本文へスキップ

「旅のホームページ」は、いろいろな国内旅行を専門とするホームページです。

古(いにしえ)を訪ねる旅
 町並みめぐりのススメ
黒石市中町のこみせ通り(青森県黒石市) 倉敷の美観地区(岡山県倉敷市)

☆町並みの思い出

 旅先で歩いた町並みの中で、いつまでも心に残っているものがありませんか。城下町の落ちついたたたずまいだったり、門前町のにぎわいだったり、港町の喧騒だったり、人それぞれの思い出があるのではないでしょうか。そういう町並みのなかには営々といとなまれてきた歴史というか、人々のいぶきを感じるものです。街かどでみつけた、石碑の一つに歴史上の事件を見いだしてハッとしたり、たまたま訪れた古寺のふるぼけた仏像のなかに歴史の流れをうかがい知るといった具合です。あなたが発見したものは何だったのでしょうか....。


☆伝統的建造物群保存地区を知っていますか?

 近年、どの地方に行っても同じようなビルや家屋が立ち並び、いわゆる現代的な町並みに変貌しつつあります。確かにその方が利用しやすく、合理的なのかも知れません、しかし、その地方独特な伝統的町並みが消えて、どこも同じようになってしまうのは、とても残念な気がします。そのような中で、国が「文化財保護法」に基づいて選定する“ 重要伝統的建造物群保存地区 ”というのがあります。周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の特に高いものを選定して、建物だけでなく地域として保存しようというものです。現在、北海道から沖縄に至る、全国46ケ所が選定されています。飛騨高山の三の町、神戸市の山手の洋風建築群、倉敷市の倉敷川沿いの美観地区など有名な場所もありますので、旅先で立ち寄る所に加えてみてはいかがでしょうか。

重要伝統的建造物群保存地区一覧へ

☆私の好きな町並み12題

 私は、日本中を旅したなかで色々な町を歩き回りました、その中から特に印象に残った町並みを12ヶ所を北から順に紹介します。

(1) 角館<秋田県仙北市>

 東北地方の北部にあり、みちのくの小京都と呼ばれるところです。江戸時代に秋田藩の支藩がおかれたところで、武家屋敷が残り、城下町の風情が色濃く残っていて、1976年(昭和51)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。武家屋敷通り沿いには、古い武家屋敷が並び、黒板塀や茅葺き屋根などに情緒があり、石黒家(市指定史跡)、青柳家(県指定史跡)、松本家(県指定有形文化財)、岩橋家(県指定史跡)、河原田家(市指定史跡)、小田野家(市指定史跡)などが並んでいます。春には、古木のしだれ桜が満開となり、すばらしい桜のトンネルが出現し、とても情緒があるのです。

 
角館の武家屋敷「松本家」 角館の武家屋敷


(2) 佐原<千葉県香取市>

 千葉県香取市にある佐原は、水運を利用して栄えた商家町で、小野川沿いには、古い町並みがよく残され、1996年(平成8)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。小野川沿いや香取街道沿いにには、伊能忠敬旧宅(寛政5年(1793)建築・国指定史跡)のほか、県指定文化財も8件(13棟)が軒をつらねていて、散策するのにもうってつけです。ここで生まれた伊能忠敬は、江戸時代後期に、50歳から学問に志し、測量学を学んで、日本全国の沿岸を実測し、「大日本沿海與地全図」を作成しました。小野川沿いには、旧居が残され、その近くに、「伊能忠敬記念館」もあって、その偉大な足跡をたどれます。

伊能忠敬記念館 佐原の町並み


(3) 川越<埼玉県川越市>

 埼玉県中南部にあり、江戸時代は、江戸城の北方の守りの要として、川越城があって、歴代の城主は譜代の重臣が配されていました。江戸との間には、川越街道や新河岸川の舟運が通っていて、市が開かれ、商業も発達して、城下町も発達し、“小江戸”とも称されていたのです。しかし、1893年(明治26)の大火によって、大打撃を受けたものの、火災に強い蔵造によって復興し、今日の蔵造の町並みを形成することになります。現在でも、30数棟の蔵造りの商家が軒を連ねていて、1992年(平成4)に電柱・電線の地中埋設工事が完了し、1999年(平成11)に、重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。また、2007年(平成19)には「美しい日本の歴史的風土100選」にも選定されています。町並みの中心にある一番街には、大沢家住宅(国の重要文化財)、時の鐘、「蔵造り資料館」、「山崎美術館」、「服部民俗資料館」、「蘭山記念美術館」、「松下紀久雄むかし絵美術館」、「川越まつり会館」などがあって、巡ってみるとレトロな気分になれると共に、蔵造りについて学ぶこともできます。また、周辺には江戸時代前期の文化財が豊富な「喜多院」、江戸時代後期の川越城本丸御殿も残り、「川越市立博物館」や「川越市立美術館」、菓子屋横丁などもあって、町並み散策が楽しくできるところです。

川越のシンボル時の鐘 蔵造の大澤家住宅


(4) 宿根木<新潟県佐渡市>

 佐渡島一周の旅に出て、その途中昔ながらの街並みが残る宿根木に立ち寄っていくことにしたのです。まず、9時の開館とほぼ同時に「佐渡国小木民俗博物館」へ入ってみました。ここは、廃校になった木造校舎を利用したもので、とても懐かしい感じのする建物です。それに併設して、千石船展示館があったので、まずそちらから見学しましたが、1858年(安政5)に宿根木で建造された「幸栄丸」を実物大に復元し、「白山丸」として展示してあって、とても興味深かったのです。この宿根木は、日本海航路の千石船寄港地となっており、江戸時代から明治時代までたいへん栄えたことを知りました。民俗資料館の方は、3万点余りの民俗資料が所狭しと展示されていて、興味を引かれるような面白い物も数多くあり、新館も含めて、予想外に時間を取られてしまいました。見学後は、長い階段を下って、町並み保存地区へも足を踏み入れてみましたが、まるで時間が止まったようなレトロな建物空間があって、驚きました。その中で、公開されている「清九郎」「金子屋」では内部も見学しましたが、往時の繁栄を伺わせる立派な建物に感心したのです。しかし、町並み散策も含めて、かなり時間を費やしてしまったので、次の目的地へと急ぐことになりました。尚、この地域は、1991年(平成3)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

宿根木の町並み(新潟県佐渡市)


(5) 赤沢<山梨県南巨摩郡早川町>

 山梨県南巨摩郡早川町の赤沢は、身延往還の宿場町として栄えたところで、山の急斜面にへばりつくように民家が並び、長い石畳の道がつづら折りになっています。江戸時代から続く宿場と山村の雰囲気がよく残されているので、1993年(平成5)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。かつては、身延山、七面山登山の講中宿としてにぎわい、その旅籠「江戸屋」が、まだ1軒だけ営業していて泊まることもできます。ここを歩くと気分は参拝に向かう江戸時代の旅人となることができます。

赤沢の町並み 現在でも泊まれる旅籠の「江戸屋」


(6) 伊根の船小屋集落<京都府与謝郡伊根町>

 まず、丘の上にある眺望の良い道の駅から、伊根湾全体を俯瞰してみました。湾に向かって、独特の船小屋を備えた民家がびっしりと並んでいて、特異な景観を作り出し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。海は、ライトブルーに輝き、とてもすばらしい眺めです。こういう自然の中に息づいている人々の暮らしをいつまでも続けて欲しいものだと思いながら、空腹を感じてきて、そこにある郷土料理店で、魚料理をいただくことにしました。けっこう新鮮な魚が出てきて、満足の昼食となりました。腹を満たしてからは、丘を下りて、漁港の街並みを巡り、観光船乗り場まで行ってみましたが、待合室には誰もいないのです。でも、とてもきれいな海なので、船で巡ってみたく思い、係員に聞くと他にも客が来れば船を出すとのことで出航までしばし待つことにしました。はたして、ワンボックスカーで6人ほどが乗り付けてきて、船出となりました。すぐに、かもめが餌をねらって集まってきて、客の投げるパン切れを見事に空中キャッチしています。その様子がとてもほほえましく、何枚かカメラに収めました。船は湾内を周航し、海上から船小屋集落を見させてくれます。それが、澄んだ海とマッチしてなんとも言えないような光景を作り出していて、しばらくそれを眺めいっていました。そういえば、「男はつらいよ」シリーズの映画の中でここを舞台に虎さんが活躍したのがありました。あれは、どのへんで撮ったのだろうか、などと考えている内に船は桟橋に戻りかけていました。短時間でしたが、とてもすばらしい遊覧で、旅のアクセントとなりました。下りてからは、車で、集落を巡ってみることにしましたが、その途中で、「男はつらいよ」のロケ地を発見しました。船小屋民家が民宿として営業しているところで、とても風情があります。こういうところに泊まってみるのもいいかなと思ってしまいました。しかし、こういう漁村は家が建て込んでいて、道も細く曲がりくねっていて、車で巡るのは適していないのです。一通り街並みを眺めて、伊根の集落を後にすることとしました。

伊根の町並み 伊根の船小屋


(7) 吹屋<岡山県高梁市>

 岡山県高梁市にあり、江戸時代前期から銅山の町として栄え、特に江戸時代後期からはベンガラの生産で栄えたところです。ベンガラとは酸化第二鉄のことで木造建築の赤色顔料として使います。ベンガラ商人たちは、大きな富を蓄え、吹屋往来沿道には、ベンガラ窯元の商家が連なる独特の町並みが出来たのです。ベンガラの混じった赤い壁の商家が続く町並みは独特の景観を作りだしていて、とても貴重なので、1977年(昭和52)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。町並みの中にある旧片山家住宅、郷土館、旧吹屋小学校は公開されていて見学もできるので、それらを見ながら町並みをのんびりと散策するのがお勧めです。また、少し離れていますが、広兼邸、笹畝坑道、ベンガラ館なども巡ってみると一層良いと思います。

吹屋の町並み


(8) 津和野<島根県鹿足郡津和野町>

 津和野の町へと入ってきて、有料駐車場に車を入れ、徒歩で散策することにして、まず、「民俗資料館」へと向かいました。ここは、津和野藩の藩校「養老館」の跡で、長屋門の前の水路にいろとりどりの鯉が泳いでいることで知られています。今日も観光客が鯉の前に群れていましたが、けっこう若い女性の姿が目立つのは、小京都の一つとして人気があり、重要伝統的建造物群保存地区にも指定されているからなのでしょう。この、藩校からは小藩ながら多くの有能な人材が輩出しています。その中でも、有名なのは森鴎外と西周で、町内には旧居や記念館があります。ここでも、キリシタン弾圧の乙女峠などのいくつかの興味ある情報を仕入れて、次に近くにある「町立郷土館」まで、歩いていきました。ここも、古い建物ですが、結構豊富な展示がしてあって、新たな知識を得ました。あの坂崎出羽守と津和野との関係、戊辰戦争における津和野藩の役割など興味深いものがあり、しばらく見学していました。その後、車に戻って、今度は森鴎外と西周の旧宅のあるところまで移動しました。少し離れた駐車場に入れて、後は徒歩で巡ることにし、まず森鴎外旧宅へと向かいました。江戸時代は堀端の武家屋敷であったとのことですが、今では、堀も埋め立てられ、住宅街の中にぽつんと残されているといった感じがします。木造平屋建ての簡素な建物で、その裏に立派な「森鴎外記念館」が建てられていました。旧宅をぐるっと巡ってから、記念館を見学しましたが、その生涯を概観することができて、理解が広がりました。次に、西周の旧宅の方へ足を向けましたが、現在、修復工事中とのことで、建物全体に覆いがかけられ中に入ることができなかったのが心残りでした。もう少し、いろいろな所を回りたかったのですが、今日の旅程は長く、結構走らなければならないので、早々に町を離れました。

津和野の鯉が泳ぐ水路 森鴎外旧宅


(9) 笠島<香川県丸亀市>

 香川県丸亀市塩飽本島町にある笠島は、以前は塩飽水軍、塩飽廻船の根拠地としてもっとも栄えた港町でした。今でも、その町並みが良く残されているので、1985年(昭和60)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。町並みは、江戸時代の建物が13棟、明治時代の建物が20棟ほど残っています。廻船問屋など豪商の屋敷や町屋などから成り、正面を格子構えとし、2階に虫籠窓を開けた町屋形式の家が密集して建っているのです。その内、3軒の屋敷が一般に公開され見学することができ、とても静かなところなのでゆっくりと散策して回れます。少し離れて、史跡塩飽勤番所があります。

笠島の町並み


(10) 内子<愛媛県喜多郡内子町>

 古い町並みの残る内子で、重要伝統的建造物群保存地区を散策することにしました。まず、「上芳我邸」を見学しましたが、かつては代々木蝋を生産していた家で、はぜの実から木蝋を生産する過程を興味深く学びました。それから、「商いとくらし博物館」へ行きましたが、江戸時代後期から明治時代の商家をそのまま利用し、1921年(大正10)年頃の商家(薬屋)の暮らしを人形と当時の道具類を使って再現しており、とても面白く見て回りました。併せて、内子町の歴史や民俗、郷土の生んだ人物について、模型、映像などを用いて説明していて勉強になりました。続いて「内子座」を巡りましたが、昔ながらの芝居小屋が現存し、今でも時々公演が行われているとのことで、とても興味深かったのです。この町並みは、見所も多く、レトロな雰囲気に浸りながら、2時間以上かかって散策を終えました。

商いとくらし博物館 内子座


(11) 豆田町<大分県日田市>

 花月川沿いの商家町で、江戸時代前期の1639年(寛永16)に、幕府の直轄地になって、日田代官所が置かれ、御用達商人が集中していたのがここでした。 今でも、江戸時代前期から昭和前期の商家や土蔵が多く残り、古い町並みが残されていて、とても貴重なので、2004年(平成16)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。南北2本の通りと東西5本の通りによる整然とした町割を残し、各時代で特色ある多様な建築様式は、変化に富んだ町並を形成し、伝統的建築物166件、伝統的工作物84件があり、“九州の小京都”とも言われています。その中でも、草野家住宅(国指定重要文化財)、長福寺本堂(国指定重要文化財)、岩尾家住宅(登録有形文化財)、廣瀬淡窓旧宅、「天領日田資料館」、「豆田まちづくり歴史交流館」などの古い家々を巡ってみるととてもレトロな気分になれました。また、少し離れますが、廣瀬淡窓が江戸時代後期に開いた私塾「咸宜園」(国指定史跡)に立ち寄ってみるのも良いかと思います。

豆田町の町並み


(12) 竹富島<沖縄県八重山郡竹富町>

 沖縄県八重山郡竹富町にある竹富島は、日本の最南端に近い、隆起珊瑚礁の小島です。島の中央部に集落がかたまってあり、石灰岩の石垣でほぼ四角に囲われた中に、寄棟造の平屋建てで、独特の赤瓦をのせた民家があります。島の農村集落の古い町並みがよく残されているので、1987年(昭和62)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。島内は水牛車に乗ってゆっくりと散策できます。海はどこまでも澄んでいて、とてもすばらしいのです。

竹富島の農村集落 竹富島の民家
旅のブログ   100選・50選   ガウスの歴史を巡るブログ
このページの先頭へ
古(いにしえ)を訪ねる旅へ
プロフィール
新着情報
ホームページへ戻る

*ご意見、ご要望のある方は右記までメールを下さい。よろしくね! gauss@js3.so-net.ne.jp