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「旅のホームページ」は、いろいろな国内旅行を専門とするホームページです。

旅と文学
<文学に描かれた温泉入湯記>
鉛温泉藤三旅館
小説「銀心中」
田宮虎彦著
道後温泉本館
小説「坊ちゃん」
夏目漱石著
湯ヶ野温泉共同浴場
小説「伊豆の踊子」
川端康成著
 城崎温泉御所の湯
小説「暗夜行路」
志賀直哉著
大鰐温泉
小説「津軽」
太宰治著
田沢温泉ますや旅館
随筆「千曲川のスケッチ」
島崎藤村著
湯宿温泉金田屋旅館
紀行文「みなかみ紀行」
若山牧水著
下風呂温泉長谷旅館
小説「海峡」
井上靖著
垂玉温泉山口旅館
紀行文「五足の靴」
与謝野鉄幹他4名著
湯ヶ島温泉河鹿の湯
小説「しろばんば」
井上靖著
浅虫温泉
小説「思い出」
太宰治著
畑下温泉清琴楼
小説「金色夜叉」
尾崎紅葉著
中棚温泉中棚荘
随筆「千曲川のスケッチ」
島崎藤村著
湯田川温泉
小説「夜の靴」
横光利一著
蔦温泉
紀行文「山は富士、湖は十和田」
大町桂月著
近代文学に描かれた温泉一覧

☆文学と温泉

 文学に描かれている温泉は結構あって、その温泉地に行って、文学碑を見て初めて知るようなこともしばしばです。文学の舞台に温泉が適しているのか、それとも文学者が温泉を愛するためなのか...。でも、温泉地で文学の場面を想像してみるというのも楽しいことなのです。特に、その作品が書かれた当時の状況をよくとどめている時には、自分が入っている温泉の様子と作品の一説がオーバーラップしてとても印象深いものです。そんな温泉を訪れて入湯したときの感想とデータをまとめてみましたので、温泉巡りの参考にしていただければと思っています。

☆鉛温泉 藤三旅館 (岩手県花巻市)
「湯殿は地階にある。湯は、湯宿のすぐうらを流れている霧生川(注:豊沢川のこと)の、もとは川底であったという。自然の岩だたみがそのまま残されていて、透きとおった湯がこんこんと湧き出していた。佐喜枝のほかには誰もいない。吹雪の唸りと、霧生川のせせらぎとが聞えてくるばかりであった。
 この夏、佐喜枝が珠太郎を追ってはじめてこのしろがね温泉(注:鉛温泉のこと)に来た時には、この山の中の湯宿の部屋という部屋の窓々に、電燈が明るくまたたいていた。そして、その時は本線の駅まで迎えに来てくれた珠太郎にうながされて、湯殿までおりてゆくと、男や女の湯治客たちが、東京の町の湯のように混みあっていたものだった。だが、ここ十日ばかり、佐喜枝が何時湯殿におりていっても、湯殿はいつもひっそりと眠ったように静かであった。」

小説『銀心中』 田宮虎彦著より
鉛温泉“藤三旅館”の古風な木造3階建 鉛温泉“藤三旅館”の玄関

◇1998年5月5日(火)に入湯する。

 ゴールデンウィークに2泊3日の秋田・岩手の旅に出て、鉛温泉へ立ち寄りました。ここは、花巻温泉郷の奥にある一軒宿の温泉で、開湯は今から約500年前。ここの温泉主・藤井家の遠祖が木こりをしているとき、一匹の白猿が桂の木の根本から湧出する泉で手足の傷を癒しているのを見て、温泉の発見につながったといいます。とても古い温泉で、建物も木造3階建の堂々たるもので、豊沢川の渓谷に沿い、高倉山の山容が美しい景観の地にあります。この温泉は田宮虎彦の小説『銀心中』の舞台となったことで知られていますが、その一説にあるのが、白猿の湯のことで、古めかしい湯治部の階段を下りた地下にあり、1階まで吹き抜けになっています。楕円形をした洗面器状の浴槽の深さは1.25mもあり、小柄な人は立っても首まで浸かってしまいそうです。立ったままの姿勢で入浴すると血液循環を促進させ、体機能を活性化すると言われています。ここの湯は引湯ではなく、浴槽の下から天然に適温の温泉が湧きだしているのです。男女混浴で脱衣所も浴場の中にあってまる見え、しかし、そんなことも気にならないほど不思議な雰囲気が漂っていて、おおらかに湯に浸かることができます。立ち泳ぎをしながら、浴槽内を移動する感じはまるでプールのようです。別に男女別の浴室も用意さ れていますが、やはり、名物のこの浴槽に入りたいものです。





源泉名 鉛温泉(桂乃湯)
湧出地 岩手県花巻市鉛字中平
湧出量
知覚 僅かに硫化水素臭を有し無色透明
泉質 単純温泉
泉温分類 45.5℃(高温泉)
pH値 7.8
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 736r/s
浸透圧分類 低張性
ラドン含有

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

宿


鉛温泉“藤三旅館”のデータ
標準料金 (旅館部)1泊2食付 8.000〜12,000円(込込)  
入浴料金 500円
定員 (旅館部)40室120名 (湯治部)100室300名
住所、電話 〒025-02 岩手県花巻市鉛字中平75-1 TEL(0198)25-2311
交通 JR東北本線花巻駅より岩手県交通バス新鉛行き40分「鉛温泉」下車徒歩1分
鉛温泉「藤三旅館」の公式ホームページへ

☆道後温泉 本館 (愛媛県松山市)

「温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのはぜいたくだと言いだした。よけいなお世話だ。まだある。湯壺は花崗石を畳み上げて、十五畳敷きぐらいの広さに仕切ってある。たいていは十三四人つかってるがたまにはだれもいないことがある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。おれは人のいないのを見すましては十五畳の湯壺を泳ぎ回って喜んでいた。ところがある日三階から威勢よくおりてきょうも泳げるかなとざくろ口をのぞいてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいてはりつけてある。.....」

小説『坊ちゃん』 夏目漱石著より
道後温泉“本館”の三層楼 道後温泉“本館”の「坊ちゃんの間」

◇1989年9月14日(木)に入湯する。

 四国一周旅行の途中、JR予讃本線松山駅前に1泊朝食付3,000円という安宿をとり、伊予鉄道の路面電車で道後温泉へと向かいました。こういうので、ゴトゴトと揺られての温泉行きも情緒があっていいものです。終点で下りて、温泉街を5分も歩くと木造三層楼の堂々とした建物が見えてきました。それが、「坊ちゃん」も入ったという道後温泉本館です。明治27年(1894)の建造で、小説が書かれた頃はまだ新しかったのですが、今でも当時のままの建物で風格があり、黒光りしています。坊ちゃんのように上等の高い料金を払うことなく、一番安い料金で“神の湯”へ入湯しました。見事な湯釜があり、山部赤人の長歌が刻み込まれています。浴槽も広々としていて、浴客の少ないのを見計らって、坊ちゃんのように泳いでみましたが、少しだけにとどめ、他の客の迷惑にならないように遠慮しました。でも、当時のままに残されていることで、小説の場面を彷彿とさせることができるところなのです。3階には夏目漱石の愛用した坊ちゃんの間が残され、自由に見ることも可能ですし、観覧料(210円)を払えば、皇室専用浴室の又新殿も見学することが出来ます。





源泉名 道後温泉(第2分湯場)
湧出地 愛媛県松山市道後湯之町
湧出量
知覚 無色透明
泉質 アルカリ性単純温泉
泉温分類 46.7℃(高温泉)
pH値 9.0
液性分類 アルカリ性
溶存物質総量 282.6r/s
浸透圧分類 低張性
ラドン含有 1.9マッヘ/s

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進







道後温泉本館のデータ
浴室 内湯5(男3・女2)、
利用料金 <神の湯階下> 大人300円、小人120円
<神の湯二階席> 大人620円、小人310円
<霊の湯二階席> 大人980円、小人490円
<霊の湯三階個室> 大人1,240円、小人620円
営業時間 午前6時〜午後10時、年中無休
住所、電話 〒392 愛媛県松山市道後湯之町5-6 TEL(089)921-5141
交通 JR予讃本線松山駅から伊予鉄道道後温泉行き終点下車徒歩5分
道後温泉の公式ホームページへ

☆湯ヶ野温泉 共同浴場・福田家旅館(静岡県賀茂郡河津町)

「彼に指ざされて、私は川向うの共同湯の方を見た。湯気の中に七八人の裸体がぼんやり浮んでいた。
 仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭いもない真裸だ。それが踊り子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。」

小説『伊豆の踊子』 川端康成著より
「伊豆の踊子」文学碑 伊豆の踊子像
◇1985年12月30日(月)に共同浴場に入湯する。

 正月休みを利用して、伊豆半島一周の旅に出て、前日は湯ヶ島の“いろり荘ユースホステル”に宿泊し、朝に宿を立って、『伊豆の踊子』と同じ旧道コースを歩いてきました。浄蓮の滝、旧天城トンネル、河津七滝と巡って夕方近くなり、足は棒のようになっていました。湯ヶ野の温泉街は閑静で、河津川にかかる赤い橋の向こうには、川端康成が逗留して、『伊豆の踊子』を書いたという“福田家旅館”が見えます。小説の中に出てくる共同湯も河畔の露天風呂ではなくなって、建物に囲われた内湯になっていました。ここの河畔に露天風呂があれば、対岸の旅館からはよく見えたでしょう。踊子はどんな風に真裸で出てきて手を振ったのだろうかと想像しながら、誰もいない共同浴場に浸かって、疲れを癒しました。こういう所で、小説の場面と今日歩いた踊子コースを思い出しながら比べてみるのはなかなか楽しいことでした。

「伊豆の踊子」ゆかりの湯ヶ野温泉“福田家旅館” 踊り子が入浴した共同浴場の入口

◇1999年6月12日(土)に“福田家旅館”榧風呂に入湯する。

 湯ヶ野温泉には3度目の訪問になりましたが、昔ながらの風情を保った温泉街が残されています。特に、河津川の渓谷沿いは名作『伊豆の踊子』の情景を思い浮かべられるような状態のままです。今回は、「川端康成生誕100年祭」の行事の一つとして、“福田家旅館”が無料見学できました。最初に、女将にたのんで、入浴料金700円を払って、あの川端康成が好んで入ったという榧風呂に入浴させてもらいました。脱衣場から階段を下りた地階のような所に正方形の榧製の浴槽があり、湯がコンコンと注ぎ込まれています。静かに湯に浸かっていると、河津川のせせらぎの音がよく聞こえ、とても心地よいのです。閉ざされた空間の中で、心身をリラックスさせるにはもってこいだと思い、思索を重んじる小説家に好まれたのが良くわかる気がしました。湯から上がって、旅館内を見学させてもらいましたが、川端康成が『伊豆の踊子』を執筆した当時と変わらない建物が残されていて、2階にその泊まった部屋がそのままの姿であるのです。そこからは、河津川の渓谷が一望でき、対岸の共同浴場がよく見えます。1階には、いろいろな資料が展示してあり、今までに何度も映画化されたおりの主演者のパネルも見ることが出来ました。玄関前には、伊豆の踊り子の像があり、旅館の並びには、文学碑も建てられていて、まさに“伊豆の踊子”の宿といった風情で、とても感慨深い見学となりました。

川端康成宿泊の部屋 “福田家旅館”の榧風呂




源泉名 湯ヶ野温泉
湧出地 静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野
湧出量 306g/分
知覚 無色透明無味無臭
泉質 カルシウム−硫酸塩泉
泉温分類 52.5℃(高温泉)
pH値 8.3
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 1,478.508r/s
浸透圧分類 低張性

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
動脈硬化症・きりきず・やけど・慢性皮膚病

宿


湯ヶ野温泉“福田家旅館”のデータ
標準料金 1泊2食付 11.000〜22,000円(込込)  
入浴料金 700円
定員 木造2階建11室 
住所、電話 〒413-05 静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野236 TEL(0558)35-7201
交通 伊豆急行河津駅より東海バス天城泉25分「湯ヶ野」下車徒歩5分

☆城崎温泉 御所の湯(兵庫県城崎郡城崎町)

「城崎では彼は三木屋というのに宿った。俥で見て来た町のいかにも温泉場らしい情緒が彼を楽しませた。高瀬川のような浅い流れが町のまん中を貫ぬいている。その両側に細い千本格子のはまった、二階三階の湯宿が軒を並べ、ながめはむしろ曲輪の趣に近かった。また温泉場としては珍しく清潔な感じも彼を喜ばした。一の湯というあたりから細い道をはいって行くと、桑木細工、麦藁細工、出石焼き、そういう店々が続いた。ことに麦藁を開いてはった細工物が明るい電燈の下に美しく見えた。
 宿へ着くと彼はまず湯だった。すぐ前の御所の湯というのに行く。大理石で囲った湯槽の中は立って彼の乳まであった。強い湯の香に、彼は気分の和らぐのを覚えた。
 出て、彼はすぐ浴衣が着られなかった。ふいてもふいても汗がからだを伝わって流れた。彼は扇風機の前でしばらく吹かれていた。そばのテーブルに山陰案内という小さな本があったので、彼はそれを見ながら汗のひくのを待った。
 ・・・・・・・・」
小説『暗夜行路』 志賀直哉著より
城崎温泉の大谿川(兵庫県城崎町) 城崎温泉の志賀直哉の文学碑(兵庫県城崎町)




源泉名 城崎温泉(混合泉)
湧出地 兵庫県城崎郡城崎町
湧出量
知覚 無色澄明、無臭、塩味を有す
泉質 ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
泉温分類 62.1℃(高温泉)
pH値 7.30
液性分類 中性
溶存物質総量 4,740r/s
浸透圧分類 低張性
ラドン含有 5.1マッヘ/s






“御所の湯”のデータ
利用料金 大人 500円、小人 250円
営業時間 午前7時〜午後11時、不定休
住所、電話 〒669-6101 兵庫県城崎郡城崎町湯島 TEL(0796)32-2230
交通 JR山陰本線城崎駅下車徒歩15分
宿


城崎温泉“三木屋旅館”のデータ
標準料金 1泊2食付 15,000〜33,000円(別別)  
入浴料金 外来入浴不可
定員 木造3階建 21室 
住所、電話 〒669-6101 兵庫県城崎郡城崎町湯島487 TEL(0796)32-2031
交通 JR山陰本線城崎駅下車徒歩15分

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病

◇1986年7月29日(火)に入湯する。

 夏休みを利用して、山陰地方の旅に出て、前日は丹後半島の“丹後半島ユースホステル”に宿泊し、朝に宿を立ち、出石に寄って、街を散策してきました。昼には名物の皿そばを10枚平らげて、おなかは満腹、バスに揺られて豊岡駅から山陰本線に乗り換え、城崎駅に途中下車したのでした。当時は、7つの外湯があり、7湯7旅で計49回入ると御利益があると言われていましたが、もとよりそんなのんびり湯に浸かっている時間はありません。どの外湯に入ろうかと思案しながら、大谿川沿いを歩いてみましたが、枝垂れ柳と古風な旅館の街並みが美しいのです。その所々に共同浴場があり、それぞれに由緒があってどれも入ってみたくなるのでした。そんな感じで迷いながら15分ほど歩くと三木屋の前に出ました。大正2年(1913)電車事故で重傷を負った志賀直哉が養生に訪れ、名作『城崎にて』を執筆したことで知られている、江戸時代から続く老舗です。後の代表作『暗夜行路』の中にも出てきて、主人公時任謙作が泊まって、すぐ前の“御所の湯”に入ったとあります。私もそれにならってこの外湯に入浴することにしました。堀河天皇の皇女安嘉門院が入浴したことにちなんで名付けられた美人の湯とのことです。立派な造りで、大理石で囲われた 湯船で旅の疲れを癒しながら、志賀直哉を偲んでみました。この温泉地には古来より、多くの文人墨客が訪れたと聞きますが、そんな風情を感じられる所なのでした。

「御所の湯」の外観 城崎温泉「三木屋旅館」の外観

◇2001年11月30日(金)に入湯する。

 朝、家を出るまでは、どこに行くか決まっていなかったのですが、とりあえず、駅で兵庫県の城崎温泉までの切符を買い、志賀直哉の「暗夜行路」をたどって旅をすることにしました。東海道新幹線で京都駅まで出て、JR山陰本線の特急「きのさき」に乗り換えて、城崎温泉へ直行しました。駅前の観光案内所で紹介してもらって、1泊2食付き9,770円(込込)で、「なるや」に泊まることにしました。宿に向かう途中、「城崎町文芸館」で、志賀直哉をはじめ、多くの文人墨客の足跡について知見を新たにしました。その後、15時にチェックインしましたが、温泉街の中心、大谿川沿いにある5室しかない小さな和風旅館で、家庭的雰囲気が漂い、もてなしも良く、とても気に入りました。荷物を置くと、最初に大師山へロープウエイで上り、温泉寺を見学してから、外湯巡りへと向かいました。まずは、『暗夜行路』の主人公時任謙作の気分で「御所の湯」へ入浴、続いて、駅まで戻って、2000年7月にオープンした駅舎温泉「さとの湯」へ入浴してから宿へと戻りました。夕食には松葉ガニも出て、おいしくいただき、酒もすすんで、心地よく腹を満たしました。翌日は、JR山陰本線の普通列車に乗り、香住駅で下りて、これも時任謙作と同じように、大乗寺で丸山応挙を鑑賞しました。

城崎温泉の公式ホームページへ

☆大鰐温泉(青森県南津軽郡大鰐町)

「津軽に於いては、浅虫温泉は最も有名で、つぎは大鰐温泉という事になるのかも知れない。大鰐は、津軽の南端に近く、秋田との県境に近いところに在って、温泉よりも、スキイ場のために日本中に知れ渡っているようである。山麓の温泉である。ここには、津軽藩の歴史のにおいが幽かに残っていた。私の肉親たちは、この温泉地へも、しばしば場治に来たので、私も少年の頃あそびに行ったが、浅虫ほど鮮明な思い出は残っていない。けれども、浅虫のかずかずの思い出は、鮮やかであると同時に、その思い出のことごとくが必ずしも愉快とは言えないのに較べて、大鰐の思い出は霞んではいても懐しい。海と山の差異であろうか。私はもう、二十年ちかくも大鰐温泉を見ないが、いま見ると、やはり浅虫のように都会の残杯冷炙に宿酔してあれている感じがするであろうか。私には、それは、あきらめ切れない。ここは浅虫に較べて、東京方面との交通の便は甚だ悪い。そこが、まず、私にとってたのみの綱である。また、この温泉のすぐ近くに碇ヶ関というところがあって、そこは旧藩時代の津軽秋田間の関所で、したがってこの辺には史蹟も多く、昔の津軽人の生 活が根強く残っているに相違ないのだから、そんなに易々と都会の風に席巻されようとは思われぬ。さらにまた、最後のたのみの大綱は、ここから三里北方に弘前城が、いまもなお天守閣をそっくり残して、年々歳々、陽春には桜花に包まれその健在を誇っている事である。この弘前城が控えている限り、大鰐温泉は都会の残瀝をすすり悪酔いするなどの事はあるまいと私は思い込んでいたいのである。
 ・・・・・・・・」
小説『津軽』 太宰治著より
平川沿いの大鰐温泉街 大鰐温泉の客舎の一つ

◇1994年1月18日(火)に入湯する。

 弘南鉄道の電車に揺られて、弘前から大鰐に向かいましたが、沿線は一面の銀世界です。大鰐温泉は約800年前に発見されたと伝えられ、江戸時代は津軽藩の湯治場ともなり、藩主も入浴したと聞きます。駅を降りると昼間でもさすがに寒く、一番近い共同湯を教えてもらって、滑らないように気をつけて歩いていきましたが、スキーを積んだ車が次々追い越していきます。平川を相生橋で渡ったところにある共同浴場“若松会館”までは7分ほどで着きました。昔ながらの銭湯のような造りで、地元の浴客が数人入っています。外気で冷やされてきたために、湯が熱く感じられすぐには入れなくて、何杯も掛け湯をしました。地元の人の会話は純粋の津軽弁で何を言っているのかよくわかりません。よく耳を澄ませて聞き取ろうとするのですが、理解できないのです。しかし、そんな会話を聞いていると「あーあ、津軽に来たんだなあ」と旅情をかき立てられるから不思議なものです。厳冬の季節にみちのくの共同湯に浸かっているというのは、とても良いと悦に入りました。上がってから、寒さをこらえて温泉街を一巡りしてみることにしました。近代的な建物もありますが、まだまだ昔ながらの湯治場の風情を残しています。太宰治が『津軽』の中で「昔の津 軽人の生活が根強く残っているに相違ないのだから、そんなに易々と都会の風に席巻されようとは思われぬ。」と書いているように、古来からの湯治が残され、共同湯の周辺には自炊専門の客舎という宿が建っています。外湯も8ヶ所を数え、時間があれば全部巡ってみたいと思いました。スキー場の方には近代的なホテルやペンションもあるとのことで、新旧両面を持った温泉地として発展しているようですが、今の様子を太宰治はどう思うでしょうか?

源泉68.6℃のナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩泉

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病・動脈硬化症







共同浴場“若松会館”のデータ
利用料金 200円
営業時間 午前6時〜午後9時、毎月22日休み
住所、電話 〒038-01 青森県南津軽郡大鰐町湯野川原 TEL(0172)48-4001
交通 JR奥羽本線大鰐温泉駅下車徒歩7分
共同浴場“若松会館”の外観
大鰐温泉旅館協同組合の公式ホームページへ
文学の旅(13)「津軽」太宰治著へ

☆田沢温泉 ますや旅館(長野県小県郡青木村)

「升屋というのは眺望の好い温泉宿だ。湯川の流れる音が聞こえる楼上で、私達の学校の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ。
 楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。浅間の見えない日は心細い、などと校長の細君は話していた。
 十九夜の月の光がこの谷間に射し入った。人々が多く寝静まった頃、まだ障子を明るくして、盛んに議論している浴客の声も聞こえた。
「身体は小さいけれど、そんな野蛮人じゃねえ」 
 理屈ッぽい人達の言いそうな言葉だ。
 翌日は朝霧の籠った谿谷に朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。国さんという可憐の少年も姉娘に附いて来ていて、温泉宿の二階で玩具の銀笛を吹いた。
 ・・・・・・・・」

随筆『千曲川のスケッチ(山の温泉)』 島崎藤村著より
田沢温泉“ますや旅館”の古風な木造3階建 “ますや旅館”の玄関

◇1999年5月22日(土)、2000年12月23日(土)に宿泊し入湯する

 信州の鎌倉と呼ばれる塩田平から西方の山際に分け入った標高700mの山間にあるのが田沢温泉です。今でも、昔ながらの湯治場の風情を残し、木造の旅館が軒を接するように坂道の両側に4,5軒固まっていて、まるで50年も時が止まっているかのような感じさえします。その中でも、ひときわ大きく、古めかしい木造3階建が、「ますや旅館」です。明治32年(1899)8月に、小諸塾で教鞭をとっていた島崎藤村が3日間逗留し、その時の印象が、随筆『千曲川のスケッチ』の中の「山の温泉」になったと言われています。今でも、当時のままの建物で、藤村が泊まった3階の一室は「藤村の間」として、彼が使った机や茶だんすもそのままに残されていて、宿泊することもできます。高楼からの眺望は今も変わることなく、当時の情景が彷彿としてくる、希有な旅館です。廊下、階段、手すり、障子戸などにも歴史が感じられ、もてなしも良くて、ほんとうに「昔の湯治場に来たなあ」という感慨に浸れるのです。その古風なたたずまいが、その後映画のロケ地として選ばれる理由となったのでしょう。昔では、映画「はなれ瞽女おりん」(1977年作品、篠田正浩監督、岩下志麻主演)、最近では、映画「卓球温泉」(1998年作品、山川元監督、松坂慶子主演)、のロケが行われたとのことです。浴室は、新しくなった男女別内湯と露天風呂があり、地階には家族風呂が2ヶ所有ります。また、目の前に新装なった共同浴場「有乳湯」があって宿泊者割引料金100円(通常200円)で入ることができます。ちょっとぬるめですが、源泉掛け流しで、硫黄臭のする無色透明の湯に浸かっていると、旅の疲れが抜けていくような気分となるのです。夕食も部屋に運んでくれて、とても美味しくいただけました。これほど由緒とムードの有る旅館なのに、料金はとてもリーズナブルで、藤村ファンならずとも、静かな温泉地でのんびりしたい方にはお奨めできるのではないかと思います。

田沢温泉“ますや旅館”の内湯と露天風呂 田沢温泉の共同浴場“有乳湯”




源泉名 田沢温泉(有乳湯)
湧出地 長野県小県郡青木村田沢
湧出量 720g/分
知覚 殆ど無色澄明にして硫化水素臭を有する
泉質 単純硫黄泉
泉温分類 40.2℃(温泉泉)
pH値 8.8
液性分類 アルカリ性
溶存物質総量 250.48r/s
浸透圧分類 低張性

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・糖尿病

宿


田沢温泉“ますや旅館”のデータ
標準料金 1泊2食付 8.000〜15,000円(込別)  
浴室 内湯4(男1・女1・家族風呂2)、露天2(男1・女1)
入浴料金 400円
外来入浴時間 午前9時〜午後9時
定員 木造3階建 35室 
住所、電話 〒413-05 長野県小県郡青木村田沢 TEL(0268)49-2001
交通 JR長野新幹線上田駅よりバス(青木乗継)40分「田沢温泉」下車徒歩1分
文学の旅(6)「千曲川のスケッチ」島崎藤村著へ
☆湯宿温泉 金田屋旅館(群馬県利根郡みなかみ町)
「湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其処で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋へ泊る事にした。もっともM−君は自分の村を行きすぎ其処まで見送って来てくれたのであった。U−君とはまた沼田で逢う約束をした。
 一人になると、一層疲労が出て来た。で、一浴後直ちに床を延べて寝てしまった。一時間も眠ったとおもう頃、女中が来てあなたは若山という人ではないかと訊く。不思議に思いながらそうだと答えると一枚の名詞を出して斯ういう人が逢い度いと下に来ているという。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄って来たH−君であった。仙台からの帰途本屋に寄って私達が一泊の予定で法師に行ったことを聞き、ともすると途中で会うかも知れぬと云われ途々気をつけて来た、そしてもう夕方ではあるし、ことによるとこの辺に泊って居らるるかも知れぬと立ち寄って訊いてみた宿屋に偶然にも私が寝ていたのだという。あまりの奇遇に我等は思わず知らずひしと両手を握り合った。

 十月廿四日
 H−君も元気な青年であった。昨夜、九時過ぎまで語り合って、そして、提灯をつけて三里ほどの山路を登って帰って行った。今朝は私一人、矢張り朗らかに晴れた日ざしを浴びながら、ゆっくりと歩いて沼田町まで帰って来た。 ・・・・・・・・」

紀行文『みなかみ紀行』 若山牧水著より
 若山牧水の碑 「金田屋旅館」の牧水の間

◇2000年3月19日(日)に宿泊し、入湯する。

 群馬県でも北部、新潟県と境を接する新治村の赤谷川渓谷に沿って湯宿温泉があります。現在では、国道17号線から少しそれた旧道沿いに、温泉旅館が数軒と共同浴場四ヶ所が静かにたたずむ湯治場です。私は、若山牧水の『みなかみ紀行』の足跡を訪ねながら来てみたのです。牧水は大正11年(1922)10月14日沼津の自宅を立ち、長野県・群馬県・栃木県を巡って、11月5日に帰着する24日間の長旅に出ました。その一部を綴ったものが、「みなかみ紀行」です。牧水の紀行文中最長で、利根川の水源を訪ねるという意味で命名されています。文中では、法師温泉からの帰り、疲労を覚え、同行の牛口善衛(文中ではU−君)と松井太三郎(文中ではM−君)と別れ、10月23日、一人で「金田屋旅館」に泊まりました。温泉に入り、寝たところへ、林銀次(文中ではH−君)が訪ねてきて、夜9時過ぎまで語ってから林銀次は夜道を帰っていったと書かれています。私が、「金田屋旅館」の玄関を入ると、右側には、牧水が泊まった蔵座敷が残されていました。後で、その2階に上がってみたのですが、“牧水の間”としてそのまま保存されていて、談話室となっていました。当時の調度品が置かれ、牧水関係の書籍が並んでいて、そこにたたずんでいると、牧水と林銀次が語り合っている様子が目に浮かんでくるようです。旅館によると、牧水は川魚の甘味噌焼きを旨い旨いと2皿分食べたそうです。木造2階建、和室16室で、あまり大きくない旅館で、内部は改造されていますが、骨組みは120年経っているということです。蔵座敷はそのままで、80年ほど前、牧水の訪れた当時の建物を残す、貴重なものです。私は、部屋に荷物を置くと、外湯に出かけました。この湯宿温泉には、4つの共同浴場(竹の湯、松の湯、窪湯、小滝の湯)があり、旅館から鍵を借りて、浴場で寸志として100円以上箱に入れれば、入浴できるようになっています。まず、「竹の湯」、続いて「小滝の湯」と2ヶ所に入りましたが、ちょっと熱めですが、結構清潔で、建物も比較的新しく、気持ちよく入浴できました。こういうひなびた温泉場で、外湯巡りをすると地元の人や湯治客と話がはずみます。それもこういう温泉地の楽しみなのです。宿に戻ってくると、玄関脇に、牧水の碑が立てられているのに気が付きました。「私のひとり旅は わたしのこころの旅であり 自然をみつめる一人旅である 牧水」と刻まれていました。旅館のもてなしはとてもていねいで、部屋に夕食が運ばれてきました。一の膳、二の膳、三の膳と並べられ、名物「太助鍋」、こんにゃくの刺身などに舌鼓を打ち、おいしい地酒を冷やで傾けながら、飲みかつ食べ、その後はテレビをみながら良い気持ちで寝てしまいました。
 翌日は、早起きし、朝の散歩に出ようと思いましたが、外は雪が降っています。ちょっとためらいましたが、温泉街だけは、巡ってみようと、宿で傘を借り、カメラをぶらさげて出かけました。雪のせいか、人通りはほとんどありません。以前読んだ、漫画家つげ義春著の『貧困旅行記』にも湯宿温泉が出ていましたが、とてもひなびた湯治場として紹介されていて、印象に残っています。その当時(1970年代)よりは整備され、温泉宿や共同浴場も新しくなっているところが多く、旧道も石畳と変わっていましたが、どことなくひなびた感じが漂っていました。私は、こういう湯治場が好きなので、雪の中を30分ほど巡りながら写真を撮って宿へと戻ってきました。冷えた体を温めるべく、浴室に向かいましたが、ここの源泉は60度ほどあり、自然湧出しているとのことで、平安時代弘須法師によって発見され、開湯1200年と書かれていました。誰もいない浴槽に手足を伸ばしていると、とてもリラックスでき、心地よいのです。暖まったところで部屋に戻ると、ほどなくして、朝食が運ばれてきましたが、おやきや温泉粥が付いていて、とてもおいしくいただきました。その後、荷物をまとめて出立しましたが、牧水の縁で良い宿に巡り会い、また、季節をあらためて訪れてみたいと思いながら宿を離れたのでした。





源泉名 湯宿温泉(窪湯)
湧出地 群馬県利根郡みなかみ町湯宿温泉
湧出量 ?(自然湧出)
知覚 無色透明
泉質 ナトリウム・カルシウム−硫酸塩泉
泉温分類 59.1℃(高温泉)
pH値 8.0
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 1292.7r/s
浸透圧分類 低張性
湯宿温泉「金田屋旅館」の旧外観

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・糖尿病

宿


湯宿温泉“金田屋旅館”のデータ
標準料金 1泊2食付 8.000〜12,000円(込別)  
浴室 内湯2(男1・女1)
入浴料金 大人 600円、小人 300円
外来入浴時間 午後12時30分〜午後4時30分
定員 木造2階建 16室 50名 
住所、電話 〒379-1414 群馬県利根郡みなかみ町湯宿温泉608 TEL(0278)64-0606
交通 JR上越新幹線上毛高原駅より猿ヶ京行きバス20分「湯宿温泉」下車徒歩1分
湯宿温泉「金田屋旅館」の公式ホームページへ
文学の旅(9)「みなかみ紀行」若山牧水著へ

☆下風呂温泉 長谷旅館(青森県下北郡風間浦村)

「バスが下風呂部落へ着いた時は、五時を廻っていた。一番構えの大きい旅館の前が停留場だった。
 二人は二階の海の見える部屋へ案内された。丹前に着がえ、二人はすぐ階下にある浴室へ下りていった。泉質は硫黄泉である。躯の表面から、じわじわと湯が内部に向かって浸透して来るように、杉原には感じられた。
 ……ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積もる温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。なぜこんなところへ来たのだ。美しい姫の幻影を洗い流すために、俺はやってきたのだ。
 杉原は詩人になっていた。
 庄司は庄司で、彼もまたある感慨を持っていた。
「人間というのはおかしなものだ。一昨日東京に居たと思った人間が今日は何百キロ離れたところに居る。われわれはいま、最北端の下風呂温泉につかっている………」」

小説『海峡』 井上靖著より
  「長谷旅館」の井上靖宿泊の間

◇2000年9月12日(火)に入湯する。

 北東北旅行の途中、湯野川温泉を朝たって、佐井を通り、本州最北端の大間崎を経由して、午前10時過ぎに下風呂温泉に至りました。国道279号左手には、津軽海峡が広がり、今日は北海道も望めます。温泉街は国道から一本山側に入った旧道沿いに並んでいます。その、細長い町並みの、大畑寄りに、下風呂温泉のバス停があり、その前が「カクチョウ長谷旅館」です。屋号が記号のように長の字が四角で囲まれ、続いて長谷旅館と書かれています。創業は明治4年(1871)とのことで、表は改装されていますが、玄関を入ると木造3階建の古いたたずまいで、昭和33年(1958)3月、井上靖が、逗留して小説「海峡」を書いた当時のままです。女将に案内を乞うと、400円で入浴のみも可能とのことなので、さっそく入れさせてもらうことにしました。井上靖が宿泊した部屋はどこだったかを訪ねてみると、2階の参号室とのことで、快く見学させてもらうことができました。当時の調度のままにしてあり、窓からは津軽海峡が望めます。ただし、昔は、窓下に国道は走ってなく、護岸工事も施されていなかったので、そのまま海に連なっていたとのことですが...。それでも、当時の雰囲気がよく伝わってきて、井上靖は、どんな感じで机に向かっていたのだろうか、どうやって海峡を眺めていたのだろうかと想像をたくましくしてみました。その後、階下の浴槽に浸かったのですが、硫黄の臭いが立ちこめ、濁った熱めのお湯がとうとうと注ぎ込まれ、硫黄分が堆積していました。躯の内部から硫黄泉が滲み込んでくるそんな感じが実体験できました。湯に入りながら、小説の場面を思い浮かべ、追想してみるのも面白いものです。しかし、ほんとうに熱い湯で、長くは浸かっていられませんでしたが...。小説の執筆当時の状況を感じさせてくれる旅館は、そう多くはありません。そういう意味で、とても貴重な体験をしたと、女将に感謝して、下風呂温泉を後にして、恐山へと向かいました。

下風呂温泉「長谷旅館」の外観 下風呂温泉「長谷旅館」の浴槽

源泉50℃の含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病・糖尿病

宿


下風呂温泉“カクチョウ長谷旅館”のデータ
標準料金 1泊2食付 10.000〜12,000円(込別)  
入浴料金 400円
定員 木造3階建 15室 
住所、電話 〒039-4501 青森県下北郡風間浦村下風呂75 TEL(0175)36-2221
交通 下北交通大畑駅より佐井行きバス25分「下風呂温泉」下車徒歩1分
下風呂温泉「カクチョウ長谷旅館」の公式ホームページへ

☆垂玉温泉 山口旅館(熊本県阿蘇郡長陽村)

「くるりと道が廻ると、忽然として山塞が顕れた、あれは何だ、あれが湯ですと小い女がぷつきらぼうにいふ。後に滝の音面白き山を負ひ、右に切つ立ての岡を控へ左の谷川を流し、前はからりと明るく群山を見下し、遙に有明の海が水平線に光る。高く堅固な石垣の具合、黒く厳しい山門の様子、古めいた家の作り、辺の要害といひ如何見ても城廓である、天が下を震はせた昔の豪族の本陣らしい所に、一味の優しさを加へた趣がある。これが垂玉の湯である、名もいゝが、実に大に気に入つた。石の階段を登り、大手の門を潜ると、正面に二階建の長い御長屋がある。絵に見る遊廓の様で、唯古色蒼然たるを異にしてゐる。左右に鶴翼を張つて、同じく二階建の楼閣がある。山を切つて広く平にならした運動場の様な庭も面白い。一体に規模の大きいのが気持がいい。湯も亦極めて大きい、三条の滝となつて石もて畳める湯漕に落ちる、色は無いが、細く白い澱が魚の子の様に全体に浮遊して居る。硫化水素の臭ひが鼻を刺す。一浴して廊に出づれは、そこら灰だらけである、踏むとざらざらする。むくむくと火口を出で一度空を渡つて落ちて来た地心の砕けであると思ふと、気持の悪い中にも唯の埃と違つて面白い処がある。遠く海に沈みゆく夕日を眺め、更に眼を転ずれは大空を筋違に灰色の烟が通る、新月が出て居る、山で見る星の光りは極めて爽かで美しい、水の音が聞える。今は浴客が満ちて居るが、秋など唯一人こんな所へぶらりと宿ったら如何だらうと思つた。明日は天気がよさそうだ。」

紀行文『五足の靴』 与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里著より
山口旅館前の「五足の靴」碑 山口旅館の露天風呂「かじかの湯」

◇2000年10月7日(土)に入湯する。

 熊本県の阿蘇外輪山の内側にあり、五岳の一つ烏帽子岳の山麓に湧くのが垂玉温泉です。私は、阿蘇中岳火口を見学し、阿蘇登山道路吉田線を下ってくる途中から脇道に逸れて、山中深く分け入ってきました。車が1台やっと通れるという細い道をくねくねと上り下りし、ほんとうにこんな所に温泉があるのだろうかと不安になった頃、手前にある地獄温泉「清風荘」が見えてきました。その前を通り過ぎ、下って大きなカーブを切ったところで垂玉温泉の一軒宿「山口旅館」をようやく発見しました。今回は、紀行文『五足の靴』の足跡を訪ねて、はるばるこの温泉にやってきたのです。この紀行文は1907年(明治40)7月28日から8月27日まで、九州西部中心に約1ヶ月旅した、5人(与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里−−五足の靴としゃれている)によるものです。その年の東京二六新聞に旅程より10日ほど遅れて8月7日より9月10日まで、5人が交互に執筆して、29回にわたり連載されました。一行は、1907年(明治40)8月14日に阿蘇登山の道すがら、ここに宿泊したのです。熊本から馬車で長時間揺られ、外輪山をくぐって、栃木温泉の辺りからは徒歩で1里余り山道を登ってきたとあります。その山中に石垣を積み重ね、城塞のように築かれた「山口旅館」に一行は、感嘆の声を上げたのです。私も、この旅館に宿泊したくて電話を入れたのですが、連休前で部屋は空いていないとのことで、やむなく、日帰り入浴する事にしました。玄関で案内を乞い、入浴料600円也を払って聞くと、混浴露天風呂「滝の湯」、茅葺きの男女別露天風呂「かじかの湯」、そして男女別の内湯「天の湯」と3ヶ所の湯が楽しめるとのことでした。まずは、「滝の湯」からと旅館前の赤い橋を渡ろうとすると眼前に見事な二筋の滝が渓谷に落ち込み、その一つの滝壺付近に「滝の湯」が見えました。これはすごいロケーションだと、楽しみにして露天風呂へと急ぎました。脱衣場は男女別に分かれ、石段を下って、一つの岩風呂へと続いています。その前に、金龍の滝が轟々と音を立てて流下していて、ものすごい迫力です。先客は、男性の外人客一人、あまりの迫力に裸で岩を登って、その勇姿に見とれています。私は、清掃後のためか、湯量が少ない中、寝そべって体を浸しながら、目をつむって滝音を楽しんだり、岩を登って目でその迫真力を確かめたりと、じっくり露天風呂を楽しみました。上がってからは、再び旅館に戻り、内湯の「天の湯」へ、ここも窓越しの眺望が良く、暖まって体を洗いました。その後は、茅葺き屋根のある露天風呂「かじかの湯」へ、木造りの湯船は肌触りが良く、硫黄泉が心地よく体に染み、かやぶき屋根ともマッチしてなかなかの風情です。のんびり入っていたかったのですが、3度目の湯で、体も少々ふやけ気味、適当なところで切り上げて、旅館を後にしました。『五足の靴』一行もたいへん気に入ったようですが、私も満足し、この次はぜひ宿泊して楽しみたいと思って、山を下っていきました。

「山口旅館」の玄関 垂玉温泉「山口旅館」の全景

源泉55℃の単純硫黄泉(硫化水素型)

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・糖尿病

宿


垂玉温泉“山口旅館”のデータ
標準料金 1泊2食付 9.000〜16,000円(込別)  
入浴料金 600円 (日帰り入浴は11〜15時)
定員 和室24室、自炊10室 計200名 
住所、電話 〒869-1404 熊本県阿蘇郡長陽村大字河陽 TEL(09676)7-0006
交通 南阿蘇鉄道阿蘇下田城ふれあい温泉駅下車タクシーで約15分
垂玉温泉「山口旅館」の公式ホームページへ
文学の旅(7)「五足の靴」与謝野鉄幹他4名著へ

☆湯ヶ島温泉 河鹿の湯(静岡県伊豆市)

「 浴場といっても、簡単な屋根と、一隅に着物を脱ぐところができているだけのことであったが、湯は豊富で、二つに仕切られている大きな浴槽には四六時中湯が溢れていた。二つの浴槽の間には、板の仕切りがしてあり、何となく男湯と女湯の区別ができているわけであったが、どっちが男湯でどっちが女湯か決められてなかったし、そんなことに頓着する入浴者は一人もなかった。
 洪作たちは西平の共同湯を選ぶ場合、もう一つの理由があった。それは共同湯のすぐ隣りに馬の湯があって、よく馬がここで躰を洗われていることがあったからである。長方形に仕切られた浴槽は、勿論屋根も持っていず、人のはいる方の浴槽に較べると、ずっと浅かった。
 洪作たちは共同湯に着くと、われ先にと真っ裸になり、思い思いに浴槽に飛び込んで、湯の飛沫を上げて暴れた。みつも男の子供の中にはいって暴れた。建物の傍を大川が流れていたので、裸で河原に出て、大きな石を運んで来て湯の中へ投げ込んだりした。昼の共何湯には大抵の場合誰も居なかった。村人がはいるのは一日の仕事を終えた夕刻からである。洪作たちほ、さき子に叱られても叱られても、そんなことにはいっこうに構わず暴れた。さき子の白い豊満な裸体が湯しぶきの間から眩しく見えた。
「洪ちゃん、手拭いを持って来たでしょう。手拭を持っておいで! 洗って上げる」
 その言葉で洪作は手拭を着物脱ぎ場へ取りに行く。洪作は躰にしゃぼんを塗られて、前を向かされたり、背後を向かされたりする。さき子はみつと洪作の鉢を洗い、他の子供たちの方は、躰は洗わないで、醤油で煮しめたようなその手拭だけを洗ってやった。
 こうしたある日、さき子は浴槽で暴れ廻っている子供たちに、
「あしたからお姉ちゃんは学校の先生になるのよ。みんな言うことをきかないと大変よ。ぴしぴしやっちゃうから」
 と、さき子は言った。学校の先生になると聞いて、みんなその瞬間暴れるのをやめた。
・・・・・・・・」
小説『しろばんば』 井上靖著より
 
湯ヶ島温泉 共同浴場「河鹿の湯」の外観 湯ヶ島温泉 共同浴場「河鹿の湯」の浴室

◇2001年2月12日(月)に入湯する。

 伊豆半島のほぼ中央、本谷川と猫越川が合流し、鹿野川となる渓谷沿いに湯ヶ島温泉があります。天城山系の山懐に抱かれ、うっそうと繁る緑多き山里は、古来から湯治客が訪れ、川端康成や島崎藤村、若山牧水、与謝野晶子、梶井基次郎などの文人墨客にも親しまれたところです。この地に幼少期を過ごした井上靖の自伝的小説「しろばんば」には、湯ヶ島の当時の様子が生き生きと描かれています。その中で、少年達がよく遊びに行ったのが、西平地区の共同湯で、「河鹿の湯」と呼ばれているのです。私は、伊豆半島の温泉巡りの途中で立ち寄りました。作品の中では、簡単な屋根と脱衣場としきりがあるだけの共同湯として描かれていますが、現在では、ちゃんとした鉄筋コンクリートの建物の中に収まり、しっかりと男女別に分かれています。中にはいると楕円形の浴槽に、無色透明の湯が注ぎ込まれ、溢れ出しています。窓下には、鹿野川の清流が流れ、ここで子供達がどんなふうに遊んだのだろうかと想像をたくましくさせてくれます。あの岩に登って、この浅瀬に戯れて、その深みで泳いでなどと.....。それは、まさに「しろばんば」の頃の子供達の姿なのですが、今では、そんな風に遊んでいる子供の姿は見えません。浴槽の中では、地元のお年寄りたちが世間話をしていますが、かつては、湯ヶ島を訪れたそうそうたる文士達もいっしょにこの共同湯に入ったとのこと...。それと、同じ湯に浸かっていると思うと、なぜか感慨を覚えるのです。山深い渓谷の湯に、文学の香りを充分にかいでこの地を後にしました。





源泉名 西平共同湯第3号泉
湧出地 静岡県田方郡天城湯ヶ島町湯ヶ島
湧出量 1,000g/分
知覚 無色透明、無味、無臭、ガス発生なし
泉質 カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉
泉温分類 46℃(温泉泉)
pH値 8.0
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 1,196r/s
浸透圧分類 低張性

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
動脈硬化症・きりきず・やけど・慢性皮膚病







湯ヶ島温泉 共同浴場「河鹿の湯」のデータ
利用料金 250円
営業時間 午後1時〜午後10時、毎週水曜日休み
住所、電話 〒410-3206 静岡県田方郡天城湯ヶ島町湯ヶ島 TEL(0558)85-1568
交通 伊豆箱根鉄道修善寺駅下車河津駅行き東海バス30分湯ヶ島温泉入口下車徒歩8分

☆浅虫温泉(青森県青森市)

「秋になって、私はその都会から汽車で三十分くらいかかって行ける海岸の温泉地へ、弟を連れて出掛けた。そこには、私の母と病後の末の姉とが家を借りて湯治をしていたのだ。私は、ずっとそこへ寝泊まりして、受験勉強をつづけた。私は、秀才というぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいって見せなければならなかったのである。私の学校ぎらいは、その頃になって、いっそうひどかったのであるが、何かに追われている私は、それでも一途に勉強していた。私は、そこから汽車で学校へかよった。日曜毎に友人たちが遊びに来るのだ。私は友人たちと必ずピクニックにでかけた。海岸のひらたい岩の上で、肉鍋をこさえ、葡萄酒をのんだ。弟は声もよくて多くの新しい歌を知っていたから、私たちは、それを弟に教えてもらって、声をそろえて歌った。遊びつかれてその岩の上で眠って、眼がさめると潮が満ちて陸つづきだった筈のその岩が、いつか離れ島になっているので、私たちはまだ夢から醒めないでいるような気がするのである・・・・・・・・」
小説『思い出』 太宰治著より
浅虫温泉“ホテル萩乃”の外観 浅虫温泉“ホテル萩乃”の大浴場

◇2000年9月12日(火)に宿泊し、入湯する。

 東北の温泉旅行の途中、下北半島の温泉巡りを終えた後で、浅虫温泉に泊まることにしました。ここは、青森市の奥座敷として知られている温泉で、開湯は平安時代といわれ、20数軒の宿が軒を連ねています。昔は温泉で麻を蒸していたことから「麻蒸」と呼ばれましたが、現在は火難を嫌って、燃えてしまう「麻」を変えて「浅虫」になったとか。海岸沿いに位置し、海釣公園や水族館もあり、夏場も観光客でにぎわっているといいます。かの青森県が生んだ小説家太宰治著の『思い出』という小説の中で、母と末の姉が浅虫温泉で湯治していて、そこに寝泊まりしながら受験勉強をしたことが綴られています。また、小説『津軽』の中にも登場し、浅虫は若き日の忘れられない思い出の地であるとともに、どこかすれているような印象のある温泉地だとも語られています。そんな温泉街に、期待と不安を持って入っていったのですが、目指す宿が見つかりません。温泉街を2度通り過ぎ、やっと人に聞いて、駅裏の方に今日の宿「ホテル萩乃」を発見しました。鉄筋コンクリート4階建て20室のこぢんまりとした和風旅館ですが、女将の応対はとてもていねいで、館内もきれいにしてあります。第一印象の良い宿に、はずれは少ないので、今日は期待できそうな感じがしました。宿のパンフレットをもらったら、浅虫はねぶた発祥の里だと書いてありましたが、学生時代に浅虫のユースホステルに泊まったときのことを思い出しました。ちょうど浅虫のねぶた祭をやっていて、夜同宿者達と出かけ、いっしょにはねた(ねぶたを踊ることをこう呼びます)のです。浴室には、ねぶたをはねている踊り手の壁画があり、無色透明、無味無臭の湯に浸かりながら、昔のことを回想していました。上がってから、ほどなくして部屋での夕食となりましたが、合鴨とほたての鍋、アワビの酢の物、キノコ、新鮮な刺身、茶碗蒸し、そして、デザートにメロンまで出てきて、この宿泊料金にしてはずいぶん豪華です。冷やでお酒を2合ほどたのんで、おいしく飲み食いしました。後は、テレビを見ながら、翌日の旅程を考えて寝てしまいましたが...。翌朝、6時頃に起き出し、温泉街への散歩へと出かけたものの、折悪しく雨が降ってきたので、早々に切り上げて宿に戻ってしまいました。その後は、朝風呂にいってから朝食を済ませましたが、これもおいしかったのです。大規模な温泉地の中にも、個人客を大切にする個性的な宿があるものだと、とても良い印象を抱いて、8時半前には出立の準備を整え、津軽の温泉巡りへと旅立っていきました。





源泉名 浅虫温泉配給泉
湧出地 青森市大字浅虫
湧出量 ?(動力揚湯)
知覚 無色透明、無味、無臭
泉質 ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉
泉温分類 62℃(高温泉)
pH値 8.0
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 917r/s
浸透圧分類 低張性

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・やけど・慢性皮膚病・慢性婦人病・虚弱児童・動脈硬化症

宿


浅虫温泉“ホテル萩乃”のデータ
標準料金 1泊2食付 8.000〜15,000円(込別)  
定員 鉄筋コンクリート造4階建 和室19室、洋室1室 計80名 
住所、電話 〒039-3501 青森市大字浅虫字蛍谷75 TEL(0177)52-2271
交通 JR東北本線浅虫温泉駅下車徒歩3分
浅虫温泉の公式ホームページへ

☆畑下温泉 清琴楼(栃木県那須塩原市)

「一村十二戸、温泉は五箇所に涌きて、五軒の宿あり。ここに清琴楼と呼べるは、南に方りて箒川の緩く廻れる磧に臨み、俯しては、水石の凛々たるを弄び、仰げば西に、富士、喜十六の翠巒と対して、清風座に満ち、袖の沢を落来る流は、二十丈の絶壁に懸りて、ねりぎぬを垂れたる如き吉井滝あり。東北は山又山を重ねて、狼かん玉簾深く夏日の畏るべきを遮りたれば、四面遊目に足りて丘壑の富を壇にし、林泉の奢を窮め、又あるまじき清福自在の別境なり。……」
小説『金色夜叉』 尾崎紅葉著より

畑下温泉「清琴楼」の紅葉の間 尾崎紅葉

◇2002年8月24日(土)に宿泊し、入湯する。

 塩原温泉郷めぐりで泊まったのは、塩原温泉郷の中の畑下温泉にある「清琴楼」という老舗旅館で、以前から泊まってみたかった温泉旅館の一つだったんです。というのも、明治の文豪、尾崎紅葉の「金色夜叉」に上記のように書かれていたのを読んだからです。この名文の中に、箒川沿いの自然豊かな宿の風景が目に浮かぶように感じたのです。実際に、尾崎紅葉は、1899年(明治32)6月上旬から1ヶ月余り逗留したとのことです。当時は、「佐野屋」という旅館名で、時の人気小説家尾崎紅葉が長期滞在していたにもかかわらず、旅館の方は気が付かなかったとのこと。ところが、読売新聞紙上に「金色夜叉」の続続編として上記のように掲載されたのを読んだ宿の主人が、これは自分の旅館のことにちがいないと、後で問い合わせてわかったという逸話が残されています。そして、旅館名も小説に出てくる「清琴楼」に変えたとか...。現在、本館は明治時代に建てられたままで残されており、尾崎紅葉の泊まった部屋が「紅葉の間」として保存され、見学できるのです。調度品や資料なども当時のままの物が展示されています。残念ながら、宿泊できるのは、棟続きの別館や新館の方だけで、私は、昭和初期に立てられた木造3階建の別館の方へ泊まりました。こちらもそうとうレトロな感じでしたが、窓から箒川の眺めは、「金色夜叉」の文章を彷彿とさせるものでとても気に入りました。せせらぎが聞こえ、川風が入ってきてとても気分がいいんです。建物の内部はきれいにしてあって、従業員のもてなしも良くてびっくりしました。ポットのお湯なんか何度も代えに来るし、布団の敷き方のとてもていねいなんですね。そして、露天風呂がとても良かった。前を流れる箒川の中州にあって、橋を渡っていきます。とても開放的で、見晴らしも良く、源泉掛け流しになっていて、すごく気持ちよく入浴できました。内湯もレトロな感じで、気に入りました。食事は、部屋へ運んでくれて、ズワイガニの足、ゆば、茹で豚、刺身、天ぷら、茶碗蒸しなど何品も出てきて、美味しくいただきました。後は、プロ野球の巨人阪神戦を見ながら、気持ちよく寝てしまいました。翌日は、カメラ片手に散歩しながら、「もみじの湯」という川沿いの露天風呂に入ったんです。箒川沿いにある開放的な混浴の露天風呂ですが、誰も入っていなくって、独占状態で、湯を楽しみました。戻ってきて朝食後、宿を立って、回顧の吊り橋の方へ向かいました。

畑下温泉「清琴楼」本館 畑下温泉「清琴楼」の混浴露天風呂




源泉名 もみじの湯源泉
湧出地 栃木県那須郡塩原町大字下塩原
湧出量 29.3g/分
知覚
泉質 ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
泉温分類 53.5℃(高温泉)
pH値 7.2
液性分類 中性
溶存物質総量
浸透圧分類 低張性

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病

宿


畑下温泉「清琴楼」のデータ
標準料金 1泊2食付 8.000〜18,000円(込別)  
浴室 内湯2(男1・女1)、露天2(混浴1・女1)、家族風呂1
入浴料 250円
外来入浴時間 午前10時〜午後3時
宿泊定員 木造3階建 和室21室 計102名 
住所、電話 〒329-2921 栃木県那須郡塩原町大字下塩原458 TEL(0287)32-3121
交通 JR東北本線西那須野駅より塩原温泉行きバス50分畑下(はたおり)停留所下車徒歩3分
畑下温泉「清琴楼」の公式ホームページへ

☆中棚温泉 中棚荘(長野県小諸市)

「この連中と一緒に、私は中棚の温泉の方へ戻って行った。沸し湯ではあるが、鉱泉に身を浸して、浴槽の中から外部の景色を眺めるのも心地が好かった。湯から上がっても、皆の楽しみは茶でも飲みながら、書生らしい雑談に耽ることであった。林檎畠、葡萄棚なぞを渡って来る涼しい風は私達の興を助けた。
「年をとれば、甘い物なんか食いたくなくなりましょうか」
 と一人が言い出したのが始まりで、食慾の話がそれからそれと引出された。
「十八史略を売って菓子屋の払いをしたことも有るからナア」
「菓子もいいが、随分かかるネ」
「僕は二年ばかり辛抱した……」
「それはエラい、二年の辛抱は出来ない。僕なぞは一週間に三度と定めている」
「ところが、君、三年目となると、どうしても辛抱が出来なくなったサ」
「此頃、ある先生が──諸君は菓子屋へよく行そうだ。私はこれまでそういう処へ一切足を入れなかったが、一つ諸君連れてってくれ給え、こう言うじゃないか」
「フウン」
「一体諸君はよく菓子を好かれるが、一回に凡そどの位食べるんですか、と先生が言うから、そうです、まあ十銭から二十銭位食いますって言うと、それはエラい、そんなに食ってよく胃を害さないものだと言われる。ええ、学校へ帰って来て、夕飯を食わずにいるものも有ります、とやったさ」
「そうだがねえ、いろいろなのが有るぜ、菓子に胃酸をつけて食う男があるよ」
 三人は何を言っても気が晴れるという風だ。中には、手を叩いて、躍り上がって笑うものもあった。それを聞くと、私も噴飯さずにはいられなかった。
 やがて、三人は口笛を吹き吹き一緒に泊っている旅舎の方へ別れて行った。
・・・・・・・・」

随筆『千曲川のスケッチ(中棚)』 島崎藤村著より
中棚温泉“中棚荘”の玄関 島崎藤村

◇2004年4月24日(土)に入湯する。

 長野県の佐久地方への1泊2日の旅に出て、その途中、中棚温泉に立ち寄りました。ここは、小諸城跡から下った、千曲川を見下ろす丘の中腹にあり、1898年(明治31)創業の「中棚荘」だけの1軒宿の温泉です。そして、島崎藤村ゆかりの温泉として、広く知られていて、以前から行ってみたかったところでもありました。藤村は、1899年(明治32)4月、旧師木村熊二の招きで小諸義塾へ赴任し、英語・国語教師として、1905年(明治38)3月に退職するまで、6年間この地で過ごしました。その間、たびたびこの中棚温泉を訪れています。その時の様子が、上記のように随筆『千曲川のスケッチ』の中の「中棚」に描かれています。また、『千曲川旅情の詩』の一節「千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりて 濁り酒濁れる飲みて……」の岸近き宿は、この「中棚荘」を詠ったものと言われています。現在でも、大正時代の客室が現存し、昔ながらの湯宿の情景を思い起こさせてくれます。尚、当初は温度の低い鉱泉でしたが、近年600m掘削して、新源泉の湧出に成功し、露天風呂も造られています。10月〜4月は、内湯にリンゴが浮かべられ、「初恋リンゴ風呂」として親しまれています。ぷかぷかと浮かぶたくさんのリンゴからは、とてもいい香りが漂っていましたし、露天風呂からは、千曲川や北アルプスまで眺望でき、とても気分良く入浴できる温泉です。

中棚温泉“中棚荘”の初恋リンゴ風呂 中棚温泉“中棚荘”の露天風呂




源泉名 中棚温泉
湧出地 長野県小諸市古城中棚
湧出量
知覚 ほとんど無色澄明、微硫黄味を有する
泉質 単純温泉
泉温分類 37.5℃(温泉)
pH値 8.4
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 491.6r/s
浸透圧分類 低張性

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進

宿


中棚温泉“中棚荘”のデータ
標準料金 1泊2食付 10.000〜22,000円(込別)  
浴室 内湯3(男1・女1・家族風呂1)、露天2(男1・女1)
入浴料金 大人1,000円、小人500円
外来入浴時間 午前11時半〜午後8時 (土曜、休日は午後3時〜6時半まで外来入浴不可、要問い合わせ)
定員 木造2階建 和室21室 和洋室6室 計80名 
住所、電話 〒384-0032 長野県小諸市古城区中棚 TEL(0267)22-1511
交通 JR小海線・しなの鉄道小諸駅よりタクシー5分
中棚温泉「中棚荘」の公式ホームページへ
文学の旅(6)「千曲川のスケッチ」島崎藤村著へ

☆湯田川温泉(山形県鶴岡市)

「私にも、田川温泉の思い出には少しは匂やかな秘めごともあるにはある。それもこの青年のような年のころで、まだ私が妻と結婚し立ての春のこと、――私は初めて妻の実家へ来て、妻の父から仕事場には鹿のいる田川温泉が良かろうということになり、ここで中央公論へ出す「笑った皇后」という作を書いていた。ネロ皇帝の妻のことを書いているのだが、そのときにも、実家からときどき妻は鹿のいる私の宿へ会いに来だ。ある日、妻の見えない日で、私がただ一人男の湯舟にひたっていると、隣りの女の湯舟にも誰か来て、これもただ一人で湯の音を立てていた。初めは気附かずに私は、ネロが友人オソーの妻を口説く科白を考えながら、少し滑稽にしないとネロの性格がよく出ないので、「お前の足は、お前の足は。」と、そんな文句を呟いているときである。私の足のあたりで湯がしきりに揺れ動くのを感じた。ふと下を見ると、ここの湯舟は隣室とのへだてが板壁だけで、下の湯水は一つに続いて断ってなく、午さがりの光線の射し込んだ透明な湯の底から、隣室の女の足のくの字に揺れる白い綾を見た。実に美しい。顔や姿がまったく見えずに、伸びたり縮んだりする足だけ見える湯の妖艶さは、遠い記憶の底から、揺らめきのぼって来る貴重な断片の翻える羽毛のような官能的な柔軟さに溢れている。これはここの湯舟だけであろうか。ネロに攻められ、侍女と二人で湯に浸りつつペトロニユスの死んでゆくときのあのローマも、このような湯の中の美しさはなかったであろうと感慨も豊かになり、私はなお女の足を見ながら、時間は相当前からつづいていたのだからもっと早くから眺めていれば良かったと残念に思っていた。
「あなた、お分りになって。」
 そのとき突然、隣室からそう呼んだ。声はたしかに妻のようだった。どうもおかしい。私はしばらく黙っていてから「お前かい。」と訊ねてみた。
「ええ。そう。」と妻は壁の向うで答えた。
「何んだ、いつ来た。」
「さっき、一時のバスで。お待ちしてましたのよ。」
「ふむ、もう少し脚を見せなさい。」
「いや。」と云って、妻はすぐ脚をひっ込めた。
「お前の脚は、夜の鹿のようにすらりとしている。」と、とうとうネロにこんな形容詞を私は云わせて了う始末になったが、このとき湯の底で覗いた透明な脚の白さは、二十年なお私の眼底に残っている鹿の斑のような哀感ある花である。恐らく私の前の青年も第一候補と整えばこうしてここへ再び来ることだろうが、もう今はどの浴槽もローマの湯のように文明になっている。……」
小説『夜の靴』 横光利一著より
 
湯田川温泉「甚内旅館」の外観 湯田川温泉街

◇2004年8月28日(土)に宿泊し、入湯する。

 2泊3日で、南東北の旅に出かけ、初日に太平洋岸の鵜ノ尾埼灯台、花淵灯台と写真を撮り、一気に日本海側に出て湯田川温泉へと向かいました。やっとのこと鶴岡市内へとたどりついて、5時半には今日の宿、「甚内旅館」へ入ることができました。ここは、江戸時代から続く湯治場で、外湯も2つあります。宿泊客は無料で入浴できるとのことでしたので、荷物を置くとすぐに、鍵を借りて行ってみました。昔の湯治場の風情が残る落ち着いたたたずまいで、浴衣と下駄の音がよく似合う街の中心にある「正面湯」は、浴客が満ちていました。お湯は、さらりとした単純温泉で、源泉架け流しの良質なもの、ゆっくりと湯を楽しんだのです。ただ、現在では横光利一著『夜の靴』に描かれているような男湯と女湯が下でつながっているような構造ではありませんでしたが...。その後、もう一つの外湯「田湯」にも浸かってから宿へと戻っていきました。
 宿でも内湯に入って体を洗い、部屋でくつろいでいたら、6時半頃から夕食になりました。食卓には、刺身(イカ、甘エビ)、クチボソ焼物、天ぷら(シイタケ、シシトウ、マイタケ他)、蕎麦の実、ナス焼、茶碗蒸しなどが並びとても美味しかったのです。お酒も2合頼み、テレビでオリンピックを見ながらとても良い気分になりました。食後は、横になってテレビを見たり、明日のコースを考えたりしながら寝てしまいました。
 朝6時に起き出し、6時半から恒例の朝の散歩に出かけました。首からはいつものように愛機ニコンを下げ、温泉街を撮りながら、由豆佐売神社へ行ってみました。ここは、映画「たそがれ清兵衛」のロケ地ともなったところで、苔むした階段と鬱蒼とした樹林に風情があり、時代劇の舞台にはうってつけの所です。そんな森の中を散策してから、下ってきて、今度は新徴組の墓地へも行ってみました。今、テレビのNHK大河ドラマで「新撰組」が脚光を浴びていますが、新徴組も幕末、庄内藩の元で江戸市中の見回りをし、戊辰戦争でも活躍したのです。あまり知られていませんが...。今は、訪れる人もなく、墓石が苔むしていました。歴史の感慨に浸れるところです。
 小一時間の散策を終えて、宿に戻り、朝風呂を浴びて、8時から朝食になったのですが、この朝食がまたすごい、「てしお料理」と名付けられていて、14品も出てきたのです。そしてこれがまた美味しくて、満腹になりました。食後出立の準備をして、9時前には宿を出て、鶴岡市内へと向かいました。

湯田川温泉共同浴場「正面湯」 湯田川温泉共同浴場「田の湯」
*一般的適応症(浴用)
 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
*泉質別適応症(浴用)
 動脈硬化症・きりきず・やけど・慢性皮膚病




源泉名 湯田川1号源泉
湧出地 山形県鶴岡市大字湯田川
湧出量
知覚 無色透明、無味、無臭
泉質 ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉
泉温分類 43.2℃(高温泉)
pH値 8.4
液性分類 弱アルカリ性
溶存物質総量 1,208.1r/s
浸透圧分類 低張性
宿


湯田川温泉「甚内旅館」のデータ
標準料金 1泊2食付 9.000〜17,000円(込別)  
浴室 内湯2(男1・女1)
入浴料 大人300円、小人150円
外来入浴時間 午前11時〜午後4時
宿泊定員 木造3階建 和室10室 計40名 
住所、電話 〒995-0752 山形県鶴岡市大字湯田川乙16 TEL(0235)35-2151
交通 JR羽越本線鶴岡駅より庄内交通湯田川温泉行きバス30分湯田川温泉停留所下車徒歩3分






湯田川温泉 共同浴場「正面湯」「田の湯」のデータ
利用料金 200円
営業時間 午前8時〜9時、11時〜午後7時
※午前9時〜11時は清掃のため入浴不可 年中無休
住所、電話 〒995-0752 山形県鶴岡市大字湯田川
交通 JR羽越本線鶴岡駅より庄内交通湯田川温泉行きバス30分湯田川温泉停留所下車徒歩3分
湯田川温泉「陣内旅館」の公式ホームページへ

☆蔦温泉(青森県十和田市)

 三本木よりもまたも自動車をとばす。
十和田の神と仰ぐ南祖坊の生れたる善正寺の跡、今は絶えて、ただ公孫樹のみ存すと聞きて、ゆいて見る。大きさ十囲、偉大なる『乳』いくつとなく垂れて地に達せんとす。げに千年の老木なり。
 焼山にて自動車を下れば、太田吉司氏われを迎う。一と月前より蔦温泉に浴して、保養がらら著述に従事せる次男も来たり迎う。行きし時には見られざりし顔色を見て、うれし涙目から落つ。半里ばかり蔦川に沿い、半里ばかり車を通ずる蔦坂をのぼり、提灯に迎えられて、蔦温泉の客となれり。

 爽快なる哉、都の暑さも、塵も汗も、山上の霊泉に一洗せられたり。
 小笠原氏東道の主人となり、都よりの三人に次男も加わり、蔦山を出でて焼山に下る。橋をはさみて、二、三の人家あり。物を売る。山中の小平原なり。三本木を十和田第一の関門とすれば、ここは第二の関門なり。
 道は奥入瀬川の右岸に通ず。楊樹まづ人の目を惹く。桂樹の多きことますますめづらし。されど左方より流れ来たる惣辺川を入るゝまでは、天下無類という程にもあらず。惣辺川は普通の渓流なり。水量も少からず。雨ふれば、忽ちにごり、忽ち水量を増す。少し下の右方よりも、小幌内川、大幌内川、黄瀬川など、普通の渓流、来たり加わる。奥入瀬の本流もために普通の渓流とならざるを得ざるなり。されど、惣辺川をいれてより上は幾十の瀑布、小渓流をいるゝも、その水量は多からず。みなもとの十和田湖より奥入瀬川へかけて、斧斤入らざる山林なれば、雨ふるも、ふらぬも、殆んど水の増減なし。従って奥入瀬の特色を呈するなり、河中の岩流れざるなり。苔を帯ぶるなり。木をも帯ぶるなり。
 ……
紀行文『山は富士、湖は十和田』 大町桂月著より
 
蔦温泉「蔦温泉旅館」の外観 蔦温泉「蔦温泉旅館」の浴室

◇2007年6月22日(金)に宿泊し、入湯する。

 2泊3日で、北東北の旅に出かけ、初日に東北自動車道を一気に北上し、蕪島(青森県八戸市)へと向かい、産卵中のウミネコの写真を撮りました。次に、タイヘイ牧場と鮫角灯台の写真を撮りました。それからは、十和田観光電鉄の沿線へ行って、鉄道の写真を撮ったのですが、ほんとうにローカルな線で、気に入りました。
 撮影後は、十和田湖方面へと向かい、今日の宿、蔦温泉旅館へと入りました。ここは、明治時代後期から大正時代に活躍した詩人・随筆家・評論家大町桂月ゆかりの温泉で、以前から泊まってみたかったのです。大町桂月は、終生酒と旅を愛し、各地を訪れて紀行文を発表、十和田湖に魅せられて、晩年はこの蔦温泉に居を移します。しかし、1925年(大正14)6月10日に、蔦温泉において、56歳で亡くなり、それに関わる資料や文学碑、墓もここにあります。
 宿に入って、部屋に荷物を置いてから、まず温泉へ入りました。ここの温泉は、男女入れ替え制の「久安の湯」と男女別の「泉響の湯」と2つの浴室があり、とてもすばらしくって、堪能したのです。
 その後、夕食は部屋に運ばれてきて、地鶏鍋、カボチャグラタン、虹鱒塩焼、刺身(虹鱒、ホタテ他)、ナラタケ、ハナワサビ、デザート(すいか)等が並べられましたが、なかなか豪華で、お酒も冷やで2合注文して、美味しく食事を終えました。
 食後は、横になって、テレビを見たり、明日のコースを考えたりしていたものの、うとうとしてきたので、早めに寝てしまったのです。
 朝早起きして、敷地内にある大町桂月の墓や胸像、文学碑を見てから、蔦温泉周辺の沼めぐりをしました。遊歩道があったのですが、森林に包まれ、とても爽やかで、良かったのです。一周1時間くらいかかったものの、蔦沼、鏡沼、月沼、長沼、菅沼、ひょうたん沼と巡って、写真を撮って行き、いい散策になりました。
 戻ってきてから、「泉響の湯」に入ったのですが、散策の汗と疲れが取れていくような、とてもいい湯でした。浴後、7時半前から、朝食を食べて、8時過ぎに出立したのです。
 まず、おいらせ渓流に沿って走りましたが、大町桂月が絶賛していただけあって、すばらしい景色なのです。石ヶ戸という所で、車を駐めて、渓流の写真をたくさん撮りました。
 その後、十和田湖の子の口へと至りました。ここは、十和田湖の東部、奥入瀬川の流出口にあたり、奥入瀬渓流を散策する出発点ともなっています。湖岸には、遊覧船の発着場があり、御倉半島がよく見え、いろいろな角度からシャッターを切り、御鼻部山展望台、滝ノ沢展望台にも立ち寄ってから、十和田湖を離れて弘前方面へと向かいました。

蔦温泉の大町桂月の胸像 蔦温泉の大町桂月の墓
蔦温泉の大町桂月の文学碑 蔦温泉の大町桂月の歌碑
宿


蔦温泉「蔦温泉旅館」のデータ
標準料金 1泊2食付 10.000〜27,500円(込別)  
浴室 内湯3(男1・女1・男女入れ替え1)
入浴料 大人800円、小人500円
外来入浴時間 午前10時〜午後4時
宿泊定員 木造2階建 和室50室 計150名 
住所、電話 〒034-0301 青森県十和田市奥瀬字蔦野湯1 TEL(0176)74-2311
交通 JR奥羽本線青森駅・新青森駅よりJRバス十和田湖行きバス約2時間蔦温泉停留所下車すぐ
*一般的適応症(浴用)
 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
*泉質別適応症(浴用)
 動脈硬化症・きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病




源泉名 旧湯
湧出地 青森県十和田市奥瀬字蔦野湯1
湧出量 測定不可(自然湧出)
知覚 無色透明、無味無臭
泉質 ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉
泉温分類 44.6℃(高温泉)
pH値 6.95
液性分類 中性
溶存物質総量 1,223r/s
浸透圧分類 低張性
蔦温泉「蔦温泉旅館」の公式ホームページへ
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