<文学に描かれた離島訪問記> | |||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
☆離島の文学紀行 古来から、離島は隔絶したところとして、独特の文化や習慣が息づいてきました。それは、現在でも残されている所も多く、そういうところを旅すると、妙に感慨深いものを得たりするのです。 |
|||||||||||||||||||||||
◇1996年12月22日(日)に訪問する。 前日朝に伊豆半島の伊東港よりカトレア丸に乗り、約1時間20分で大島元町港に到着しました。そこから三原山山頂行きのバスに乗り、三原山を2時間ほど散策し、火口原から噴火口までのんびりと見学したのです。その後、元町バスターミナルへと戻り、「伊豆大島火山博物館」を見学してから、その日の宿である民宿「桜田」へ入りました。すぐに風呂で汗を流し、18時から美味しく夕食を頂き、日本酒も2合ほど飲んで、テレビを見ながら寝てしまったのです。 朝食後、近くで軽自動車のレンタカーを借り、島の南端へ向かって西海岸を走りました。風が強かったのですが、所々道の両側に椿が垣根を作り、赤い花がちらほらと見え、伊豆大島ながらの風景が見られます。約30分で島の南端にある波浮港へ到着しました。この港は、旧火口湖が海とつながってできた天然の良港であり、かつては伊豆諸島の廻船や東西の廻船にとって航海の安全と多くの利便性を与える場所として多くの船で賑わったそうです。しかし、今は昔ながらの佇まいが残されて、ひっそりとしていました。 ここが、伊豆の踊子たち旅芸人一座の出身地で、小説『伊豆の踊子』の中でも上記のように描かれています。今でも伊豆の踊子「薫」のモデルになった女性が、踊っていたという旧港屋旅館が資料館として残されていました。館内には、その当時の様子を再現した人形や関係資料が展示してあり、周辺は「踊子の里」として整備されています。古い街並みを静かに散策しながら、小説『伊豆の踊子』への思いを馳せてから、再び、レンタカーに乗りましたが、東海岸の道路が通行不能とのことだったので、来た道を元町の方へと戻っていきました。
◇2016年11月6日(日)に訪問する。 20年ぶりで、再び伊豆大島へ行ってみることにしました。前日の朝8時50分に東京の竹芝桟橋をジェット船で出港し、10時35分に大島岡田港へ到着、24時間レンタカーを借りて島めぐりを始めました。まず「伊豆大島火山博物館」を見学してから、三原山へと上り、火口原から噴火口まで徒歩で往復してから、今日の宿である民宿「椿山」へと至りました。宿へ荷物を置いてから、公共の露天風呂「浜の湯」へ入浴に行き、帰ってきて海の幸と明日葉のてんぷらなどが並ぶ夕食を堪能して、早めに床に就きました。 朝周辺を散策して、朝食を取り、レンタカーで島一周へ出立しました。元町から西海岸を南へ向かいましたが、途中に褶曲のすばらしい地層の露頭があったので立ち寄って、カメラに収めたのです。さらに南下し、大島町貝の博物館「ばれ・らめーる」に立ち寄ってから、再び波浮港へと至りました。天気も良く、高台から港全体を俯瞰した後、文学の散歩道を歩いてみました。ここは、多くの文学者が訪れているようで、与謝野鉄幹、幸田露伴、荻原井泉水などの文学碑が立ち並んでいます。そこを下って、また「旧港屋旅館資料館」を見学しましたが、小説『伊豆の踊子』との関りを反芻し、良い勉強になりました。 古い街並みを散策してから、レンタカーへと戻り、今度は東海岸を北上していきました。途中、筆島をカメラに収め、素晴らしい風景を堪能しながら曲がりくねった道を運転し、「東京都立大島公園動物園」と「椿資料館」も見学しました。椿の花もきれいに咲いていて、それを愛でながら、岡田港へと向かい、14時30分発のジェット船で島を離れ、東京竹芝桟橋へと戻っていったのです。
|
|||||||||||||||||||||||
☆加計呂麻島 (鹿児島県名瀬市)
◇1998年1月14日(水)に訪問する。 そんな奄美大島の海岸線をさらにレンタカーを走らせて、やっと昼過ぎに瀬戸内町の中心古仁屋へとたどり着きました。どこか昼食を取れるところはないかと探しましたが、なかなか見つからないのです。車をぐるぐると回して、港の待合所の近くに大衆食堂を見つけました。焼魚定食を食べていたら、その店の飼い犬が横に来てちょこんと座り、うらめしそうにこちらをみています。おこぼれでもちょうだいできないかといった感じです。ちょっとあげようかとも思いましたが、癖になるといけないと考え、思い止まったのです。小休止できて、腹を満たすとともに運転の疲れをとりましたが、フェリーの出航まで時間があったので、町の歴史民俗資料館へ行ってみることにしました。民俗的な展示が中心でしたが、見学しながら時間をつぶし、手頃な時刻にフェリー乗り場へと戻ってきました。入港してきたのは車数台乗せれば一杯になってしまうような小型の船でしたが、乗った車は私の一台だけで、後は徒歩の乗客でした。ほぼ定刻通り15時25分に“フェリーかけろま”は出航して、加計呂麻島の生間港へと向かい、所要20分で静かな海峡を渡って、あまり人気のない入江へと入っていきました。
|
|||||||||||||||||||||||
◇2005年12月30日(金)に訪問する。 帰省途中に伊勢志摩へ立ち寄り、鳥羽から菅島に渡り、菅島灯台を巡った後、神島へと向かったのです。鳥羽から来た定期船は、ほぼ定刻どおりに港へ入ってきましたが、帰省客で混み合っていて、通路にまで、人と荷物が溢れていました。それに乗り込み、14時20分に神島へ向けて出航したものの、ここからは外海に出ることになるので、少し波が高くなり船が揺れています。しかし、ほぼ定刻どおり15時前には神島港へと入っていきました。 神島は伊勢湾の入口に浮かぶ、周囲約4km、人口500人余の小さな島で、標高170mの灯明(とうめ)山を中心として全体が山地状で、集落は季節風を避けるように北側斜面に集まっています。そして、なによりも三島由紀夫の小説『潮騒』のモデルになったことで、有名で、昔から一度来たいと思っていたのです。 神島へ着いて、今日の宿「山海荘」に荷物を置くと、さっそく島一周の散策に出かけました。ほんとうに急斜面にへばりつくように人家が密集して建っていて、歩道が急勾配でアップダウンしながらその間を縫っています。まず、集落の東側にある八代神社へと行ってみたのですが、真っ直ぐ伸びた214段もの階段を登らなくてはならず、閉口しました。ここで、元旦の夜明けにゲーター祭りと呼ばれる奇祭が行われると聞きました。 社殿参拝後、時計回りに島を一周しようと、裏手の遊歩道を上っていったのですが、勾配がきつく、断崖絶壁になって海に落ち込むような細道を進んでいきます。しかし、伊勢湾、伊良湖岬から太平洋の景色はすばらしいのです。 しばらく行くと、シラヤ崎に至り、神島灯台の門が見えてきました。小説の中でも、新治、初江が灯台職員宿舎(退息所)を訪ねるシーンが印象的ですが、退息所は無人化に伴い撤去されていて空き地となっていました。その奥に白亜の灯台が立っていて、 小説『潮騒』の案内板がありますが、そこからの眺望はすこぶるよく、小説の場面を彷彿とさせるのです。また、灯台についての描写は特に秀逸で、新治、初江の前途とも重ねて描かれていて、脳裏に思い浮かべながら、見上げていました。 この小説は、青山京子、吉永小百合、山口百恵、堀ちえみ等の主演により5回にわたって映画化されていますが、灯台周辺でのロケもありました。その映画の場面を思い出しながら、しばしたたずんでいました。
|
|||||||||||||||||||||||
◇2007年1月27日(土)に訪問する。 前日に姫路港から、13時35分発の小豆島急行フェリーに乗船し、瀬戸内海を進み、ほぼ定刻通り、15時15分頃には小豆島福田港に到着しました。 福田港からは土庄行きの小豆島バスに乗り、土庄本町へ着いてからは、宿まで15分少々歩いて、鹿島海岸にある「小豆島シーサイドホテル松風」にたどり着き、ここに宿泊しましたが、通された部屋からは、海がとてもよく見え、風光明媚で気に入りました。 ここは、壺井栄著『二十四の瞳』の舞台となったところで、学生時代に一度訪れたことがあります。その時は、対岸の小豆島ユースホステルに泊まって、おなご先生のように自転車で岬に向かって、走ってきた記憶が蘇ってきました。とても懐かしく思い、建物もよく保存されていて、小説の場面を彷彿とさせ、映画のシーンも思い出して、感動を新たにしたのです。 続いて、「二十四の瞳映画村」にも立ち寄りました。ここは、2度目の映画化(1987年松竹作品・朝間義隆監督)の時に造られたオープンセットを公開したもので、「壺井栄文学館」も併設されています。中に入ると、昭和初期のレトロな雰囲気が漂っており、映画のシーンを彷彿とさせるのです。「松竹座映画館」というのもあって、実際の映画も見ることが出来、感激しました。じっくりと見ながら写真を撮っていったので、結構時間がかかってしまいました。 見学後は、来た道を戻って、坂手にある壺井栄文学碑と生田春月詩碑も見てから、大門鼻を経由して、寒霞渓にも立ち寄り、今日の宿「国民宿舎 小豆島」へと至りました。
|
|||||||||||||||||||||||
*ご意見、ご要望のある方は右記までメールを下さい。よろしくね! gauss@js3.so-net.ne.jp |