秘湯の旅日記(36)岩手県の5湯めぐり |
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*2000年9月9日(土) 一関市立博物館→平泉→国見平温泉→鶯宿温泉 ・仙台市から岩手県へ 仙台駅前のホテルで、朝6時前に起床し、旅日記をしたためてから、7時に1階レストランで朝食をとることにした。Aセット(750円)の洋食を食べ、ほどなくして7時半頃出発したが、今日の宿が決まらず、行く方向がはっきりしない。天気は雨で、一日中降り続きそうだ。とりあえず北に向かい、ガソリンスタンドで給油している内に電話して、鶯宿温泉「ホテル清光荘」に宿を決めた。そうすれば、とにかく、ひたすらに国道4号線を北上するしかない。雨が降り続く中で、注意してハンドルを握りしめていった。道路はすいていて、順調に走り、10時頃には県境を超えて一関市へと入ってきた。そこからは、左折して、厳美渓方面へと向かった。 ・一関市立博物館を見学 前回にこちらに来た時見逃した一関市立博物館に立ち寄りたかったからだ。はたして、新しい大きな建物が建っていた。最近の地方の博物館の充実ぶりはめざましい。しかし、外観には似合わず、展示内容の乏しいことがままあるのだが、この博物館は気に入った。特に、テーマ展示、「舞草刀と刀剣」、「一関と和算」、「文彦と言海」、「玄沢と蘭学」は興味深く、新しい知見も豊富で、ついつい時間を過ごし、1時間半もかけてしまった。 ・平泉駅前の「和泉そば」で昼食 その後は、平泉へと向かい、ちょうど昼時となったので、食事の出来るところを探したが、平泉駅前に「和泉そば」というのを見つけて入ることにした。構えはどこにでもある駅前食堂といった感じだが、メニューにある泉そば(1600円)を注文すると、80歳を過ぎていると思われる主人が出てきて、御酒を差し出しながら泉そばの口上を述べはじめた。その上、交通安全の祈願までしてくれると言う。実に、ユニークなそば屋さんだ。出てきたものは、そばのフルコースで、そばらくがんとそば茶に始まり、そばずし、そばの刺身、そして、ぶっかけそばと続き、最後にそば湯で終わった。みちのくへ来て、思いがけず良い蕎麦屋へ入ったと満足して、次の柳之御所跡へと向かった。 ・柳之御所資料館を見学 柳之御所資料館には、平安末期の平泉文化を示す、興味深い発掘品が並べられていて、特に、将棋駒、磁器、などには目を見張った。しかし、この施設が、国道4号線のバイパス建設のためのPR施設となっていたのは解せなかった。バイパス建設のためこの遺跡か発掘され、以後建設反対、遺跡保存の運動が高まったのを期に、工事がストップしているとのことで、このルートを少し変更して、なんとしても建設しようと言うことらしい。ここにも公共事業の弊害が表れている。一度決定されると、地主と建設会社などのもうけのためになんとしても強行するという姿勢だ。私などは、このルートを変更して、橋を渡して北上川の対岸に建設すれば良いと思うのだが....。 ・高館に上る 続いて高館に向かった。過去3度も平泉を訪れていながら、ここだけは、立ち寄ったことがなかったのだ。かの源義経の最期の地で、弁慶の大往生でも有名で、江戸時代に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で立ち寄り、涙を流したと言う。階段を上ると視界が開け、眼下に北上川が曲流していて、その眺めは雄大だ。右に芭蕉句碑、左に義経堂があり、いずれも感動を禁じ得ないもので、何枚もカメラのシャッターを切った。その後は、平泉郷土館に寄り、浮世絵によって描かれた義経を興味深く見学し、さらに北に向かって車を走らせた。すぐに、国道4号線を左にそれて、衣川村をどんどん山に向かっていった。
実は、金ヶ崎温泉を目指していたのだが、途中、国見平温泉の看板を見つけ、立ち寄ってみることにした。山里に新しく出来た公営の日帰り入浴施設で、正式には「いきいき交流館」という名前だが、「はごろもの湯」という愛称になっている。2時間以内350円で入浴できるとのことなので、入浴していくことにした。内湯大浴場、気泡風呂、電気風呂、サウナ、露天風呂と施設は整っている。地下1,500mから掘削した温泉で、泉質は強食塩泉とのことだが、濃度を薄くしているように感じた。いろいろな浴槽にゆったりと浸かり、長旅の汗を流して、休憩をとった。
★国見平温泉「いきいき交流館」に入浴する。<入浴料 350円>
・ひたすら北に向かって 今日の宿鶯宿温泉までは、かなりの距離を残していて、先を急がなければならなくなった。よほど東北自動車道に乗って時間を稼ごうかとも思ったが、途中で、花巻方面へ延びるスーパー農道を発見し、それを北上することにした。この道は、真っ直ぐに水田を突っ切っていて、信号もほとんどない。どんどん時間を稼いで、北上、花巻と過ぎ、盛岡市街に近づいた。しかし、ここで道を間違え、方向がわからなくなった。気が付くと、矢巾温泉に出ていて、その後は道を修正し、御所ダム、繋温泉を経て、17時半過ぎに鶯宿温泉へと入ってきた。 ひなびた湯治場だと聞いていたが、近代的な建物も結構あるようだ。温泉街の中ほどに今日の宿「ホテル清光荘」を見つけた。荷物を置くとすぐに浴場に行って、長かった今日の行程の疲れを癒した。よくここまで走ってきたものだと、湯に浸かりながら回想して、上がってほどなくして、部屋での夕食となった。食卓には、鮎の塩焼、牛肉鍋、てんぷら、刺身などが並び、かなりの空腹だったので、食も進み、お酒を冷やで2本たのんで、気持ちよく腹を満たした。後はほろ酔い気分で横になり、テレビを見て、しばらく後には寝てしまった。満足、満足....。
☆鶯宿温泉「ホテル清光荘」に泊まる<1泊2食付 8,550円(込込)>
*2000年9月10日(日) 繋温泉→岩泉温泉→龍泉洞→新山根温泉 ・朝、雨で周辺の散歩を断念! 朝、5時半頃には目が覚め、6時過ぎには温泉街への散策へと出かけた。首からは愛機のニコンF3を下げ、肩にはニコンFDかけた、いつものスタイルだ。温泉街は鶯宿川に沿って、山峡に細長く連なっている。まず上流に向かって歩いていき、鶯宿橋を渡って、対岸を今度は、渓流に沿って下流に向かって歩いた。時々立ち止まっては、カメラを向けてシャッターを切った。鶯鳴橋でまた、こちら岸に戻って、温泉街で一番古いという石塚旅館の外観を撮影し、ぶらぶと温泉街を下った。街外れまで行って、引き返し、小一時間の散策を終えた。その後は、温泉で一浴し、7時半頃から朝食にした。 8時過ぎには宿を立って、御所湖畔を繋温泉経由で、盛岡市街へと車を走らせた。繋温泉は、温泉街を見ただけで、通り過ぎてしまおうかとも思ったが、ひょっとしたら朝から入浴できる施設があるかも知れないと、入口の店屋で訪ねてみた。そうしたら親切に教えてくれ、小さな共同浴場なら近くにあり、湯もとても良いとのことなので行ってみることにした。それは、「盛岡市立つなぎ老人憩いの家」で、朝から入浴料500円で入れてもらえる事が出来た。浴槽は小さいが、源泉がそのまま注ぎ込まれ、ぬるぬるして気持ちがよい。先客の地元の人と言葉を交わしたが、しきりに湯の良さをほめていた。気持ちよく朝風呂に浸かり、出てきて、盛岡市内の原敬記念館を目指した。
★繋温泉「盛岡市立つなぎ老人憩いの家」に入浴する<入浴料500円>
・原敬記念館から早坂高原へ 日本において初めての政党内閣つくった原敬は、平民宰相と呼ばれて活躍したが、1921(大正10)年に東京駅で暗殺された。その出身地が盛岡市で、旧宅の一部が残されていて、その事績を展示した記念館と共に見学できる。戦前の大正デモクラシー、政党政治などの知見を新たにし、次に、同じ市内の北部、四十四ダム近くにある岩手県立博物館へと向かった。しかし、日曜日だというのに、展示入れ替えのため休館中で、仕方がないのでそのまま国道455号線で岩泉町を目指すことにした。岩洞湖畔を経て、標高900mの早坂峠に達し、そこの早坂高原レストハウスで昼食休憩をとることにした。周辺は白樺林がすばらしく、高原のムードが漂っていて、牧場もあるようだ。ジンギスカン定食を注文して、腹を満たし、これからのコースを検討した。
食後は、順調に坂を下って、岩泉町中心街に達し、岩泉温泉の一軒宿「龍泉洞温泉ホテル」で一浴していくことにした。そこは、町中からすこしはずれた龍泉洞に向かう本田川沿いにあり、林間に結構立派な構えの3階建が建っていた。浴室は、結構広く、湯は無色澄明、無味、無臭でやわらかくて入りやすい。盛岡からの長途のドライブ疲れを癒した。
☆岩泉温泉「龍泉洞温泉ホテル」に入浴する。<入浴料500円>
・龍泉洞を見学 そこを出るとすぐに日本三大鍾乳洞の一つ、龍泉洞で、20数年ぶりの再訪となった。洞内には、紺碧の地底湖があり、日本一と言われる透明度で、底の方まで澄んでいる。なんともいえない、実に美しいエメラルドグリーンをした水を湛えているのだ。階段上から、眺めていると湖底に吸い込まれていきそうな感じさえする。しかし、自然の創りだす造形は見事なものだ、鍾乳石や石筍など何千年の時を経て、すばらしい空間を現出させているのだ。感動を胸にして、出てきてから、向かい側にある龍泉新洞科学館で、その成り立ちや洞窟生物、発掘された石器・土器などについて学んだが、ここも小さな鍾乳洞を利用した施設なのだ。
・安家洞へ入洞 再び、車を走らせると県道7号線を北に向かい、20㎞ほど先のもう一つの鍾乳洞、安家洞を目指した。このあたりは、かつて日本のチベットと呼ばれた交通隔絶の地で、20数年前に訪れた時は海岸線から未舗装の狭い道を延々と曲がりくねりながら車で走った記憶がある。その時よりも、格段に道路が整備されたようで、快適に車を走らせて、20分ほどで安家の集落に到着した。洞内にはいると、以前来たときより、施設が整えられ、ずいぶん奥の方まで入洞できるようになっていた。しかし、日曜日ながら龍泉洞の観光客の多さとは裏腹に、閑散としていてほとんど人がいない。人気のない巨大洞窟の中ほど不気味なものはない。昔のことだが、この洞窟に閉じこめられて、一晩を過ごした人がいると聞く、どんなに心細かっただろうか。たまに、人とすれ違うと、ああ、まだ人間世界にいるのだと不思議な気持ちが湧いてくる。水流もなく、みごとな鍾乳石や石筍・石柱などの造形は地底世界の幻影を見ているようにも思えるのだ。往復で1時間以上を経て、地上に出てきたときはなにかしらホッとしたような感じさえした。
・迂回して、いったん太平洋へ出る これから、今日の宿新山根温泉へ向かおうとして、後15㎞ほど北上すれば、到着してしまうことに気が付いた。それでは、あまりにも早すぎるので、迂回して、いったん太平洋に出て、海を見てから、再び山中に向かうことにした。安家川を下る道をとったが、細くて曲がりくねった山道が続く。途中は、過疎化の進む山村地帯といった感じで、廃屋も目に付いた。安家渓谷のあたりは、深い谷が刻まれていて、大小の岩石が、墨絵のような景観を造り出している。時々、車を停めては、カメラを構え、ファインダーでその絶景を切り取った。そうこうしているうちに、国道45号線へ出て、太平洋と平行して北上するようになった。十府ヶ浦のあたりで、小休止して、海の風景もカメラに収めた。野田村役場付近からは再び、県道29号線で山中へ向かったものの、白石峠付近の悪路に悩まされた。今までとは、レベルの違う、細くて曲がりくねった急勾配で、慎重に慎重にハンドルを回し続けていても、なかなか道が良くならない。途中で道を間違えたのではと不安に駆られながらも、車を進めていると、急に視界が開けてきて、山根の集落へとたどり着いた。 昔ながらの山村のたたずまいを彷彿とさせる地域で、長内川の支流を少し上ったところに、新山根温泉「べっぴんの湯」を発見した。木造平屋建の新しい建造物で、久慈市が山村の活性化を図るために建設した。正式には「久慈市交流促進センター」と言う。駐車場にも車がいっぱいで、館内もにぎわっていて、こんな山中にありながら、大した人気だと感心した。通された部屋は、きれいな和室で、すがすがしいく、荷物を置くと、すぐに大浴場へと向かった。浴室も新しくてきれいだが、何よりも特筆すべきは、その泉質で、強アルカリ性泉としては、全国で10指に入るpH10.5の単純硫黄泉で、湧かしているものの、その肌触りはぬるぬるして気持ちが良い。なるほどこれが「べっぴんの湯」と呼ばれる所以かと、妙に納得した。周辺の環境も良く、お肌がすべすべとなって、ほかほかとあたたまれれば、これは極楽だ。しかも、1泊2食付6,650円(込込)で、外来入浴なら400円というのもとてもリーズナブルだと思う。満足して、部屋に戻り、すぐに食堂での夕食となった。食卓には、岩魚の焼物、刺身、ほや、とうがん、おでん、なす焼き味噌掛けなどが並び、この値段の割にはまずまず、お酒を冷やで2合たのんで、飲みかつ食べた。後は、部屋に戻って、テレビを見たり、明日のコースを考えたりしながら寝てしまった。
☆新山根温泉「久慈市交流促進センター」泊<1泊2食付6,650円(込込)>
*2000年9月11日(月) 新山根温泉→久慈琥珀博物館→青森県へ ・朝、山村を散策して思う 翌日は、朝の散歩に出かけ、周辺の山里をのんびりと巡ってみた。集落内を流れる清流に沿って、茅葺き屋根の古い民家も見られ、村の鎮守の赤い鳥居も懐かしく、霧のたなびく自然の中に、何とも言い難い情緒を醸し出している。しかし、廃屋となった古家や耕作放棄された棚田も散見され、現在の山村の苦悩を見る思いがした。これからの山村はどうなっていくのだろうかと、いろいろ考えさせられながら、それらの光景をカメラに収めて、小一時間の散策を終えて戻ってきた。その後は、朝風呂に入って、さっぱりしてから、朝食を終えて、8時半頃には宿を出て、さらに北に向かって旅立っていった。
・久慈琥珀博物館を見学する 久慈市は、日本有数の琥珀産地と言われているので、まず久慈琥珀博物館に立ち寄ってみることにした。9時の開館直後に飛び込んだのだが、樹液に閉じこめられ琥珀となった太古の昆虫の姿は、実に興味深く、じっくりと見学させてもらった。展示室2階には、「人と琥珀」というテーマで、古代からの人と琥珀の関わりを示す歴史展示があった。また、琥珀の加工研磨をして装飾品に仕上げる加工工場や屋外には採掘坑道跡などもあって、琥珀についての認識を新たにした。見学後は、さらに北部陸中海岸に沿って、国道45号線を北上していき、青森県へと入っていった。 |
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