秘湯の旅日記(37)下北半島の7湯めぐり(青森県) |
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*2000年9月11日(月) 三沢浜通り温泉→六ヶ所温泉→湯野川温泉 ・種差海岸へ出る 岩手県の温泉巡りを終え、県境を越えて青森県へ入ってから、国道45号線を右へはずれ、種差海岸に出てみることにした。この波打ち際には、多数のうみねこが飛来してきていて、実にかっこうの撮影ポイントとなっていた。しばらくは、カメラをかかえて、うみねこを追い回し、飛び立つところや飛行中をねらって連続してシャッターを切った。またたくまに、フィルム2本分ほどをそこで費やし、一息入れてから、さらに北に向かって車を走らせていった。次に、葦毛崎展望台に立ち寄ってから、うみねこの営巣地として有名な蕪島へと至った。 ・蕪嶋神社へ立ち寄る 駐車場に車を入れ、長い階段を上って、蕪嶋神社に参拝したが、この裏手が、うみねこの営巣地のはずだった。毎年2月から7月にかけて3万~4万羽ちかくのうみねこが繁殖のために集まるとのことだったのだが....。しかし、うみねこは全くいない、もう産卵を終えて南方へと旅立ってしまった後だったのだ。残念ではあったが、しかたがない、気を取り直して、再び車で北上を開始し、三沢方面へと向かった。 20㎞ほど走って、浜通り沿いにある「天然温泉三陸」を発見したので入浴していくことにした。ドライブイン付属の銭湯といった感じの施設だが、入浴料 250円と安く、源泉45.5℃のナトリウム-塩化物泉(食塩泉)で、源泉掛け流しといった感じでなかなかのお湯だった。
★三沢浜通り温泉「天然温泉三陸」に入浴する。<入浴料 250円>
・斗南藩記念観光村へ 汗を流し、一息ついた後に、詩や演劇、小説など様々な分野で活躍した寺山修司記念館が三沢市内にあると聞いていたので向かってみることにした。それは、小川原湖を見下ろす高台の自然の中に建てられていたが、月曜日は休館とのことで入口でUターンせざるを得なかった。この周辺は、江戸時代には原野のようになっていた不毛の地で、戊辰戦争に敗れた会津藩の武士達が斗南藩3万石に大幅減封されて、移ってきたところだ。しかし、北方の原野の開墾は熾烈を極め、志半ばに倒れる人々が続いたと聞く。その中で、旧藩士の廣澤安任等は廃藩置県後もこの地に止まり、近代的な牧場を築き上げた。その跡地は、斗南藩記念観光村として生まれ変わり、先人記念館やポニー牧場、芝生広場などがあって市民に親しまれているとのこと。以前から、興味があったので立ち寄ってみることにしたが、ここも、月曜日のこととて、肝心の先人記念館は閉館していた。仕方がないので、園内を少し散策して、さらに北に向かって車を進めることにした。 ・六ヶ所原燃PRセンターを見学 この北にあり、下北半島の付け根にあたる六ヶ所村は、近年、原子燃料サイクル施設(ウラン濃縮工場、再処理工場など)が建設中で、いろいろな面で全国から注目されている。そこでは、あまたある湖沼周辺の自然を削り取って、様々な建造物が建てられつつあった。その開発地を見下ろせる尾駮沼の小高い丘の上に、六ヶ所原燃PRセンターの建物が目立っていたので、見学していくことにした。受付で案内を乞うと、きれいな案内嬢が親切に対応してくれて、館内を巡ることが出来たが、原子燃料サイクル施設の必要性、安全性には疑問を感じざるを得なかった。 そこを出て少し県道を走った脇にポツンと建っているのが、六ヶ所温泉だ。建物の壁には大きく“日本一深い温泉”と書かれ、裏側には掘削時に使用された大きな櫓が残されていて、目を引く。中に入ると、一階部分は公衆浴場のような感じだが、そこに貼られている温泉掘削成功時の記念手拭いに“2,714m”と大きく書かれているのが印象的だ。大きく温泉分析表が掲げられているが、鉄を含む強食塩泉で、溶存物質総量30,430㎎/㎏、源泉温度92℃とみごとな数値が並んでいる。さっそく入浴してみると、浴槽周辺は茶褐色に変色し、湯は薄茶色でつるつるしているが、濃厚な感じがする。なめてみるとかなり塩辛く、効き目がありそうだ。こういう成分の温泉は、入浴後いつまでもぽかぽかとして湯冷めしにくいと言われている。男女別の露天風呂も併設されているが、総ヒバ造りの浴槽で、肌触りも心地よいのだ。脇には、掘削時の櫓がそびえ、荒涼とした原っぱから遠景が見晴らせる。のんびり浸かって、時々ヒバの木肌を感じながら寝そべってみるのも良いのではないかと思った。
★六ヶ所温泉に入浴する。<入浴料 350円>
・下北半島を走る 六ヶ所温泉で、あまりにも時間を費やしすぎて、今日の宿への到着時間が心配になってきたので、後はどこにも立ち寄らず先を急ぐことにした。とりあえず、陸奥湾に沿って走る国道279号線に出て、北に向かった。むつ市街からは、国道338号線に乗り換えて、ひたすらに西へ向かって、車を走らせていった。川内町に入って、右折し今度は、かもしかラインと呼ばれる県道を北上し、下北半島の中心の方に入り込んでいって、ようやく湯野川温泉にたどり着いた。 ここは、水上勉著の小説『飢餓海峡』に描かれた温泉地で、山中の鄙びた湯治場というイメージでいたが、結構道路も整備されて、地形的には開けた感じのする所だった。しかし、僻村で、この集落の戸数は約47戸、温泉地にはホテル1軒と旅館2軒があるだけである。温泉は300年ほど前、川内町泉竜寺の開祖大英門突が発見、静かな“山の湯”として続いてきたという。1964年(昭和39)には、「飢餓海峡」の映画撮影が行われ、当時、松、竹、梅と3つの共同湯があったが、現在残っているのは1つだけとのこと。それに代えて町では1979年(昭和54)に温泉休憩所「濃々園(じょうじょうえん)」を建設したという。 ・湯野川温泉「寺島旅館」へ入る そんな温泉地の旅館の一つ「寺島旅館」が本日の宿泊場所であった。想像以上に新しい木造の2階建で、部屋もきれいにしてあった。荷物を置くとさっそく、浴場へと向かったが、すでに先客が何人か入浴していた。話を聞いていると、周辺の道路工事に来ている人々で、その宿舎にもなっているようだ。お湯は、やわらかくて澄明で、入りやすい。のんびりと湯に浸かって、長距離ドライブの疲れを癒した。湯から上がって、ほどなくして夕食となったが、海の幸、山の幸が膳をにぎわした。特に、にしんの味噌焼きとホタテ貝のバター焼きが絶品で、お酒を2合ほど冷やで頼んで、飲みかつ食べて大いに満足した。後は、部屋に戻ってテレビを見たり、明日のコースを考えたりしている内に寝てしまった。
☆湯野川温泉「寺島旅館」に泊まる。<1泊2食付 8,600円(込込)>
*2000年9月12日(火) 湯野川温泉→大間温泉→下風呂温泉→奥薬研温泉→恐山→浅虫温泉へ ・朝、周辺を散策する 翌朝は、早めに起き出して、朝の散歩へと出かけた。小説『飢餓海峡』には、「卵形の大小の石が檜皮の傾斜に無数に敷きならべてある。その屋根は、ひしゃげたようにかたむいている。くさりかけた箱のような湯煙の出口が、ぽつんと離れて二つとりつけてある。そこから白い湯気が棒のように出ていた。平家の浴室は揚野川村が経営する共同風呂である。粗末な松板を釘で打ちつけただけの建物だ。中へ入ると、広い湯船があり、澄んだ湯があふれていた。誰も人影はなかった。」と描写されているが、その共同浴場はもう取り壊されて、建物はなく、浴槽の後だけが残されていた。周辺の家々は、僻村のたたずまいを思わせる家並みが続いているが、ものの5分もしない内に、集落を通りすぎてしまう。その途中に、一つだけ残った共同浴場を見つけたが、鍵がかかっていて、中に入ることは出来なかった。住民専用になっているようだ。外来客用には「濃々園」という日帰り入浴施設があるのだが、この時間には開いていなかった。30分ほどで戻ってきて、朝風呂を浴び、朝食を済ませて、出立の準備を整えた。
湯野川温泉を8時半前にたって、佐井を通り、本州最北端の大間崎へと向かった。ここには、本州最北端に位置する大間温泉があり、「海峡保養センター」で日帰り入浴できると聞いていた。9時の開場直後に受付を済ませて、浴室へと向かったが、小さめの体育館といった感じで、岩風呂が4つあり、小川も流れている。奥には滑り台が設置され、その脇にはパンダやクマ、トラが置かれていて、まるで、子供用のプールといった趣もある。変わった印象なのだが、湯はしっかりしていて、なめるとしょっぱい食塩泉で、小さめの源泉浴槽はやや茶褐色で熱いが、ろ過して透明で、適温な大浴槽もある。保温力もあり、上がってからも体がポカポカとしていた。
★大間温泉「海峡保養センター」に入浴する。<入浴料370円>
浴後は、国道279号線沿いに走らせ、途中で大間埼灯台を遠景に津軽海峡の写真を撮ったりしながら、午前10時過ぎに下風呂温泉に至った。左手には、津軽海峡が広がり、今日は北海道も望める。温泉街は国道から一本山側に入った旧道沿いに並んでいる。その、細長い町並みの、大畑寄りに、下風呂温泉のバス停があり、その前が「カクチョウ長谷旅館」だ。屋号が記号のように長の字が四角で囲まれ、続いて長谷旅館と書かれている。創業は明治4年(1871)とのことで、表は改装されているが、玄関を入ると木造3階建の古いたたずまいで、昭和33年(1958)3月、井上靖が、逗留して小説「海峡」を書いた当時のままだ。女将に案内を乞うと、400円で入浴のみも可能とのことなので、さっそく入れさせてもらうことにした。井上靖が宿泊した部屋はどこだったかを訪ねてみると、2階の参号室とのことで、快く見学させてもらうことができた。当時の調度のままにしてあり、窓からは津軽海峡が望める。ただし、昔は、窓下に国道は走ってなく、護岸工事も施されていなかったので、そのまま海に連なっていたとのことだが...。それでも、当時の雰囲気がよく伝わってきて、井上靖は、どんな感じで机に向かっていたのだろうか、どうやって海峡を眺めていたのだろうかと想像をたくましくしてみた。その後、階下の浴槽に浸かったのだが、硫黄の臭いが立ちこめ、濁った熱めのお湯がとうとうと注ぎ込まれ、硫黄分が堆積していた。躯の内部から硫黄泉が滲み込んでくるそんな感じが実体験できた。湯に入りながら、小説の場面を思い浮かべ、追想してみるのも面白いものだ。しかし、ほんとうに熱い湯で、長くは浸かっていられなかったが...。小説の執筆当時の状況を感じさせてくれる旅館は、そう多くはない。そういう意味で、とても貴重な体験をしたと、女将に感謝して、下風呂温泉を後にして、奥薬研温泉へと向かった。
★下風呂温泉「カクチョウ長谷旅館」に入浴する。<入浴料400円>
再び、津軽海峡を左手に見ながら、国道279号線を大畑へと向かって走らせていく。大畑川にぶつかる手前から、右に逸れて、下北半島の奥へ奥へと進んでいった。山は段々と深くなり、ヒバの原生林に包まれるようになって薬研温泉へと到着した。ここは、漢方薬を製造するときに使う道具の“薬研(やげん)”に、お湯の湧き出し口が似ているというところから命名されたと聞く。私は、この温泉街を通り過ぎ、さらに2㎞ほど奥にある奥薬研温泉「かっぱの湯」を目指して進む。大畑川は、みごとな渓谷美を見せ始め、うぐい滝、大滝などの滝もあり、紅葉の頃は素晴らしいとのことだが、まだ時期が早いようだ。奥薬研温泉には以前、一軒宿の「薬研観光ホテル」があったのだが、今は廃業し、跡に残された露天風呂に入ることが出来るとのこと。現地には、ホテル跡とみられる広い駐車場があり、川岸への降り口に案内板があって、「かっぱの湯」と命名された由来が書いてあった。なんでも、「恐山(おそれざん)開山の祖である慈覚大師円仁が霊山を探してこの地方を訪ね歩くうちに奥薬研にたどり着いたが、道に迷い、崖から落ちて怪我をした。とても困っていると、大きなフキの葉をかぶった一匹の河童が現れて大師を介抱したとのこと。体をフキの葉に包まれてこの地の温泉に入れられたので、すっかり元通りになったことから、“かっぱの湯”と呼ばれるようになった。」とか。そこは、大畑川と湯ノ又川の合流点にあたる位置にあり、階段を下りていくと、着替え用の小さな小屋と渓流の岸に大きな岩造りの混浴露天風呂があって、かわいいかっぱの像がある。周辺はうっそうとした緑に包まれ、開放的で景観はすばらしいのだが、浴槽の底に緑色をした藻が一面にあって滑るので要注意。また、ところどころに段差があり、湯温に差があって、熱いところもあるようなので気を付けた方が...。しかし、実にすばらしいロケーションで、渓流の流れを見つめながら、自然に包まれているのは、なんとも言い難いものがある。のんびりと湯に浸かって、その醍醐味を堪能した。混浴になじめない人には、ちょっと奥に男女別の露天風呂「夫婦かっぱの湯」もある。
★奥薬研温泉「かっぱの湯」に入浴する。<入浴料 無料>
・恐山を巡る 湯から上がって、今度は、恐山目指して車を走らせることにした。薬研温泉まで戻り、来た道とは分かれて、右折して山奥にどんどん入っていく、道は曲がりくねり、見通しの悪い急カーブが連続するようになってきた。慎重にハンドルを回しながら、いいかげん疲れてきた頃に、下方にカルデラ湖である宇曽利山湖が見えてきた。すり鉢の底のようになった荒涼とした地形の湖畔に、恐山はあって、霊山としての偉容を現していた。ここは本州北端の霊場として有名で、高野山、比叡山と並んで日本3大霊場の一つとされている。駐車場に車を入れ、入山料500円也を払って、境内へと入っていったが、あちこちから硫黄が吹き出し、草木の生えない異様な光景を現出していた。真っ直ぐ歩いて、豪壮な山門をくぐり、地蔵堂で本尊に参拝してから、地獄を巡ることにした。無限地獄、血の池地獄、賽の河原など亜硫酸ガスによって白くただれた岩場に、もの悲しい雰囲気で、石地蔵が立っている。水子供養の名残か、風車が回っているのが不気味だ。湖畔の極楽浜には、硫黄が流れて黄色くなったところも見られ、烏が一羽、二羽と舞っている。そんな、散策を小一時間で終えてから、境内にある温泉共同浴場に入ることにした。
小さな湯小屋が4ヶ所あって、中央の参道の左手に男性用の「古滝の湯」と女性用の「冷抜の湯」があり、右手に住職専用の「薬師の湯」、そしてその奥に混浴の「花染の湯」があって、入山料を払って境内に入れば、無料で利用できる。私は、最も評判の高い「花染の湯」へ入ることにした。草木1本も生えていない、地獄現象の荒涼として開けた場所に、ぽつんと粗末な木の小屋が建っていて、そこがその湯だった。中にはいると硫黄の臭いが鼻につく、入浴すると酸性が強くピリッとし、なめると酸っぱく、湯船の底にうっすら湯花が溜まっている。しかし、適温なので、とても気持ちよく入っていることができ、地獄で極楽という気分になれるのだ。なんとも言えない良い気分になって、長く浸かっていたかったのだが、今日はもう5湯目でいささか入りすぎ、その上、後に長い旅程を残していたので、ほどよいところで切り上げることにした。
★恐山温泉「花染の湯」に入浴する。<入山料 500円のみ>
・野辺地町から夏泊半島へ 境内を出て、駐車場前の食堂でおそい昼食をすませ、田名部の方へと車で下っていった。国道279号線に出てからは、一路南下して、野辺地町へと至り、町立歴史民俗資料館を見学した。その後は、戊辰戦争の際に盛岡藩と弘前藩が戦った、野辺地戦争戦死者の墓所 を経て、国道4号線を北上し、途中から夏泊半島を一周してみることにした。先端にある椿神社に立ち寄り、夏泊崎で小休止してから、今日の宿泊場所である太宰治ゆかりの浅虫温泉へと至った。 |
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