテルが点在している。近年、座敷わらしが出没することで有名になった「緑風荘」がある温泉地だ。そんな中で、迷いながらやっとのことで目指す宿「仙養館」を見つけたが、結構立派な旅館なので驚いた。玄関での女将さんの応対もとても感じが良く、建物はそんなに新しいものではないが、とてもきれいに整えられている。一時代前の温泉旅館の典型といった感じで、部屋も広くてきれいで、とても気に入った。こういう旅館に泊まるのも、たまには良いものだ。部屋に荷物を置くとさっそく温泉浴場へと向かったが、とても広い内湯で、湯船がひょうたん型をしている。気分良く、のびのびと湯に浸かって、汗を流した。夕食はこれもまた豪華で、二の膳までついて、ほんとうにこの料金でよいのかと疑うほどだった。刺身、川魚の塩焼、カニなどが膳をにぎわしたが、特に、ひっつみ(すいとん)が美味しかった。酒を飲みかつ食べて、とても上機嫌で、後はテレビを見て寝てしまった。 ☆金田一温泉「仙養館」に泊まる。<1泊2食付 8,550円(込込)>
*1997年9月18日(木) 玉山村→小岩井農場→高村光太郎記念館→夏油温泉 ・朝の散歩に出る 朝6時に起床し、6時15分頃から散歩に出かける。温泉街をぶらぶらと歩いてみたが、もう旅館を廃業してしまったような建物が目につき、閉じられたバーや土産物屋などがあって、この温泉が廃れてきていることを象徴している。女将も八戸自動車道が全通してからは、通過する人が多く、周辺に有名観光地がないので、客が減っていると言い、前にあるホテルも老人保健施設になってしまったと聞いた。散歩の途中で、金田一京助の碑を見つけ、この温泉の名がそれに由来することを知った。宿に戻ってから再び入浴し、7時半から朝食を食べて、8時半には出立する。 ・石川啄木記念館へ立ち寄る 国道4号線を南へ、盛岡市に向かって車を走らせ、玉山村に入って石川啄木記念館を見学した。もう5度目の来館となるが、26歳という若さで逝った天才歌人の業績には心打たれるものがある。しかし、そういう時代を先取りしたような天才には、あまりにも当時の世間の風当たりは冷たく、職を転々とし、地方をさまようが如くの生活には、同情を禁じ得ない。もっと安定した生活条件に恵まれていたら、さらに良い作品を残し、命を縮めずにすんだかも知れないのだが....。隣接する代用教員時代の小学校校舎と住居も見学したが、胸にせまるものがあった。そんな時ちょうど、日本女子大附属中学校の団体といっしょになった。彼女たちは、どう感じたのだろうか...。
・小岩井農場で遊ぶ さらに国道4号線を南下し、途中から右折して県道にそれ、小岩井農場を目指す。この農場は、1891年(明治24)に創業され、創業者である小野義真(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)、三氏の頭文字からとって名付けられたものだ。岩手山南麓に広がる火山灰土の原野を開墾して、現在では日本屈指の約3000haの面積をもつ民間総合農場となっている。その規模を確認するためにわざわざ北方から進入したが、その広大さは日本のものとは思われないくらいだ。ここに来るのも3度目になるが、だんだん観光化して、今回は入園料までとられた。まずは、羊の囲いの中に入って、頭をなでてみるが、何種類かいるようだ。私は、こういうのどかな牧場風景が好きで、しばらく羊と戯れていた。そのうちに、シープアンドドックショウというのが始まった。牧場犬のメリーが出てきて、ばらばらになっている羊をまとめ囲いに追い込むのだ。なかなかみごとなもので、うまく羊を追い回して、みるみるうちに柵の中に入れてしまい、拍手喝采が起こる。次に、羊に餌をやってみたが、何頭も先を争ってやって来て、ぺろりと平らげられてしまった。もう昼になったので、バイキング定食(1500円)を食べ、その後、牛舎、展示資料館、乳業工場と見学してから小岩井農場を出発した。
・高村光太郎記念館で戦争責任について考える しばらく地方道を南進し、復元された志波城に立ち寄った。そこから、さらに、南下して花巻市郊外にある高村光太郎記念館と高村山荘へと向かった。ここに来るのは2度目だが、光太郎の戦後の質素な山荘生活には心打たれるものがある。彼は、自身の戦争責任を強く感じて、不便な山荘生活に入ったとのことだが、どういうふうに戦争責任を考えていたのだろうか?第2次世界大戦中はさんざん戦争に協力しておきながら、戦後は、手のひらを返したように戦争を批判したり、ほうかむりする知識人が多かった中で、彼の態度は人間的苦悩に満ちていた。とても共感できる部分もあるが、すごくむつかしい問題だと思うのだが...。帰り際に、花巻市立歴史民俗資料館にも立ち寄って、知見を広げてから、宿への道を急いだ。途中からは台風20号の影響で、雨が落ちてきはじめた。道はどんどん山峡に入っていくが、その割には道路が整備されていて、ちゃんと2車線ある。しかし、それも夏油高原スキー場までで、そこからは1車線の曲がりくねった山道となり、運転に気を遣った。大きな山塊を回り込んで、谷底に降りたところが夏油温泉で、やっとたどり着いたという感じだった。
車を「元湯夏油」の前の駐車場に入れて、さっそく宿へと入っていった。通されたのは、おもしろい跳ね橋のような通路を渡った向かい側の駒形館の一室で、荷物を置くと、すりっぱをはいて、すぐに名物の河原の露天風呂へと向かった。渓谷沿いに離ればなれに、5つの露天風呂が点在し、少しずつ泉質が異なると聞く。内4つが混浴なのだが、最初に向かった「大湯」はちょうど17時〜18時の女性タイムとなっていた。仕方がないので、まず、他の4つの露天風呂「女(目)の湯」「真湯」「疝気の湯」「滝の湯」をはしごすることにした。いずれも、渓流に望み、野趣満点で、紅葉の時はすばらしいだろうと思った。「疝気の湯」(混浴)は渓谷沿いに覆うものもなく、丸見えだったが、婦人病に効能があるという。「真湯」(混浴)は、胃腸病や喘息に効き目があるとのこと。その対岸に橋を渡ったところに、東屋のある「女(目)の湯」(混浴)は、眼疾患に良いと聞く。河原より少し高いところにあるのが「滝の湯」(男女別)で、皮膚病・外傷に効果があると出ていた。18時まで待って、神経痛、リウマチに効く、「大湯」(混浴・女性タイムあり)にも入ったが、ここは一番大きかったものの熱かった。すばらしい5つの露天風呂全部に入浴でき、満足して宿に戻っていった。ほどなくして夕食となり、おいしく食べかつ飲み、あとはテレビを見ながら寝てしまった。 ☆夏油温泉「元湯夏油」に泊まる。<1泊2食付 9,075円(込込)>
*1997年9月19日(金) 夏油温泉→北上市→ほっとゆだ駅へ ・朝、洞窟の湯へ行く 朝5時半に起きて、6時から浴場に行った。「白猿の湯」「小天狗の湯」と男女別内湯2つに入ってから、外に出た。目指すは洞窟の湯、徒歩15分ほどかかって、渓谷沿いの小道を行くと、今湯に入ってきたらしい2人連れの女性客とすれ違った。しばらくして、眼前に蛇の湯の滝が見えてきた。その脇に洞窟が開いている。これはすごい!中は暗く、けっこう奥行きがある。脱衣場に何もないのでどうやら先客はいないようだ。さっそく、服を脱いで洞窟に入っていったが、少々ぬるいのが難点だ。最奥は真っ暗でただ一人で入っているとなんだか不気味な感じさえする。宿の案内には「日本でもまれなるラジウム放射能を有する石灰華に包まれた洞窟の湯」と書いてあった。してみると、この洞窟岩から放射能が出ているのだろうか?全国でも放射能泉は効能が高いと聞いているので、健康に良いに違いない。じっとしていると、なんだか神秘的な趣もしてきて、仙人になったような気分になるから不思議なものだ。しかし、朝なのにそうぬる湯に浸かっているわけにもいかず、適当なところで切り上げて出てきた。帰り道で、若いカップルにすれ違ったが、2人であの洞窟に入浴するつもりなのかとちょっと気になった。宿に戻り、すぐ朝食を食べて、8時過ぎには夏油温泉を後にした。
・北上市立歴史民俗資料館を見学 来た道を戻るようにして、山を下り、橋を渡って、北上の市街へと入ってきた。北上駅を経由して、裏側の民俗村へ行ってみたが、その施設の広大なことには驚かされた。岩手県内から民家を移築し、一大屋外博物館となっている。まず、北上市立歴史民俗資料館から見学したが、その中で、伊達藩と南部藩の境界争いの展示には興味を持った。その境を確定するために、幕府老中立ち会いのもとで、地図に境界が入れられ、間をおいて塚を築いたとある。それが、ちょうどこの民俗村の中を貫いているとのこと、後で民俗村内を巡ってみてわかったが、小さな沢があり、それが境界となり、その両側に塚を築いたものが残されていて、“はさみ塚”と呼ぶとのこと。民俗村内には、南部曲屋や武家住宅などが数十軒移築されていて、なかなか見応えがある。今まで知らなかったのが、不思議なくらいだ。民俗村を出て、すぐ下にある佐藤ハチロー記念館に立ち寄り、後は、国道を一路西に走って、湯田を目指す。ほっとゆだ駅でちょうど昼になったので、駅前食堂に入り、稲庭うどんを食べてから、ほっとゆだ駅の温泉に入浴した。
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