<岬と灯台写真館>
鎧崎と鎧埼灯台(三重県)
2005年12月31日午前に鎧崎(三重県)で撮った写真です。
帰省途中に、伊勢志摩に立ち寄り、鳥羽から菅島に渡って菅島灯台を巡りました。さらに神島へと至って、神島灯台などを見て島一周し、小説「潮騒」のゆかりの地を巡って、島に泊ったのです。翌朝、市営定期船で鳥羽へ戻り、駐車場から車を出して、パールロードの方へと走っていきました。結局、パールロードは通らず、旧道の方を進んだのですが、海岸沿いの曲がりくねった細い道で、走りにくかったものの、なんとか石鏡まで至りました。そこで、石鏡灯台を探したんだけど、なかなかみつかりません。漁港で人に聞き、やっとたどり着いたら、ホテル「いじか荘」の脇に隠れたように建っていました。高台にあって、海の眺望はいいのですが、なにしろ風が強く。カメラを構えても、風圧でブレてしまうような状態なのです。それでもなんとか、数カットを収めて、次へと向かいました。一端パールロードーへ出てから南下し、少し走ってから、また脇道に逸れて、国崎の集落の方へと下りていきました。目指すは鎧埼灯台なのですが、これも道を間違えて、人に何度も聞いてやっと岬の端へとたどり着きました。高台に白亜の灯台が立っていて、海岸線の眺めがすこぶる良いのです。しかし、風が強くて、岩の上へ立っての撮影は容易ではありません。それでも、なんとかカメラに写し込んで、さらに南下していきました。
☆鎧埼灯台 | 地図 |
鎧埼灯台 (2005年12月31日撮影) |
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<特徴> <歴史> <現況> |
鎧埼灯台のプレート | 鎧埼灯台の塔頂部 |
北方向の眺望 | 南方向の眺望 |
東方向の眺望 | 鎧崎周辺の岩礁 |
鎧崎周辺からの眺望はすこぶる良く、前方に太平洋を望み、左右には出入りの激しいリアス式海岸が続いています。岩礁が発達し、風光明媚であると共に、海女や釣り人の漁場としても有名なところです。
「海上安全」の碑 |
鎧埼灯台の脇には、海に向かって、船頭唄の文句「伊勢の神崎 国崎の鎧 波切大王なけりゃよい」と刻まれた「海上安全」の碑が建てられています。この付近は、海上交通の難所でその安全を願って建てられたものです。
「倭姫命御巡行舊跡」の碑 | 伊勢神宮調進所 |
鎧崎はその昔、倭姫命が「天照大神」鎮座の地を求めて国崎に立ち寄った際に、この地で鎧をはずしたことから「鎧崎」と命名されたと伝えられています。その時、海女が潜って貝を捕っているのを見られ、「その貝は何というのか」とお聞きになり、その海女(お弁)が「これは鮑(あわび)と申します。大層おいしい貝です。」と申し上げると、ご賞味されたとのことです。倭姫命はいたく感動し、「毎年伊勢神宮に献納してほしい。」と言われました。また、お弁が「生のままでは腐るので薄く切り乾燥させて貯蔵します。」と申し上げると、それも献納するように言われたとのことです。これが熨斗鰒(鮑)(のしあわび)の起源で、以来、国崎の漁師たちは、今でも6月、10月、12月の3回、熨斗鮑の伊勢神宮への献納を続けています。その製作が行われるのが、鎧埼灯台の後方にある伊勢神宮調進所なのです。その脇に、「倭姫命御巡行舊跡」の碑も立てられています。
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